ここにアロナワ

2003/02/12

むかしのひび

「きのうなにしてすごした?」って聞かれて「100個の質問に答えてました」とは言えなかったondです。ほんとうにそれだけで終わってしまった千夜一夜のプリンセスホリデー。
まあ100個もありますので答えやすいものもあればそうでないものもありました。私がいちばん首をひねったのが実は「文系か理系か」でして、いえ考えるまでもなく私は理系なのですが、それでも世間一般によく使われているこの質問そのものに対しての疑問っていうんでしょうか、すんなりとうなずけない部分がありまして。たとえば「高校は文系クラスだったか理系クラスだったか」とか「大学の所属は文系学部だったか理系学部だったか」という聞きかたならば自分のデータですのでAかBか即答できます。そうではなくて判断基準があいまいなのですよ。自分はどっちだろうって考えるときになにを決め手にしていいかわからない、そういうことです。おそらくこの質問の意味として多くのケースで意図されているのは「文系科目と理系科目とどちらが得意か」「文系科目と理系科目とどちらがすきか」ということだと思われます。これがまたくせもので、勉強にかぎりませんが私は得手不得手とすききらいは別個のものだと考えます。へただけれど楽しい、うまいけれど気乗りしない、それぞれあってしかるべきです。ではそれぞれどうだったかと言いますと、得意なのはやはり数学や化学でしたので理系でしょうか。いっぽうすきだったのは高校では倫理、家庭科、体育がベスト3でしたので(<え)内訳を見てみると「文系:1、理系:0、それ以外:2」という結果になり文系ということになってしまいました。…八百長とか言わないでください。ここからすこし路線変更しますが、私は文系科目も理系科目もどちらも楽しかったですしがんばって勉強していたつもりです。たまたま進路がそういう方向に進んだというだけで、自分の中では科目や分野に思い入れの大きな差があるとは思っていません。実際問題として多くの科目が将来の生活に必要なものであり役立つものです。国語、日本国内では日本語ということになりますが、これを習得しなければ話になりません。文系に進もうが理系に進もうが論文を書きますしスピーチをします。もちろん日常でも手紙を書いたり本を読んだり人と話したりするわけですし。社会科だって都道府県名や戦国武将の名前くらい言えなければ日本人としていかがなものかということになります。大河ドラマを観るときにも困りますし。成人や社会人として政治や経済の知識も必要です。英語だってよりアドバンストな市民をめざすならぜひマスターしたいものです。理科はもともと生活に根ざしたテーマを究明することがベースになっていますので、知識があれば生活になにかと幅が出てきます。動植物の生態もそうですし、ものが燃えるしくみ、なぜ季節があるのか、なぜ乗っているバスが急停車したときに前につんのめるのか、などなど興味深いことばかりです。こうした科目となぜか一線を画しているのが数学だったりします。もちろん初歩的な計算は日常的に使いますが、それより先のレベルの話といいましょうか、一見すると実用的ではありません。いえ実際は高度な計算能力こそが現在の高い技術水準をけん引しているんですけれど、そこはどうしても縁の下の力持ち的存在になってしまってあまり注目されることはありません。数学がなかったら世の中で広く普及している便利な道具や機械の数々は生まれてこなかった、私はそう思っていますが、授業科目としてはそうした魅力や楽しさを伝えきれていないというのが現状のようです。それに論理的思考をみがくというもうひとつの重要な鍛錬も軽んじられている気がしてなりません。と、それてしまったかもしれませんが、文系か理系かを進路選択するときになにを基準にして決めましたか。明確にこの分野を専攻したいっていう志望があれば迷うことはありませんけれどそうでない場合。おそらく「数学」じゃありませんでしたか。数学がまあまあできるから理系にしよう、数学が苦手だから文系にしよう、といったように。とくに後者は判断理由として非常に多いと思います。つまりです。「文系か理系か」という質問は単に「数学がきらいかすきか」を聞いているだけなんじゃないかと思うのです。ほかの科目は文理問わず学ぶ必要性や有用性が認められているけれども数学はそうじゃない、と一般的に思われているのかなと。ひとりだけのけもの扱いされているようでつらいなと思います。私はもちろん数学はすきですがべつに一途な思い(?)というわけではありませんので、やはり文系か理系かという質問には答えづらかったりします。……なんてどうでもいいことを長々と考えるあたり典型的な理系人間の性癖なのでしょうけれど。<ようやくオチました

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