なら言葉の警察を呼びなさいよ (2)

2022/08/04

ツンデレ

メール便ってどれくらいで届くんだろう。ごきげんよう。

ネットニュースなどの誤字を指摘するのはもうやめたほうがいいと最近思ってまして。

某Google検索のスポーツ速報のように事実と反することを伝えるのは問題外ですが(ぉ
そうではなく、明らかな誤変換やべつに間違っていても意味が通じるものに対して、わざわざ指摘する必要があるでしょうか。
発信者に直接言うならまだしも、スクショ取って不特定多数に晒し者にするとか。
何の利益にもならないことなのに。

ネット以外でも、たとえばドラマの時代考証などに誤りがあると目ざとく見つける人がいますが。
そういう人を見かけると何が楽しくて見ているんだろうと考えてしまいます。
もはや作品を楽しむことが目的ではなくなっていることに気づいているのか。

新聞や書籍など有料の情報に対して品質を期待するのはまだ理解できます。
でもインターネットは情報料自体は無料。
にもかかわらず目くじらを立てたり顔を真っ赤にしたりすることには理解が追いつきません。
明らかに対価と釣り合わない要求をしていませんか、と。

日本社会に根強いクレーマー思考やブラック企業思想が背景だとにらんでますけども。


どんな些細なことでも相手に完璧を求め、ミスを許容できない。
そして、他人のすることを批判すれば自分も何かしたことになるなどと思い込むまやかしの達成感。

しかも批判は誰かが始めると、それを見た他の人が真似する傾向があります。
負の感情の連鎖を断ち切るためにも、批判に反応しないスルースキルを持った人が増えていくことを願います。
社会がダイバーシティを迎えるにあたっても、ミスを責めない寛容な姿勢が求められています。

関連記事

あまくだry: Edge「お帰りなさい」
あまくだry: 三省堂国語辞典 第八版
あまくだry: 「間違いを正す」という行為は人を「正しいことをしている」気分にさせてくれるということだ(終物語(下))
あまくだry: ダブルスタンダード
あまくだry: おもてなしのガラパゴス化

ソーシャル/購読

このブログを検索

コメント

ブログ アーカイブ