datte.

2002/10/30

むかしのひび

やさしさについて。他人のためになるようなことを言ったりしたりするのは一般に道徳的な行為だと言われますが、いっぽうでよけいなおせっかいだったり身勝手だと解釈されることもあります。人に親切にするのは、その人のことが心配だからではなくてその人がもたついているさまを見ている自分がやきもきして心配になっているからだとか、他人によく見られたいという気持ちがはたらいているからだとか、人づきあいに波風を立てないように穏便にすまそうとしているだとか、そうしたいろいろな思惑にもとづくものだなどというようにわるく言われてしまうときもありますが、それはたしかに真理の一面をついているかもしれませんけれどやはりかたよった見かただと思います。他人に対してなにか行動するって理屈じゃないところがあると思うんです。道徳だとかあるいは利己的だとか、そんなふうに理由をつけて私たちはいちいちうごきますか。いえ、きっとそんなことはありません。人にやさしくすれば自分も気分がいいですし、みんな気持ちよく生活できますし、動機なんてものはその程度でじゅうぶんではないでしょうか。けして積極的にやる必要はないと思います。ふだんどおりのなにげない気持ちで、ちょっと思いついたときになにか気づかいができればじゅうぶんではないかと。そういう心はだれもが胸の奥にもっている素直な部分なんですから、それに対してへんに難癖をつけてねじ曲げてしまうのは本当にもったいないことです。ですから、ほんのささいなことでも、たとえうわべだけの態度だったとしても、受ける側にしたらやさしさはうれしいものです。気持ちの大きさや本心がどうであったかということは、人間関係という点でみればさほど重要なものではありません。なにかをしよう、声をかけようと思ったその気持ちが、いちばん大切なのですから。あわただしくてすさんだ世の中。人ごみのなかでだれかが困っていても、さびしそうにしていても、だれもが見ないふりをして通りすぎていきます。心をもたない無機的なものの流れのように。必死に他人を求めて出会えずにいる人も多いなかで、たとえ偶然でもなんとなくでも、足をとめて立ち止まってくれて。自分の時間をちょっとだけそれに割いてくれて。それは立派なやさしさの第一歩と言えるでしょう。だれにでも心の中にちゃんと思いやりはあります。大切なのはそのことに気づくこと、自分に自信をもつことなのかなと思います。他人のためでも自分のためでもなく、それは生まれつきもっているあたりまえの力なのですから。…これが私に言える精一杯です。

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