人間が戦争をするのは言葉があるから by 山極壽一

2023/08/08

ツンデレ

やっちまったぜ。ごきげんよう。

自分の考えに近い情報しか見なくなるフィルターバブル、エコーチェンバー現象が問題視されています。
しかし個人の経験で言うと、その傾向が進むのも無理もない事情があると思ってまして。

他ならぬ自分もニュースソースをえり好みしている一人です。
ですがそれは意見が同じか違うかではなく、不快な発言が目に入ってこないかどうかで選んでいます。
新聞で言えば保守とかリベラルとかは問題ではなくて、政治家や異なる立場の勢力をバッシングするような書き方は見たくありません。

ぼく自身の反省点でもあるのですが言い方の問題で。
正論でも攻撃的だったり、有用な情報でも口が悪かったりすれば耳を貸してくれる人はいなくなります。
何を言ったかよりも誰が言ったか、発信元のサイトやアカウントを確認することの重要性にもつながります。

対象は記事本体にとどまらずコメントにも及びます。


狂ったコメントが書き込まれるニュースサイトやまとめブログは見ないようにしています。
公式アカウントへのクソリプなども決して開きたくありません。
かと思えばニュースを引用RTして批判する人もいて、なかなか避けきれないのが現実です。

他にも、下手にツイート検索しようものなら悪口の嵐だし。
タグは検索乞食の食い物にされてるし。
これでは視野を広げて情報を集めようという気が失せます。
話はそれますが某イラスト投稿サイトも、最近までAI生成物をフィルタリングしておらず地獄絵図と化していました。
ユーザーから検索の楽しみを奪った点で共通しています。

このように考えると、嫌な思いをしない情報源というのは実はかなり限られていると感じます。
インターネットは楽しみや生活をよりよくするためのものなのに、他者の怒りや悪意を我慢してまで利用しなければならない理由はないはずです。
精神衛生上よろしくない場所を避け続けた結果情報源が偏っても、それは仕方のないことなのかなと。

反対に言うと、そういうサイトやコメントを日々目にしている人は無自覚に負の感情を蓄積していることになります。
そうして次の攻撃者が生まれる、という悲しい連鎖。
今や匿名掲示板だけでなくネット全体が人々のはきだめになってしまったかのように感じます。

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