このダブスタクソオヤジ!

2024/11/14

何様

シ~~~カ~~~(あの歌)(何) ごきげんよう。

インターネット上で最近、電動キックボードに対する批判をよく見かけます。
安全性や交通ルールに始まり、果ては認可のプロセスがどうだったかなど。

それ自体は勝手に盛り上がって、どうぞという感じなんですが、個人的には別のことが気になりまして。
某デリバリー代行サービスも配達員の交通違反や危険運転が問題になっていますが、そちらに言及している人はほとんどいません。
既存の自転車やバイクとはいえ、同じように批判の対象になってしかるべきなのに扱いに差が生じています。

理由には心当たりがあります。
そのサービスを利用している人が多いからではないでしょうか。
だから受け入れているというか問題視していないというか、あるいは強く言えないというか。
そうですよね、だって声高に否定したら規制がかかったり使えなくなったりするかもしれませんものね。
対する電動キックボードはまだ利用者が少なく、使ったことない人がニュースを引用して批判している状況だろうと推測します。

ぼくはそのような論調は振りかざしません。
見たこともないものに対する想像ではなく、実態を知ったうえで判断するようにしています。
配達員による迷惑行為は自身も何度も被害に遭いましたし、かれらを平気でトカゲの尻尾切りに使って責任逃れする運営会社の卑劣な対応にも心を折られました。
この国に存在してはいけない企業だとすら思っています。
だからこそ、現場の実情に即した議論がなされていない世間に対して違和感を覚えます。

何が言いたいかというと、自分が知っている、使っているから善、そうでないから悪という自分本位な判断基準の人大杉。


かつて老人が携帯電話に逆上していたのも、自分が知らないものに若者が夢中になっていることが許せないというひがみからでした。
高齢者のスマホ普及率が増えた今、怒声はすっかり聞かれなくなりました。
自分が使ってみたら便利だった、悪いものじゃないと気づいた。
所詮それだけのことだったのです。

以前にも指摘していますが、人はひとたび便利さに染まると、それを否定する考えが受け入れられなくなります。
環境問題から目を背け続けているのがその最たる例です。
レジ袋有料化にあれだけ文句が相次いだのもいまだに忘れられませんし、高いコンビニや不祥事だらけの通販サイトから客が離れようとしません。
客観的、合理的な判断ができなくなっているのです。

そんな人たちが何かを批判したところで、どうせ自分本位でしょと冷ややかに見ている自分がいます。
似たような問題が起きている二つのサービスに対して、一方はよく知らないから叩く、もう一方は自分がお世話になっているから擁護する。
そんな発言を拾う必要も、そこから議論を膨らませる意味もありません。
世の中に絶対的な物差しを持っている人なんかいないし、誰だって自分に見えている範囲のことしか語れない。
ということを常に頭に入れておいたほうがよさそうです。

そういう自分もこうして「批判の批判」をしている点では同じ穴のむじなです。
他人の言動について、自分には見えていない事情や理由があるのかもしれない、と考えるようにはしていますが。

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