教育再改革?が議論されているようですが。脱・ゆとりに向けてきちんと方向転換してもらいたいものですけれども。そのいっぽうで、ボランティア活動を必修にしようなんて意見も出されています。子どもたちが思いやりの心や人のためになにかをすることを忘れかけているから、ってところなんでしょうが、でもそれを学校で強制させるのってどうなんでしょう。自らすすんで参加するから本当に人のためになるし、本人もやりがいを感じられると思うんですが。それを義務にしちゃったら慈善の気持ちなんて育たない気がします。無理やり書かされた読書感想文のようですわ(何)。まあ、だからって、なにもさせないよりかはましなんでしょうけれど。
それともボキャブラリーの問題かもしれません。ボランティアっていうと、なんだか道徳的にとてもよい行いに聞こえてきて、だから教育にも取り入れようっていう安易なというか画一的な発想だなって気がして。それはどうも意味をとりちがえているんじゃないかと。自分のやりたいことに積極的にとりくむ意欲なり姿勢が第一なのであって、他人や社会への貢献度の大きさは二の次です。最近たるみが気になるのは二の腕です。<やかましいわ 英単語のvolunteerの元の意味は、志願兵です。自分から立候補して兵隊になろうなんて、なみたいていの決意じゃないと思いますよ? 不退転の決意ですよ?(なにが) それくらいお堅い単語なんですボランティアっていうのは。簡単に必修化なんて言ってほしくないものです。また、志願兵の対義語、つまり徴兵はdraft。こう、日本語のボランティアもドラフトも、意味はまちがっていませんがことばの受ける印象が英語とずれているように感じます。だって商品名にドラフトって入ってるのにビールじゃない酒とかあるしー。(そっちのドラフトかよっていうか、まさかそれが言いたかっただけなのか?そうなのか?)
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