ホームページのタイトルはあまやどりなのにその作者はまるであまやどりをしません。<ダッシュで帰宅 だって待ってても弱まりそうになかったんだもん。家に着いてからもざんざん降りだったのでその判断はまちがっていなかったことを現時点をもって確信いたします(何) それにしても、きょうは風がなくて垂直に落ちるような雨だったのでさほど大事にはいたりませんでしたが、これからの時期ちゃちな折りたたみ傘ではしのぎきれないっぽい予感がひしひしと。かといってアレを仕事場に差していく勇気はないし。<ふつうの買いなさいよ
さて。そういえば先日、よそさまの日記で占いと科学のちがいについて書かれていました。過去の事例を統計だててパターンや規則を導き出すというプロセスは共通していますが、異なる点はその正当性を検証するかどうかにある、ということでした。理屈っぽい私は根拠のない占いにはあまり関心がありません。なのでその記事を読んでやたらうなずいてしまったのですけれど、そこでひとつの疑問がうかびました。天気予報ってどっちなんだろう。…なんですかその目は。そんなの考えるまでもないっておっしゃりたいんですか。いえね、天気予報こそたしかに科学の結晶っていうか膨大なデータと緻密な計算にもとづいてうんぬんかんぬん…たしかにそれはそのとおりなんですが、だったらどうして当たらないことも多いのか。それは気象の研究が未解明の部分を残しているからにほかなりません。雲が上空を通過するけれど雨が降るかどうかは結局のところわからない、だから降水確率なんていう推測でしかものが言えないわけです。そもそもの雲の動きや大気の運動だって制約条件が複雑すぎてシミュレーションもままなりません。もし風の流れとかが正確に計算できるとしたら、おじちゃんカメラかまえてスタンバっちゃうよ?<?! で、そうなると過去の統計しかたよるものがないわけで、刑事ドラマでたとえるところの状況証拠しかそろっていない状態にすぎません。こう考えると、まだまだ占いとしての要素も色濃いように思えてきます。
いま自分の中でいちばんホットな天気予報は「私の髪がいうことを聞かないの」なんですけれど。
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