ことしに入ってからずっと生活がカツカツでして、遊ぶ時間が取れていません。いえ、しっかりアニメ見たりマンガ読んだりCD聴いたり、あとアニメ見たりしてはいるんですけれども、そうではなくてもっとこう外向的な。どこかに出かける機会がないというか、人と会っていないです。最近した会話が「お弁当温めますか?」だけだなんていう病んだ話を耳にすることがありますが、コンビニにあまり行かない私はそれもありません。
こういうときに、自分の人づきあいの薄さを思い知ります。昔から友だちの少ない子でした。奇行が目立ったのでよく注目されてはいましたが、正面切って話ができる相手がなかなかできません。会話の受け答えが変で、そもそも人の名前も恥ずかしくて呼べないのだから当然です。とくに女子と話すのは、なぜだか昔から苦手でした。同級生を家に連れてくることもあまりありませんでした。私が友だちの家に行くことはそこそこあったので、やはり積極的に話しかけられないたちなのでしょう。
そんな子だったので、進学などで環境が変わるときは、勉強の心配よりも人間関係の心配ばかりされました。中学校に入学するときは、小学校の担任の先生が裏で手を回して、当時いちばん仲がよかった子と同じクラスに入れてくれました。高校に上がって、それほど得意でなかったバスケット部をつづけたのも、競技そのものの上達よりも、集団生活に身を置くことで協調性やコミュニケーション力を高めたかったという目的のほうが大きいです。大学での下宿先は、寮のような共同生活をしているところをえらびました。…まあ結局そこでも打ち解けられなかったわけだが。
改善策があまり功を奏さないばかりか、人間関係に対する疲労感をおぼえるようになりました。大学で人とたくさん言葉を交わしたり、オフ会などで見知らぬ人たちと顔を合わせると、家に帰ってからどっと疲れが出ます。ひとりで閉じこもっていたい、だれとも会いたくないという気持ちに襲われます。初めはその気持ちが一瞬のものでしたが、回を重ねるごとに時間が長くなってきて、生活に支障をきたすまでになりました。ひどいときは、人がおおぜいいる教室やお店に入るのも怖くなって。知らない人と接するのも知った顔に会うのも気が重くて、なるべく人目を避けて行動するようになりました。昼休みは人の来ない新校舎の裏庭に身をひそめて、家から作ってきた弁当を食べていた時期もありました。
そんな過去をへて、今の私はどうでしょうか。会話に対しての抵抗感はなくなったものの、自分の時間に固執したり、余裕がないことを言いわけにして、積極的に人とつきあおうとしないところは何も変わっていません。自分のことを語るのも相変わらずできません。もっとこう、思っていることやしようとしていることをだれかに話して共有する、ということができないとだめなのかな、と。人並みの生きかたにはまだまだほど遠いという気がしています。それとも高望みしているだけでしょうか。
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