謎でもなんでもないけどな

2002/11/16

むかしのひび

帰りにすこし繁華街をぶらついてきました。週末の夜は人が多くてにぎやかです。ちかちかとまたたくイルミネーションに気の早いジングルが自然と足取りを速めます。私はただ行くあてもなく、浮かれ気分で鼻歌をまじらせることもなく、人の波を逆行するように押し入って歩いていました。おなかが鳴ってもなにも口に入れたい気がしなくて。こういう場所に身をおくことで気をまぎらわそうとしているだけなのかもしれません。目に映るすべてのものが明るくて、楽しくて、あたたかくて。そんなものを見て回ったってみじめな気分がいっそう重くなるだけだって、わかっているのに。
必死な姿。それは関心を誘うのではなく、ときに見るものの心をいためます。ちょっと大通りをはずれてさびれた商店街を歩きました。それぞれのお店から大きなかけ声が響きます。夕方と呼ぶべき時間帯ですが日が落ちるのが早い季節のためもうすっかりあたりは暗くなっていて、照明もメインストリートよりは少なく通行人もまばらです。そのひとりひとりを呼び止めるように、店員さんがめいめいの店先に出て売り込みをしています。きっと寒いのでしょう、両手を胸の前でもみあわせたり息を吹きかけたり。この国ではもう長いこと不景気がつづいています。だれもが苦労しているのだということが、この道ばたに立っていると伝わってきます。きょうのお客さんを獲得することに奔走して、明日尽きるとも知れぬ生活をかかえていて、でもそれは商店の前をよぎる人たちも同じ状況にあるわけで、やはりそれぞれが心を鬼にして財布のひもをかたくします。それでも笑顔をたやさずに声をかけつづけていました。
その光景に私は胸がしめつけられる思いがしました。涙ぐましさとはこのことを言うのだろうと感じました。生きるということ、ただそれだけのことなのに、それがいかに大変なことかと。不幸ではないのに、めぐまれていないわけでもないのに、それでもこんなに苦労していて、先行きが見えないというまっ暗な不安に毅然と立ち向かっている姿。明るいネオンや楽しいニュースの裏にはこんな窮状があって、さびしさと悔しさを背中合わせにしてけれどそれに寄りかかることなくきょうも笑っていて。つられて泣いてしまいそうな、笑顔でした。

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