チョコクーヘン対チョコクーヘン

2003/04/02

むかしのひび

アイコン別消去ってなんなんでしょう。ほのかにしゃくにさわってしかたがない今日このごろなんですけれども。これはなんなんですか、新手のあてつけですか。だってさ、どう考えてもさ、どういうときに使う可能性があるかって考えたら、ねえ、ほら、あれじゃないですか。こんなのものすっごくあからさまじゃん。要するにそれはアイコン単位でいっさいがっさいあれするやつで、いわば特定のカテゴライズにおける一括処理ルーチンでして、つまりまとめてごそっと消すんでしょう? だって、ねえ、そういう用途しか思いつかないじゃないですか、言ってしまえばほら、バッサリやっちゃってくださいみたいな。だからそのへんがとっかえひっかえ感っつーか、なんかこう冷めてるって気がしてさ、それが今の世の中なんかなってのもいっぽうで認めつつ、やっぱりそういうふうにそれまでのものをないがしろにしちゃうのはいいことじゃないと思うのよ。もっと言っちゃえばさ、ていうかはっちゃけちゃえばさ、メモリからメール消したところで心のメモリが消えてっちゃうわけじゃないでしょ。<?! 履歴をきれいさっぱりクリアしてもそれで心の中までクリアになるわけじゃないでしょ。だからそういうの見てると、どうなんだろうねって。現代人がたどる末路の一端をそこに垣間見た気がするっていうか、すごくさびしいのよね。だって私たちはパソコンや携帯電話とメールをやりとりしてるんじゃなくてその向こうにいるだれかと話してるんだから。人間関係の広さや深さはけっしてアドレスの登録件数やメールの容量ではかったりできるものじゃないんだから。でも人間、ベンリな道具に慣れていくとそのへんの感覚が麻痺しちゃってさ、電子メールの束なんて所詮は無機的なビット配列でしかないのにいかにもそこに実体があるかのように錯覚してしまって。いかにもそこに価値があるかのように、あたかも心がこもっているかのように。そんなものよりもっと大切なものを伝えあうことに神経をさかなきゃいけないんですけれども。せめて、ものごとの本質を見失わないように。…なんか純粋に意味不明です没。

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