ゆくゆくはマエストロとして

2002/10/21

むかしのひび

チョコセラピー継続中です。今週も袋チョコレートを買ってきてちまちま食べております。症状(何)がひどいときには徳用大袋です。なんかこう、甘いものを食べていないと心が落ち着かないといいますか、浮き沈みがはげしい状態になってしまうのでそれをしずめる効果があるってみのさんが言ってたかどうかは知りませんが。いっときの平穏に心をゆだねる反面、こんなものでいやされている私ってなんなんだろうという気持ちもあったりなかったり。甘いものといえば先日は近所ですごく有名なケーキ屋さんのケーキを食べました。見た目がまず食べちゃうのがもったいないくらいきれいでして、味も格別といいますか、濃厚でまろやかな味わいでした。というかけしてダサメンがひとりで入れるようなお店ではないと痛切に感じました。仲間がいるって本当にすばらしいことです。人はひとりでは生きていけません。<極論 …こんなものでいやされている私ってなんなんだろう。
さて近ごろはやたらろうそくの炎に縁があるような気がします。ゆらゆらっとした弱々しい炎はついつい見入ってしまうふしぎな魅力があります。炎というと、一般的には赤くて熱くてものを燃やすものであって、たとえば火災の原因になったりするこわいものです。人間以外の動物はみな火をこわがります。いちど燃えてしまったら灰になってなくなってしまう、そういう終末的なイメージも持ち合わせています。そのことからも火葬というおこないが広く知られるのかもしれません。ですけれど、ろうそくの炎は弱いためにそのようなイメージや脅威はあまり感じられません。反対にやわらかさや温かみといった要素を強く持っています。今は冬でもエアコンを使いますが、昔はたき火や暖炉やいろりなど、火を囲んで体を温めていたものでした。そういう時代の感覚をどこかで受け継いでいるんでしょうね、やさしい炎のゆらめきにひかれるというのは。きっとそれは、心をも温めてくれる炎なのだと思います。それと、私はろうそくが燃えるにおいもすこし好きです。バースデーケーキのろうそくを吹き消したときのそれですとか。最近はろうそくがあまり生活に身近なものになっていなくなりつつありますが、ふと思い出したときに部屋を暗くしてそっと火をともしてみるのもよさげだな、と思いました。

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