むかし習ったことや教訓などを、ひょんなことから思い出したりするときがあるかと思います。中学のときの担任がまたユニークな人でして。しゃべりはフレンドリーなのにちょっと怖かったり、授業はわかりやすいのにテストはむずかしかったり、教室におもちゃを持ちこんでも怒らないけど宿題とかの提出が遅れるとすごい厳しいっていう、そのへんメリハリというか道理をわかっていたり、なんとも特徴をあげづらい人でしたけれども。←自分の表現力のなさを棚にあげてるよこの人
学問よりも私はどちらかってーと哲学を学んだ気がします。ええ、考えかたのほう。勉強は楽しくやってなんぼだとか、あと学級委員をしていたときはクラスをまとめるためのアドバイスも受けました。そんな中でひとつ印象に残っているのが、おっぱいトークです。…つっこみは話を聞いてからにしてください。ホームルームだったか道徳の授業で、突如あらぬことをおっしゃるわけですよ。自分の体におっぱいがついている人は手をあげい、と。当時ウブなひよっこだった私はそれだけですっかり気が動転してしまったんですが、それにしたってなにがなんだかわかんない。そんなこと言われたって、男子はハア?ってな感じで手をあげないし、女子は女子で恥ずかしがってあげないし、そもそもそんなのわざわざ聞かなくたって…と102のだれもが考えていたと思います。そのとき担任が教壇の上でみずから高らかに挙手して言いました。「なんでよー、俺はおっぱいついてるぜ。ちゃんとふたつ。おめえらはねえのか? ハハーン?」(注:ハハーン?とは言ってません) わたくしこのひとことに思わず胸を打たれました。おっぱいだけに。<そんなこと言わなくていいし 説明するまでもありませんが、乳房に脂肪がついてふくらむのは女子だけだけどおっぱいそのものは男女どちらにもあるってことです。中学生ともなると突入せよ思春期事件って状態でして(事件?)、主に身体面での性徴というか性差なんかを気にしだす年ごろです。女と男はここがちがうんだっていうところにばかり得てして目がいきがちになってしまうこの時期にあって、性別がある前におなじ人間なんだってことに目を向けさせた担任のことばはとても意義があったように感じます。
まあ、こんなことも今だからわかるわけなんですが。当時は意味がよくわからなくても、大きくなってふと思い出したときに、あああれはこのことを言っていたんだなって気がつくときがある。それでいいんだと思いますし、そういうことがひとつでも多くあったほうが、過去の記憶と現在の成長とをアソシエートできるっていうか、あのとき学んだことはけっしてむだじゃなかったんだって思えるじゃないですか。きっとそれは素敵なことです。だって私はかつての教えからもうひとつの真実を知ったのですから。そう、男子だっておっぱいを攻められると弱いってことを!<エロオチかよ! …先生ごめんなさい私はこんな大人になっちまいました。
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