セピアビームはカラリスト

2002/10/10

むかしのひび

きれいでした。とにかく眠いのかつかれていたのかなんなのかわかりませんが、なかば意識がぼやけた状態でふらふらしていました。そんなときに、夕焼けが目に入ってきました。もう太陽は姿を消してしまっていたのですが、まだ低いところ…地平線に近いところでは茜色が残っていました。いっぽう上空のほうはすっかり濃い青色に変わりかけていたので、その2層のコントラストがなんだかきれいに見えました。ちょうど雲とかまわりの建物があまりなかったのでよく見えたからだと思います。比重のちがうふたつの液体をまぜることなく重ねあわせたときのような、あるいはガラス細工のグラデーションみたいに透き通った配色をしていました。こんな美しい風景を目に焼きつけて、それで私はなにをしようというのでしょう。楽しいできごと、経験、そして思い出。その一瞬一瞬に私がどんな顔をしていたのか、どれだけ時間を忘れて夢中になっていたのか、残念ながらまったく知らないのです。せっかくのひとときの中にあって、自分のことを、気持ちをまるで思い出せずに、記憶することなく、事実ばかりがどんどん積み上がっていってしまう、そしてきっと古いものから消えていってしまうでしょう、色あせてしまうでしょう。だから、ふと我に返ったときに道をあやまっていて、とりかえしのつかないことになっていて後悔に追いこまれる、という事態におちいることもあります。身のまわりのできごとと自分自身が、まるで同期していないかのような、べつの時間軸を歩かされているような錯覚をおぼえてしまいます。心ここにあらず、という状態でしょうか。
自分の気持ち、などというものはさして重要なものではないのかもしれません。すくなくとも他人の目から見られたとき、それはあらゆる評価において考慮の対象になりません。こんなに努力したのに、とアピールしたところで成績に加点されるようなことはありません。他人が求めているのは具体的な結果、行動、返答、または金品などであって、こちら側の意図がどうであるかを問われることはないでしょう。なにより確認する手段がありませんし。さらに、気持ちというものが不要でさえある場合があります。朝の通勤電車はすばらしいです。車内アナウンスのテープが巻き戻っておかしな声が流れようと、奇妙ないでたちの乗客が乗りこんでこようと、だれひとり笑わないどころか眉ひとつ動かしません。電車内という場所においては、自分の感情のはたらくままに笑ったり揶揄してはならないとみんなが考えているのです。思ったままのことを口にして場を乱してはならない、人間関係をこじれさせてはならない、それは社会の中で生きるうえでのルールなのです。社会は、企業は、あるいは他人は、個人に私情にもとづく突飛な言動を認めません。与えられた役割をこなせばそれでいいのです、それ以上のことは、信頼を傷つけてしまったり、秩序を失わせる原因となるだけです。ですから感情を持つことは、けっして人に認められてするようなことではありません。だれも見ていないのです、許さないのです、気づいてはくれないのです。自分の意志で、そして責任で、コントロールして信念を貫かねばなりません。他人に許してもらって居場所を与えてもらうのは子どものすることです。自分の内在世界は自分で守るしかないのです。それが人間社会の中で生きるということのひとつの意味でありまた義務なのかもしれません。私はサラリーマンです。急にそんな実感がわいてきました。
さて、偶然ってあるものですね、といきたいところですが。ほんとうに偶然なのでしょうか。ひとつの大きな流れがあって、ほかのことはみなその付随物という感じがします。もちろん運命などというものを肯定する気はありませんけれど、でもまったくの偶然というのもあまりないのではという気がします。一様乱数をくりかえし発生させても同じ整数が連続することはよく見られますし、とくにこの世界の中では乱数というものが存在するのかどうかもあやしいものです。そよ風や川のせせらぎはまったくのでたらめでもなく、規則正しい周期でおとずれるものでもありません。1/fゆらぎとも呼ばれるあいまいなリズムが自然界にはあふれています。そしてその中で生きている、私たちにも。そこになんらかの因果が明確にはたらいていたとは言えないけれど、きっと無作為にえらばれたわけでもない、そんな可能性の中で。重要なのは、偶然出会ったものを自分がどう受け止めるかなんだと思います。そこに意味を見出すか、それとも取るにたらないものとみなすかはその人の意志しだいということになります。偶然か運命かなんてのもけっきょくは当事者の思いこみのレベルの話なのですが、けれどその思念がその人の世界像を形成していることもまた事実です。世の中、どこにどんな偶然が待っているかわかりません。なにかに出会ったとき、それを大切にしたいと思える気持ちを持っていられたらいいですね。いつかそれが意味のあるものに成長しているように、そして、出会えてよかったと思えるように。

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