三省堂国語辞典 第八版

2022/05/17

何様

昼が長くなってきた! ごきげんよう。

批判って誰かが始めると他の人も後に続くよね、という話。

先日とあるスポーツの観戦に行ったときのこと。(バレバレだ)
試合中、レフェリーの判定に対して残念なことに応援席から野次が飛びました。
もちろん感染対策のため発声は禁止されており、あらゆる面でやってはいけないことです。
それまでも小声というか、隣の人と話すレベルで文句を言っている人はいましたが、グラウンドに向けて声をかけてはいませんでした。
ですがそのシーンでは、誰かが怒鳴ったのを皮切りに複数の人が次々に非難の声を上げていました。

そこで気づいたんですが、やはり最初の一人が大きなきっかけだったのではないかと。
怒鳴りたくても我慢していた人たちが、最初の怒声を聞いて自分もと後に続いたというか我慢できなくなったのではないでしょうか。
感染防止のため、また審判をリスペクトしなければという理性で感情を抑えていたのが、他の人が批判しているのを見て歯止めが利かなくなったのでしょう。

なんだか他の場所でも目にする構図だなと思って。


たとえば信号無視。
誰か一人が赤信号でも横断歩道を渡り始めると、他の人がわらわらと続く場面をよく目にします。
他人に釣られず律儀に待っている自分のほうが変な目で見られることもあります。
悪いことだと自覚していても、他の人がやっているのを見ると罪の意識が薄れることがあるのではないかと思います。

ネット炎上などはもっと顕著です。
掲示板やSNSで他人のコメントが可視化されるようになった結果、見た人の怒りを増幅させ雪だるま式にクソリプが増えていくお決まりのパターン。
関係ない人まで加わるのですからよけいたちが悪いと感じます。

最初に批判しだした人が最も危険であることは言うまでもありませんが。
大した主義主張もないのに後に続いて騒ぎを大きくするのも問題です。
無自覚に被害者を追い詰めたり、デマを拡散したりする可能性があるからです。

自分の中ではどちらのタイプとも距離を置くべきという結論です。
かと言って冒頭の話に戻って観戦に行かなくするかというと難しい問題なわけですが。

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