ぶっちゅーりっぷ(富山県代表)

2004/11/19

むかしのひび

流行語大賞という企画そのものがもう時代遅れだと感じているのは私だけでしょうか。ondです。昔というか流行語大賞がはじまったころは、政治家の発言や大きな事件など、意味に重みのあるものやその年の風潮を象徴する用語が多かった気がするんですけれども。いまどきのうすっぺらなはやりことばなんてそもそもえらんだり表彰する値打ちもないと思います。まあ、ことばがうすっぺらになったのは、私たち現代人が発信するコンテンツがうすっぺらになっていることの表れにほかならないんですがね。
今日の流行の代名詞とも言えるのが携帯電話ですが、先日、その携帯電話が特徴的にあつかわれた事件が起こりました。もうね、これほど皮肉さを感じたことはありません。もちろん殺人事件なんて絶対にゆるされることではありませんが、そんななかで携帯電話の功罪、その両面ともがくっきり浮かび上がったものとして、社会に投げかけられたメッセージもけして軽くはないと思います。幼い子どもに携帯電話を持たせていたら、それを誘拐犯に悪用されたあげく、その発信履歴などが捜査の手がかりになっているっていうんですから。ね、皮肉なことこのうえないでしょ。まず言いたいのは、電話を持たせていてもなんの防犯効果もないってことです。私は先月の地震で、いざというときは電話なんてこれっぽっちも役に立たないということを痛感しました。今回もそうです。子どもが電話を持ち歩いているからそれで安心だ、なんて思ってしまうのは、携帯電話に人間関係を大きく依存しつながりを盲信している現代人だからなのではないでしょうか。ほかにも最近は、電気ポットのスイッチを入れたり薬箱のふたを開けたりすると、指定したアドレスにメールが届くなんていう商品やサービスが出てきているようですが、ああいうのも本当にばかげていると思います。そんなもので田舎の親御さんの安否を気づかっているつもりにならないでほしいです。携帯電話の機能がさらに多様化したり、保有率がふえることはかまいません。ですが、それにすがって生きて何になる、と。端末と端末は電波でいつもつながっていたとしても、それを持つ人の心と心がつながっているかのほうが大事なのではないですか。

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