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2006/04/29

むかしのひび

やどりぎについて話します。プロでもないのに自筆の小説の解説をするなんて最強に寒い行為ですが、まあめったにしないことなので許しておくんなせえ。
ホームページの名前があまやどりなので、雨にちなんだ話を書きたい、というのは当初から考えていました。先に思いついて執筆を始めたのは雨河童ですが、こちらは話のほうも文章としてもすっかり破断してしまって、完全に手づまりになりました。もはやただの失敗作ですが、恥さらしの意味で公開を続けています。気に入らなかったら削除すればいいと軽く考えていたのでは、いつまでたっても自分の納得のいく文章を書ける力がつかないと思ったので。
それはそれとして、仕切りなおして次のアイディアへと考えをめぐらせました。あるとき、少女が木に登って雨露をしのぐ場面というのがイメージとして浮かびました。その子は木登りがすきな活発な子で、でも何かつらいことがあって泣いていて、そこへ木が心に語りかけてきて、…というふうに肉づけしていったら、話のもとができあがりました。
志恵は、私にとって理想の少女です。こういうところがかわいい、女の子らしいと思う特徴をすべてつめこみました。ふだんはモエモエばかり言っている私ですが、本当のストライクゾーンはまったくべつの場所にあって、それの具体像として生まれた人物とでも言えばよいでしょうか。人を慕い自然を愛し、感受性豊かで涙もろくて、純粋であるがゆえに悩み、自分に正直でありつづける。どれもいとしいです。ただ一点、ond節を語らせすぎてしまったことだけは残念というか、かわいそうなことしたなという気持ちですが。
もうひとつ書きたかったテーマは、…俗な言いかたになりますが、人間のキモさやイタさです。ond本人がキモキャラ・イタイ子なので、そういった人物や場面を書くときはやたらと心が躍ります。あたりまえに描かれる人間関係への対抗心といいますか、前提をひっくり返したいという気持ちがありました。
小説をふくむあらゆるフィクションの基本は、会話にあると思います。人と人が出会って言葉を交わして、そこから話が展開していくのが常です。ですが世の中には、そのとっかかりの時点でつまづく人もいるわけです。人前で緊張してしゃべれない、話がかみあわない、言葉につまると固まってしまう、外見や挙動から人に避けられる、などなど。子どものころから悩んできた私には、何の疑いもなく自然に会話が成り立っている世界のほうが違和感をおぼえたものですから、意思の疎通や対人関係のむずかしさにスポットを当てたかったというか。
やどりぎの今後ですが、早いめに次の第10話を書きたいです。それで完結にして、そのあとは次の小説の案が待っています。

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