デフリンピックとかねんりんピックとか

2024/09/02

何様

にくにくにくバーガー(違う ごきげんよう。

パリンピックは盛り上がりましたね!<縮めんな
自分はやはりサッカー男子と、あとスケートボードやBMXに興奮しました。

一方で外野は相変わらずというか。
大会関連のニュースは見ないようにしていても、どうしても一部目に入ってきてしまいます。
それも「SNSで批判」とか「選手に批判」とか…。
この世で一番いらない情報です。
マスメディアがわざわざネット上の有象無象のことなんか取り上げる必要ないと思うんですけども。
読者や視聴者との双方向性なんか考えずに大本営発表していた時代が遠いことのようです。

世間の関心事や注目の人物に対していらんこと言う人は必ずいます。
それがSNSによって可視化されたのが今の世の中と言えます。
存在自体を見なかったことにして心の平穏を保つしかないのですが、最近それを邪魔するのが意外にも既存メディアという。
下手に拾ってしまうと、自分たちの批判が社会を動かしていると勘違いして増長につながりやしないでしょうか。
本人は何者でもないくせに他人の揚げ足ばかり取って、それで有意義なことをしていると思い違いも甚だしい。
相手にしないことが沈静化の唯一の手段なのに、なぜ構ってしまうのかといつも頭を抱えます。

その特徴は重大事件の報道姿勢にも表れています。


これは新聞記事の受け売りですけども。
アメリカで大統領選候補者が銃撃された際、事件や容疑者について深掘りする現地報道はほとんどなかったそうです。
日本の元首相銃撃事件のときとは大違い。
ねらいはと言うと、事件をセンセーショナルに報じることで犯人が英雄視されるのを防ぐためです。

まさに日本で起きている現象で、無差別襲撃事件や放火事件など凶悪犯罪の模倣犯が繰り返し発生しています。
報道各社が犯人の生い立ちや犯行の詳細を徹底究明する目的は犯罪抑止ではありません。
写真週刊誌やワイドショーを盛り上げるという目先の利益のために消費しているように映ります。
すると、ネット上の批判と同じく「拾う」ことでかえって世間に知られてしまう。
知らないままでいたほうがよかったことまで知ることにもなる。
その結果、中にはそれに感化されてよからぬことを考える次の人が現れる、という状況なのではないでしょうか。

そう考えると、なるほど報道を控える必要性は明らかです。
暴力が許される理由はないし、だから犯行の動機など知っても無意味なのですから、不要だとすら言えます。
同じくネットで何が騒がれているかなどもどうでもいい情報です。

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