For フルーツバスケット

2002/10/31

むかしのひび

ondです。こんな荒れっぷり日記月間もおそらく最初で最後です。そしてラストテーマもずっと前に決めていました。<もはや日記ですらなし 自己紹介ページの誕生日は?という質問に私はその期日でなく「誕生日が自分にとってどのような日であるか」についての考えを答えました(2002/10/31現在)。親や周囲の人のことはもちろんですが、自分の人生のいろいろなことを振り返ったり考えたりする、いわば節目にあたる日と言えるかと思います。私はもともと記念日のたぐいにはあまり思い入れがありませんでした。たまたま日付が以前になにか起こった日と同じというだけで、それ以外はなんの変哲もない、ほかの日となんら変わらない一日にすぎない、という考えが強かったからです。そもそもカレンダーや日付は人間が考えてつけただけのもので、そんなことはおかまいなしに太陽や地球はたえずぐるぐる回っているわけです。これは人為的なものにあまり魅力を感じない私の性格のせいなのでしょうけれど、特定の日付にとくに関心をいだくということはしませんでした。それは自分の誕生日もしかりだったわけで。と余談はこれくらいにしても、子どものころから家族に祝ってもらうくらいの別段どうということもないふつうの日でした。まるいケーキの上のメッセージが書かれたチョコレートを食べて、うれしいことはうれしかったけれどとくに印象深いこともなかったといいますか。自分が歳を取っているという実感がなかったからかもしれません。その観念が一変したのは大学時代でした。保育園のお誕生会のようなものを除けば、はじめて家族以外の人に自分の生まれた日をそうやって祝ってもらうこととなったからです。これは不思議な感覚でした。他人の誕生日なんてふつう全然関係ないものですし知ろうとも思いませんし、いえすくなくともそれまでの私はそう考えていたもので、それが驚きだったというか、そのときようやく誕生日ってこんなにいいものなんだと感じてうれしくなりまして。あの日もらった子はもう里子に出してしまいましたが、それで思い出が失われることはなくて。それがきっかけで、自分の誕生日やその月に愛着がわくようになったり、友人の誕生日を気にするようになったりというふうに意識が変わっていったと思います。
そんなほのぼのハッピーバースデーは1年目だけのことでした。しだいに私は荒れていって暗いことも考えるようになったのですが、そのときに思いつくのが誕生日でして。人生の節目、区切り、という意味です。誕生日が近くなると自分の人生にいっぱい疑問が浮かんできます。なんでここにいるんだろう、今までなにをやってきたんだろう、って。そしてつらいことや悲しい気持ちもいっぱい思い出して。そうしたら自分が生きていることになんの意味があるんだろう、こんな無駄なことをしていたってなにも残らないのに、生きていたって痛くてくやしい思いばかりしかないのに。だったらいっそ年齢がかわるその日を境に、自分に線を引いてしまおうと、ここで終わりにしてしまおうと、考えていました。19歳のとき、勉強も人間関係も進路もなにもかもが真っ暗で、どこにも抜け出せない牢獄に閉じこめられたような気持ちになっていました。不安でこわくて、そして一刻も早く逃げ出したくてそればかり考えていました。20歳を待たずに。世間では成人といわれるその歳をむかえるのが本当にいやで、できることならその手前で、子どものままの自分の時間を永久に止めてしまいたいとさえ。けれどそのときは友人が一本のカセットテープをくれまして、それでなんとなく通過したように思います。もちこたえられたんだと思います。20歳のときはかなり投げやり人生でした。ちょうどネッツ中毒だったころだったとも思います。もはや授業ってなんですかというほどの放埒ぶりで、ゲーセンで踊るかオタクなイベントに参加するかくらいの用事でしかまともに外出した記憶がありません。先のことなんて考えたくなくて、それは考えても絶望的になるだけだから、ずっとそこから目をそむけようとしていたのだと思います。そのときは友人がCDをくれまして、荒いだ気持ちがふっとほぐれていくようで、21歳になったらもうちょっとしっかりやろうと心に決めたときでもありました。21歳のこの時期は徹底的に関係を避けていました。留年が決まっていたこともあっての劣等感もあったんだと思いますが、自分の過去をくやんで、苦しみから逃れるようになにもかもを遠ざけていました。とくにさんざん痛い目に遭ってきた人間関係というものを本当に忌々しく思っていて、だれとも関係をもたずに孤独の中で生きてそして終わりたいとまで考えていて、それであんなことを言ってしまったんだと思います。私の22歳の誕生日を祝いたいと誘ってくれた人がいたのに、私はそれを断ってしまいました。そのあと激しい後悔にさいなまれまして、あれほど自分のしたことをつらく思ったことはありません。それと同時にようやく私にとっての大切なものをすこしずつ見つけていったんだと思います。いつしか、誕生日は私にとって生きることの節目、自分の人生を振り返って見つめなおし、ときにはそこでなにかに気づく、そういう日になっていました。
そして24歳をむかえようとして、私はふたたびこの場所に立っています。岐路です。今回はこの息をつなぎとめられる要因があるのかまだわかりません。いえ、私はいつもかけがえのない人たちに囲まれていますし、今もこうしてこんなにつたなくて気味のわるい日記を読んでくれる人がいますし、それだけ恵まれていてちっともさげすむことなんかないのに、それなのに生きられないなんて口にしたらきっと失礼にあたります。なので、とくに最近会ったり話をしてくれたみなさんには私のこんな姿を、さもつらそうな胸の内を見せなければならないのはなんとも心苦しかったりしますが、まあこれは日記というよりただの文章ですし、ホームページのいちコンテンツにすぎません。それはそう思っていただいたほうがこちらも気が楽だという点もあるのですが、やはり心の中身をそっくり取り出したり文章に表すことなんてできませんし、すくなくとも今の私にはそれだけの技量もしようと思う意志もありません。なにかがあっても、あるいはなにもなくても、おそらくはそのまま通過していくのでしょう。おそらくはちっとも成長しなかった自分をかえりみてため息をついてみたりするのでしょう。やはり誕生日といえどただ日付が過去に自分が生まれた日と同じというだけのことでしかありませんから、その日を境にしてなにが変わるというものでもありません。人間が変われるのは、毎日のちょっとずつの積み重ねの結果のみなのですから。けれどやはり、私にこういうことをまた考えさせてくれるきっかけをくれた日であったということは今年も変わらなかったようです。今年は人生で2度目の、自分の干支の年でもあります。これからの人生は長いのか、あるいはもう短くなってきているのかそれはわかりません。でもわからないから生きていけるのであって、すくなくともせめてその期限を自分でせばめたり決めてしまうことはやはりできないなあと感じます。いつ終わってしまうかわからない、いつかは終わってしまう、けれどだからといって無意味だなんてことはけしてなくて、だって生きていればこんなに楽しくて、たくさんいいことやすてきなことがあって、そして胸がはちきれそうなくらい待ち遠しいのだから。人とのつながりも、ひとつのことをなしとげる達成感も、こうして今ここにいるから、今まで生きてきたからこそ得られるものなのですから。たくさんのものと出会って、影響を受けたり成長したりして、そうして今の自分があります。愛されて、笑顔があって、そうやってつないできた人生があります。今ここにあるしあわせをかみしめたい、そんな気持ちにさせてくれる日、というのを誕生日のもうひとつの定義にしてもいいかもしれません。
…がんばったね。私は今までがんばってこられたよね。だからもういいよね。なにもくやむことなんてないよ。もう無理してつづけなくたっていいんだよ。きっとむだになんてならないよ。だから今はそっと目をとじていよう。せめて自分では自分のことをたたえてあげよう。私は私のままでいよう。きっとだいじょうぶだから。かなしいことなんてないから。これからも生きていくんだから。この場所で。

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