ロケ地:ブラッドプール

2008/06/27

むかしのひび

素人考えなのを承知で書きますが……、終身刑の導入を強く望みます。
このところの死刑廃止論の動きとか、あと死刑判決の増加や死刑執行の加速化な流れを受けての意見なんですが、まず死刑判決が下るような凶悪犯罪が増えているということは、死刑の存在が犯罪の抑止力になっていないことの裏づけであると言えます。
ニュースなどでこうした事件の犯人の供述を見ていると、「人を殺せば死刑になると思った」など、死刑判決を望むかのような発言が目立ちます。自分の人生に絶望して、そして自らの命を絶つ手段として死刑というものに思い至ったのでしょうか。そうだとしたら、巻き添えをくって犠牲になった人が浮かばれなさすぎます。
そもそも刑とは懲罰、つまり罪人をこらしめるためのものであるべきであって、被告が執行を望むような刑では意味をなしません。他にも刑務所でおまんま食べたいがためにわざと罪を犯す人もいますし、そんな人を刑務所送りにしてもそれはもはや刑罰とは言えないのではないでしょうか。
そこで終身刑です。
終身刑導入に反対する人の主張は、受刑者の生涯を完全に決定づけるなんて残酷だというものらしいんですが、だからこそ逆に刑として意味があると思います。誰もが受けたくない、つらいと思えるような刑でなければ、判決の重さ、罪の重さが社会の中で共有されませんし、犯罪の抑止にもつながりませんから。
それから、たとえば被告が裁判中に事件を反省する態度を見せなかったり、被害者や遺族に謝罪しなかった場合、死刑の執行によってそうした機会が永久に失われることになります。それよりも、終身刑を与えてずっと服役させる、言葉は悪いですがずっと生かしておくことによって、将来いつか改心するかもしれない。自分のしたことの重大さに気づいたり、悔やんだり、すまないという気持ちを抱く日が来るかもしれない。その可能性に賭ける方が、被害者にとっても浮かばれる結果になるかもしれませんし。
現在の刑法の問題点は、死刑と無期懲役との間に開きがありすぎることだと言われています。この無期懲役というのがくせものでして。有期刑よりは重いとされているけれども、「無期限」ではないし、実際どれくらいの長さになるのかわからない。いつか出所できるらしいんですが、それを誰がどんな基準で決めているのか、一般には知られていません。
こんな曖昧な量刑よりも、もっとシンプルな内容(ずっと刑務所から出られない)の方が社会的にもわかりやすいはずです。裁判員制度の開始にあたっても有用な選択肢となるのではないかな、と期待もするのですが、どうでしょう。

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