のどから手が出る英単語

2003/04/23

むかしのひび

産業再生機構に主役の座がタッチされたら整理回収機構はどこへ行くんでしょうか。こんにちは。まあ時事問題なんてどうでもいいや(神楽)(ん?)
さて、本日はスーパーハードな話題ですのでご注意くださいドア閉まりまーすプシュー。日本語が乱れつつある昨今をたいへんなげかわしく思う私なのですが、気にしすぎるあまり身動きがとれなくなっているような気がして。なんかこう、自分で自分を縛っちゃってるというか。いえそっちの意味でなくて、まちがったことを言わないようにしようと意識しすぎて発言そのものがすくなくなってしまうっていう。私もことばには自信がナッシングなのですが、いちおうサラリーマンという分別をわきまえるべき立場だから、っていう気持ちでしゃべりにも気をつかうようにしているだけのことです。ただ、そこに神経質な性格がプラスされるとやっかいでして。たとえば「ないです」という表現について。本来正しくない使いかたなので「ありません」と言い改めるようにしていますが、でも語尾が弱いと「あります」と聞き分けられなくなります。これでは文意が180度変わっちまいます。人前でいつもおどおどしている私にとってそこで大声出せってのはなかなか難しい話でして、身を切られるような思いで(!)しかたなく「ないです」を使ったりします。ほかにもら抜き表現ですとか、たいていの人はもうまちがいだと気づくこともなくふつうに使って会話しています。そこで私だけ本来の用法で言ったりすると、どうもあちらさんは自分のまちがいを言い直されたみたいに受け取っちゃうらしいんです。人の挙げ足を取るな、という感じでよく思われないこともありまして。私はもちろん自分のことを気をつけようと思っているだけで、ほかの人の話しかたについてなにか言うつもりはさらさらのサラサーティなんですけれど。けれど周囲の通念がどんどん変化していく以上、しだいに流されたり駆逐されていくんだろうなという予感はしています。悲しいことですけれど。…えっと、どっちが正しいとか文法のきまりだとか、そういう固いことを言いたいんじゃなくって、私はただ今まで自分がずっと使ってきた日本語をこれからも使いたいと思っているだけです。それがまわりや社会の変化によって影響を受けたり失ってしまうのはいやだというだけです。自分の中の正義を貫くって、とても辛抱がいることです。

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