そらこざ! そういうのもあるのか。<何 ごきげんよう。
あまくだryでは、かつて運営していたサイトも集約して2002年からの記事を公開しています。
今年で20年を迎えます。
古くははるか昔に書いたものですから、今では意味不明なものや青臭く感じるもの、病んでる(ぉ)ものも数多くあります。
それでも、基本的な考え方はそんなに大きくはぶれていない…と自分では思っているのですが。
特徴的なものでは、2005年に「性同一性障害は甘え」という主旨の日記を書きました。
LGBTとかが言われるようになる前の時代です。
当時もありのままの考えを述べたつもりですが、心残りというか今日までずっと気にかかっていたことがあります。
書き方や言葉遣いの問題のせいで、主張したかったことが正しく伝わっていないのではないかと。
本日は20周年企画(ザ・何)ということで言い訳や補足をさせてもらえればと思います。
ぼくの基本的なスタンスは、障害だと感じる本人の問題ではなく、感じさせる周囲の環境が悪いというものです。
相手の性別による決めつけや押しつけが今なお根強い世の中。
個人的にはセックスとジェンダーを混同しているものばかりに感じますがそれはさておき。
本人の性と、他人や社会が求める性に乖離があるから悩む人が出てくるのです。
裏を返せば、周囲からの先入観や好奇の目、ふるまいの強要などがなければ、自らの性に悩むという症状などそもそも存在しなかったのではないでしょうか。
体の性と心の性が一致しているかなどという疑問が生まれること自体なかったのではないでしょうか。
というのが当時主張したかったことです。
そのうえで当事者に対して感じたのは、取るべき行動は障害として認めさせたり法律を変えさせたりじゃないだろう、と。
古い価値観を振りかざす人たちと立ち向かわなければ根本的な解決になりません。
戦う相手を間違えるなというやつです。
あるいはガン無視というか、自分は何も間違っていないんだからもっと堂々としていたらいいのに。
その点を甘えていると表現したつもりでした。
ですがこれは、そんな強い意志を持てる人や行動できる人ばかりではないという配慮に欠けていました。
当時はぼく自身も「男らしさ」に悩んでいた時期でして。
でも考えたって仕方ない、気にすることはやめようと自己解決というか自分で乗り越えた経緯があります。
だからこそ被害者面をしている人たちがよけい鼻についたのかもしれません。
もちろん今では、自分にできたんだから他の人にもできるはずだという思考がご法度であることは理解しています。
誰からも否定されたりばかにされたりすることのない、性別やその他のプロパティに関係なく自分らしく生きられる世の中になってほしいという願いは昔から変わりません。
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