春あかね高校定時制夜間部って百合?<おまえはそれしかないんか ごきげんよう。
犯罪者の気持ちとか考えるだけ無駄でしょ。
(でたよっていうか何)
何かの事件を起こした犯人に対して、なぜそんなことをしようと思ったのかとか理解に苦しむとか言う人がいますが。
そもそも他人の考えなんか理解できないのに(ぉ
日頃からその当たり前の事実に触れているはずなのに、ニュースを見たとたん頭から抜け落ちるんだから不思議です。
それだけ事件のニュースというものは衝撃的なのでしょう。
起きてはいけないことだから、どうにかして原因を見つけようとします。
こういう考えで犯行に至ったに違いない、と理由をつけて自分を納得させようとします。
そのとき普段はしないような、赤の他人を理解しようとするアプローチが発生するのです。
なぜ犯人の行動に理由を求めるのか。
別物だと思いたいからです。
犯罪を起こすような人は自分たち善良な市民とは別の種類の人間だと区別して安心を得たいためです。
この辺りの主張は過去のエントリーの焼き直しになりますが。
そうした考え方の問題点の一つは、前提がそもそも間違っていることです。
犯罪者は特別な人間ではありません。
定義上は法律を犯した人というだけで、誰だっていつかそうなる可能性があります。
万引きや盗撮などは、最初は軽い気持ちだったのが、徐々にスリル自体を味わうようになりやめられなくなると聞きます。
また最近では、SNS上で禁止薬物売買や闇バイト募集が行われ、誹謗中傷やデマ発信が検挙されています。
普通の人が簡単に道を踏み外してしまう状況にあると言えます。
それなのに特別扱いすることに何の意味があるのでしょう。
普通の人が犯罪に巻き込まれないように、あるいはよからぬ気を起こさぬようにするための議論が必要なのであって。
異種族だと決めつけて心理を勝手に想像したところで社会は何もよくなりません。
もう一つの問題は、排他主義の危険思想につながるということです。
相手の思考を理解できなければ、その人は自分たちとは違う集団として扱う意識が働いているように思います。
それが犯罪者のみならず、現実のいたるところで差別や迫害につながっています。
オタクいじめ、セクマイ非難、「近頃の若い者は」などなど。
すべては自分の理解できないものは叩いてよいという攻撃性から来ています。
ぼく自身も何考えてるかわからないとずっと言われ続けてきました。
もちろん何も説明していないのではなく、考え方が他の人と違うだけです。
それでもわからない、理解できないと言われ距離を置かれる、グループから排除される。
ぼくは自分を強く持つことで生きてこられましたが、それができずに苦しんでいる人が大勢いると考えると怖くてたまりません。
誰かを理解するとは、自分もその人と同じ考え方になることではありません。
そういう人もいるんだと知るだけでよいのです。
その基本的なところを履き違えていて、他人を理解できないと憤っている人がいますが、そもそもゴールが違います。
自分と考え方が異なる、合わない相手のことをいつまでも考えたって時間の無駄なのです。
危険行動に発展しかねない「理解」はもうやめませんか。
世の中わからないことだらけ、いわんや他人をや。
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