引っかけハンカチ

2002/10/11

むかしのひび

さて。<さて? 私は醜いでしょうか。それは厚かましいでしょうか。自分の中にいくつも矛盾をかかえていて、自分でも理解しきれない多くの疑問をかかえていて、それが人なのに。私はわかりきったようなことをくり返していただけなのでしょうか。醜いのはどちらでしょうか。小さいことで悩んでいるのでしょうか。それは小さいことなのでしょうか。もっとつらい思いをしている人がいるというのに。私が捨てようとしたものはいったいなんだったのでしょうか。たとえるなら、パチンコでなかなか出なくて台を移ったのにそのさっきまで自分がいた台にほかの人がすわってやりだしたとたん当たりまくったような気分でしょうか。自分で気にしていて劣等感をもっているものにかぎって他人はあんがい気にしていなかったりするものなのでしょうか。それは身勝手な解釈でしょうか。あるべきもの、もって生まれたもの、そこからのがれることなんてできやしないのでしょうか。仮想現実だったのでしょうか。現実逃避だったのでしょうか。ビットの配列に置き換えられたストリームを補間したところでなにをよみがえさせられるというのでしょうか。あのとき殺されました。私は自分をきらうことをおぼえました。気に入らない部分を切除して、きれいな自分をつくりたかったからです。それは正しかったのでしょうか。それともそこから歯車がくるいはじめたのでしょうか。変わりたいと思ってはいけなかったのでしょうか。ほかの多くのものを犠牲にして、その果てに得たものはなんだったのでしょうか。まだなにをさがそうというのでしょうか。口は災いの元、なんてありきたりですがよく言ったものです。つくろえばつくろうほどみじめになります。自分が理解されることなんてあるはずがないのに、それでもなにかを期待していたのでしょうか。ありていに言えば無様でしょうか。どうして話を複雑にしたがるのでしょうか。口うるさく取りざたするから敏感になってしまうというのに。過剰反応が問題をねつ造するというのに。どうして結論を急ぎたがるのでしょうか。どうしてひとつのことにこだわろうとするのでしょうか。それは弱さでしょうか。こわさに負けただけなのでしょうか。かといってにげることも失うことも受動的で、いつも責任を放棄して、そんな私をだれが相手にしてくれるというのでしょうか。知らなかっただけなのでしょうか。知られてはいけなかったのでしょうか。知ってはいけなかったのでしょうか。それとも知らなさすぎたのでしょうか。もっと泣いてしまえばよかったでしょうか。雨に打たれて熱でも出してしまえばよかったでしょうか。記憶を蒸し焼きにするほどの高熱に。もどれなくなることがわかっていたのに首をつっこもうとしただけなのでしょうか。それは滑稽でしょうか。ひとつの主張ですべての考えを塗り固めてしまう必要はあったのでしょうか。最後の糸が切れたら私はいなくなってしまうでしょうか。それさえも本望だなんて思っているのでしょうか。そして。けっきょくはたくさんある選択肢の中のひとつにすぎなかったということでしょうか。なにかべつのものをさがした結果なのでしょうか。そして捨てられる運命なのでしょうか。きっとくり返すだけなのでしょう。きっと同じことを言っているのでしょう。言うだけなら簡単です。あきらめたふりをするのは簡単です。それはけっして勇気などではありませんでした。そんなものは必要ではありませんでした。自分をさらすこと、それはただの露出狂です。恥さらしです。プライドのかけらもありませんでした。それが醜いと言っているのです。私は醜いでしょうか。

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