悪知識

2004/11/03

むかしのひび

秋といえば叙勲ですが。<んなわけねえだろ 毎年この時期になると、勲章や褒章がどうのこうのとか言って受章者が発表されていますが、自分にはなじみの薄いものだと感じている人も多いかもしれません。まあ私もよくわかってないんですがね。今回は紫綬褒章という章にスポーツ選手が数多くえらばれて話題になっています。もう見てらんない。(えっ) なにがって、アテネオリンピックのメダリストたちにごっそりあげちゃってるんですもん。私は納得いきません。とりあえず、受章者の対象がひろがったというか条件が緩和されたことは評価されるでしょうけれど。スポーツの競技者、それから若い世代の人というふたつの拡大ですね。昔は叙勲なんて言うと、なんか堅苦しい活動や研究に対してとか、あるいはシニアの世代にのみあたえられるものというイメージでしたが、そこからの脱却ははかれているようです。しかし、しかしですよ。オリンピックという大会で勝利を収めたことが、本当に褒章につながるようなものなのか。どうも制度の主旨からそれている気がしてなりません。なんらかの形で功績をたたえたい気持ちはわかるんですが、それだったらすでに契約スポンサーとか出身自治体とかがいろいろあげてるでしょうし、そこに国まで入ってくるのはヨイショしすぎというか。スポーツの振興に貢献したかという点では、たしかにオリンピック中継の活躍に感動してスポーツを始める子どもが増えればプラスなんでしょうけれど、それはあくまで間接的な効果というか。むしろそれはテレビ局が真の功労者なわけで。なんかなあ、お上がメディアの過熱報道に踊らされてどうするよ、と思ってしまいます。
若い世代のスポーツ選手がこうした章を受けることについて、もうひとつ疑問というか懸念されることがあります。それはまあ、イチローさんが国民栄誉賞を辞退したことと同じような言い分なんですが。あれはきっと、そんなものを授与しちゃったときのデメリット、具体的には重圧になるとか慢心を生むといったことを考慮に入れて断ったのだと思います。グラウンドの外でも自己管理が大切ってことなんでしょうね。私も人からほめられるのは苦手なので気持ちはわかります。それにしても、年齢は不問としても、問題は受章者の多くがバリバリの現役選手だということです。すでにみなさん次の大会、次の目標に向かって進んでいるというのに、そこを叙勲によって水をさしていいものかと。必要以上に騒ぎ立てたりもてはやしたりしないで、選手が競技に集中できるようにしてあげるのが、応援するまわりの人たちにいちばん求められていることではないでしょうか。って、私が心配しても詮ないことですけれど。
繰り返しになりますが、こんなこと書いている私も主旨なんてよくわかっていないんですけれど。ただ、スポーツ分野での功績ということで素人目にみるならば、プロ野球組織のこり固まった体質に風穴を開けた某ベストジーニストさんはえらばれるに値すると思いませんか。…新球団設立のほうはえらばれなかったけどね。<がーん

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