リアルで知り合った人とインターネットで会ってはいけません (2)

2024/09/12

何様

乳毛がTシャツを貫通したーー! ごきげんよう。

ぼくたちが人間社会の中で何に気をつけて生きているかと言ったら、
「無害認定を受けること」
だと思ってまして。
つまり、自分は他人に害をなす人間ではないと周囲に印象づけるために振る舞っているようなものなのです。

相手の警戒感を解かなければ、距離を置かれたり集団の中で孤立したりして、自分の立場が危うくなります。
そのような事態を避け、受け入れてもらうために、攻撃性がないことのアピールはきわめて重要です。
危害というのは暴力や暴言だけでなく、セクハラや迷惑行為も含まれるでしょうか。
信用を得るには日頃の行いの積み重ね、それしかありません。

まず見た目からアピールするために身だしなみに気を遣ったりします。
がらの悪い髪形や服装を避け、無難なものを選ぶ人が大半だと思います。
それが行きすぎると同調圧力やブラック校則につながるのでそれはそれで問題ですが。

言動においても、自分は周りに迷惑なんかかけないと思っている人がほとんどかもしれません。
ですが、たとえば人混みや電車内では案外本性が出るものでして。
大人しそうな人が通せんぼしたりパーソナルスペースを占有したりといった光景をわりと見かけます。
仲間うちには親切でも見ず知らずの人には冷酷になれるタイプでしょうか。
つきあいのある人からだけ無害認定を得れば他は必要ない、と考えているのかもしれません。

いずれにせよ、多くの人が普段から波風立てないように気をつけて暮らしていますが。
中にはその流れに乗らない、攻撃性を隠さない人もいます。


電車内で大声を出したり、職場で部下を威圧したり、最近だとネット上で人格が変わる人とか。
こういう人たちは端から無害認定を受けようとか周囲に受け入れられようとか考えていません。
自分が何もしなくても社会が受容してくれる、社会の一員でいられると高をくくっているのでしょう。

ぼくはそれを人としての生き方をサボっていると考えます。
社会的動物なのですから社会の中で生きていくための努力をしなければならないのに。
実際それで大多数の人がストレスに耐えたりいろんなことを我慢しながら生活しているのに。
その努力を放棄している人を、その他の頑張って生きている人たちと同列に扱うことはできません。
不公平感じゃないですけど、簡単に受け入れてはいけないと思っています。

ようやくパワハラやアンガーマネジメントが認知されてきましたが、やはり本来あってはならないもの、治さなければならないものです。

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