私がどれくらい恥ずかしい人間かというとですね。
あるコンサートを聴きに行ったときの話です。私にはなじみの薄いクラシックのコンサートなんですけれども、たまにはこういうのもいいかな、という気持ちで行きました。さまざまな楽器やジャンルの人たちがグループで出てきて、つぎつぎに曲を披露していきます。管楽器のセッションや、オペラ歌手による歌もありました。初心者の客でも気軽に演奏を楽しめる構成だったので、とても満足しました。ぱちぱちぱち。問題はそのあとです。
そのコンサート、入場は無料だったのですが、チャリティーコンサートでした。世界の貧しい子どもや災害孤児への募金を観客に呼びかける、というものでした。それならば私も、と思い立ちまして。すばらしい演奏を聴いていい気分になっていたので、入場料の代わりというほどではありませんけれども、すこし出そうと思って。客席を出てロビーに向かいました。ロビーでは、募金箱を持った人が何人かいて寄付を募っていたんですけれども、その人たちというのが、ついさっきまで楽器を弾いたり歌をうたっていた演奏者たち本人でした。これには思わずとまどいました。演奏者に金額が見えるようにお金を出すということが、なんだかコンサートを値踏みする行為に思えてきて、非常に気まずさを感じました。私がもたついている間にも、ほかの客が演奏者たちのまわりにむらがって続々と募金をしていきます。ほとんどが紙のお金を。懐に余裕がありそうな、歳のいった客が多かったとはいえ、なんという気前のよさ。募金箱が投票箱に見えたくらいです。その光景を眺めていたら、百円玉を握りしめていた自分が急に恥ずかしくなったというか、みすぼらしく思えてきて、けっきょく何も出せずに逃げるように会場を出てきてしまいました。
頭で考えれば、寄付なんて善意だから大小なんて関係ないし、ましてや他人とくらべるものではないことはわかります。ですが、いざ自分の考えが人とちがうこと、見劣りしていることに気づくと、つい気後れして行動を躊躇してしまう傾向にあります。しかもこれ、私が23歳のときのできごとです。つまり今の会社に入ってからのことです。勝手がわからない子どものときや、金欠だった学生のころの話ではありません。いい歳した大人がこんなことでまごついて、ずばっと決断したりきびきび実行できない。そんな自分が情けなくてしょうがありません。
note
このブログを検索
ラベル
ブログ アーカイブ
-
▼
2006
(305)
-
▼
4月
(28)
- 楊枝を吐き捨てたときの実力
- 100てん>>>(越えられない壁)>>>100てん
- 下も黒なのか?
- これから死ぬ人間の何か
- 「スラムの花売り」という表現について
- トロッテリア
- 未来にも程がある
- 軽さを重く考えます
- ドリルでルンルン えみりゅんりゅん
- 「大丈夫なんだろうか」光線
- どとうのバロン
- オリーブマノンヴァージンオイル
- こっちも事例分析
- ゆり。だからすき。
- コーヒーを飲まない種族
- 一三十三一の中には十三が入っている
- せかせかフォンセカ
- BODY FEELS EXIT
- イベントが終わったダンジョンの監視
- ふわふわチーズ物性
- けよりな
- 工藤の人
- ラブ・セレブ
- 英雄的万引
- 一眠りするまで帰してあげない
- 通り名はKR
- 男子のウェイトレスが来てほしいなんて一言も
- きみはライバルじゃない
-
▼
4月
(28)
0 件のコメント: