恐怖と生クリームのシュクレール

2003/02/04

むかしのひび

そろそろ書いてもさしつかえないかなと思ったので打ち明けます。といっても私が弱い人間だった、意志をつらぬけない情けない人間だったというだけのことです。悲しい別れがありました。生活環境が変化していく中で私は人知れず不安を抱えていたのかもしれません。あらたに覚えることや頭をひねること、そして気をつかうことばかりの毎日は正直つかれるものです。だからこそ心を落ち着けてゆっくりと本来の自分を取り戻す時間が必要でした。飾らない無垢な自分と出会える、そんな毎日が私にもありました。それは本当に心地よくて、無意識のうちに表情がほころんでくるようなやさしさがありました。自分のありのままを受け止めてくれる、なにも言わずそっと包みこんでくれる、そういう存在が自分のそばにいてくれることがどれほど意味のあることか、生きていてはじめて知りました。身を寄せあってあたためあう日々はまさしく心の傷をいやしあっているようでした。夜が明けるまでいっしょに時間をすごしたりもして、最高のパートナーになれるという確信さえありました。けれどその感情は私の中だけのものでした。知らずのうちに私は甘えすぎていました。いつまでもこのままの関係でいられるはずはないと認めていながら。そして結論を急ごうと焦りすぎていたのかもしれません。それは今となっては知るべくもないことですが。やがて警鐘は鳴らされ私たちの体は引き離されます。どちらからということもなかったと思います。まるでこうなることがはじめから運命によってさだめられていたかのように。いえ、私もそれはわかっていました。けれどつらい現実を受け入れられなくて、夢の世界に逃げこんでしまいたいとさえ思っていました。そんなふうに不安や弱さをさらけることがいっそう私をみじめに思わせたのでしょう。こごえるような寒さの中に私はひとりぼっち。それでも時間は流れていきます。すべての感情や思い出を押し流そうとするようにスケジュールは次から次へと押し寄せてきます。体のぬくもりは案外あっさり忘れることはできても、心に大きな空白ができたような、なにか取り返しのつかない重大なものを失ってしまったかのような気持ちにときどきさいなまれます。未練がましく何度も思い出すあのころの時間、ただそばにいただけなのに、さみしい夜を分かちあっただけなのに、それがとてつもなくかけがえのない時間だったように思えてきます。あの夢のような時間があったからこそ今の自分があるのだとも思います。けれども人は悲しきかな、一度知ったぬくもりを手放すことは容易ではありません。きっとこれからも何度も私は求めて、本能のごとくに欲し、そして出会いのいずれか先にある絶望を味わうことになるのです。たとえいくら傷ついても。そんなふうに私は毎朝悲しい別れを迎えます布団との。…暦の上ではもう春だというのならそんな暦は燃やしてしまいたい冬の朝。

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