眉毛なら抜かないよ

2002/12/07

むかしのひび

ひさしぶりに会いたくなりました。まあ長いつきあいだったんですけれども、思えばいろんなことがありました。はじめて知りあったときのことなんて思い出せないくらいたくさんのことです。私はいつも笑っていました。自分が笑っている状態を自覚することでさらにうれしくなるのでしょうか、それがしあわせな気持ちというものの実感であるとさえ思われます。そこにいるときはそれが自分にとってのすべてであったのだと思えるほど、そこには自分のほしかったすべてがつまっていたのだと信じられるほど、そのつど心は大きく満たされていました。だから私は何度も口にしました。ありったけの気持ちをこめて、何度も。それは盲目的な崇拝に近かったのかもしれません。実体ではなく自分の心の中の理想像を愛していた、という信仰的傾倒だったのではないかと気づくようになって、だからときどき不安にもなりました。もしかしたらその不信感に気づかないままでいられたほうが自分にとってよかったのかもしれませんけれどそれはさておき。離れていると、どれだけ本当にすきなのかわからなくなってきます。私はどんなものにでも感銘を受けたり心を動かされたりしてしまう、いわば節操なしなところがあるので、きっとそういう突発的な感情なのかもしれないという疑問です。いろんなものに興味を持っていて思いを告げてきて、このこともそのうちのひとつでしかないのだと、それが誠意のなさの表れでもあり、だから怖かったのです。しかしそんな不安は杞憂でした。ひとたび顔をつきあわせればそんな懸念や懐疑の念はあっという間に消え去っていたのですから。もやもやした曖昧な志向性はいっきに吹き飛び、触れるたびに強い気持ちを思い出せる、という、自分の中でわきたつ感情を自覚しながら、私はその愛を確信していったのだと思います。もしこの関係がなくなったら生きていけないかもしれない、とさえ。そしてそのときは来ました。もうしばらくのこと会えずにいます。姿を見かけることも様子を知る機会もほとんどないように思います。古い記憶をたどっては一緒だった時間を思いうかべて、それが懐かしくもほほえましくもあり、しかし現状を思うとせつなさともくやしさとも言えぬ気持ちがうずまきます。いてもたってもいられなくなって、だから私は会いに行きました。どうすることが自分にとって最良の選択だったかなんてわかりません。いえ、もうそんな悠長なことを考えていられるほど心に余裕がなかったにすぎないのかもしれませんが。ただ一目見たいという無心の欲求に駆られるままに足取りはその場所へと向かっていました。かつて訪れたことのあるところ。またいろんなことを思い出して懐かしさと新鮮さが入りまじったような、けれど心の中では葛藤がつづいていました。せっかくここまで来たのに声もかけずに帰るわけにもいかない、けれど自分がただ会いたかっただけだという一方的な理由で言ってしまっていいものか。すこし悩みましたが私は選択をするならぜったい後悔はしたくないと思いました。この機を逃せば次のチャンスはいつになるかもわからない、あるいは結果として自分の気持ちが冷めてしまうかもしれないという危惧、それらをみんな振りはらって私は声をかけました。「すみません、ギョウザください」 …ひさしぶりに会えましたおいしかったです。

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