勝手知ったる何とやら

2002/10/06

むかしのひび

おひさしぶりですondです。最近ほろりときた文章は「この9本の指で」です。検索する気力がある方は読んでみてください。「生きてるとね、総てに見放されたような、そんな気持ちになる時もあると思うの」…好きなマンガのその一節を、それを読んでから思い出していました。「王子よ~月の裏から~」も当然連想されましたが。わかりやすい不幸のかたち、見えにくい心のくるしみ。暗くて、つらくて、悲しくて、沈んで。その状態は同情を誘うことはできるかもしれませんが、そのままでは自分は何も変わりません。そう思いました。だったら私がこうしていることって何なんだろう、って。そうしたら自然と手が動きました。実を言うとこのところネッツ自体あまりやる気が起こらずに避けがちになっていたのですが、週末はかなり久しぶりだと思えるくらいたくさんサーフをしたり話したりしました。…大半がCGサイトだったりしましたがそれはさておき。やはり多くのものごと、ほかの人の生活や考え方に触れることは大切だと今さら知ったようなことをあらためて。一部の知り合いには私のオタク度はかなり高いと思われているようですが、私は自分など足下にもおよばないほどおわっている人をたくさん知っているので、自分はまだ大したことはないと思っています。他人を知ることで自分のポジション、自分のパラメータがどの程度のものなのかが見えてくるんだと思います。きっとそういうことなんだと思います。(注:さっきの例はちょっとちがう気もします) 自分のダメ人間レベル(?)を知るのも、自分のいいところを見つけたり自分を好きになれるのも、他人がいてこそなのだと思いました。今さらですね。…見つからないままのほうがよかったというケースもあるかもしれませんが。
もうひとつ読んだものがあります。自分の過去をすべてひもときました。私はあまやどりを開設する前、学生時代ですが、べつのサイトを運営していまして、そのときの日記やら文章のことです。いちおう現在の日記もそのころのものの流れをすこしくんでいたりしますので、明確に切り離されたものではないのでしょうけれど、それでもひさしく封印していたものです。…驚きました。すごいの一言。まるで私のそれではないようなたくさんの文章が、ことばがあふれていました。自分のどこにこれだけのエネルギーがあったのかと感心してしまうほどでした。数年ぶりに読み返した小説に転げ回ったりもしました。そして昔の私は、すべてを言い当てていました。今こうなっていることも、私が背負っている罪の意味や重さも、ずっとおそれていたこと、のぞんではいけなかったこと、行きつくべきところも、みんなです。予言したとおりになっていました。そこに自分のすべてがあり、今の私はそのまわりをうろちょろしていただけなのだと知りました。過去からのがれることばかり考えていて、それはべつの意味で自己を見失わせる行為だったのかもしれません。そういうことを考えてまた読んでみると、私は弱くなったかもしれないということが見えてきました。昔の私、勉強もさぼって遊びほうけて将来のこともわからず、漠然とした不安を打ちはらうかのように毎日ただ狂っていた日々。それでも、誰に何を言われても気にとめず、図々しく生きるふてぶてしさというか、しぶとさを持っていました。自分自身も人生もなかば投げやりで、だからこそ大胆にがむしゃらに生きていられたのだと思います。それにくらべて、大学も卒業して職に就いた現在では、やることなすことすべてが守りに入ってしまった感があって、失うことをおそれたり臆病になりすぎてもいます。そしてこんなに落ちこんで、ふてくされて、みにくいほど卑屈になって。今のほうがよっぽどダメ人間だとも言えます。笑われるでしょうか、あのころの私に。彼は私よりも自分のことをずっとよく知っていた気がします。自分のスタンスをわきまえていて、その範疇で行動していたように思います。私はどうでしょう。今回は過去の自分に諭されたような気持ちです。こんなこともあるんですね。
だから、もうちょっとがんばってみます。がんばるなんて人様に向けて言うべきものではないのでしょうけれど。でもがんばれませんなんて書くよりましだと思いますゆえ。<自嘲気味 もうちょっと。

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