美術室のモンスターずって百合?(おまえはそれしかないんか) ごきげんよう。
みんなあれだけ文句言ってたのにいざ始まったらしっかり中継見ててなんかね。
じゃああの批判の渦は何だったの、と感じてしまいます。
怒りはエンターテイメント、と指摘される現代のネット社会。
不快になるようなニュースや記事をわざわざ見に行って、批判のコメントを書いてストレス解消する。
こんな人が増えましたから、批判といっても真剣なものではなく聞くに値しないと考えたほうがよいのかもしれません。
行動を起こす気がない口だけ人間ですからよけいみじめに感じます。
言った側にとっては軽口でも、言われた人や聞いた人にはその言葉が重くのしかかることがあります。
自分を否定されたと感じ、傷つき、時にはその後の生活を一変させる事態につながりかねません。
自分がどういうつもりで言ったかではなく、相手がどう受け取るかをつねに想像して言葉を使わなければなりません。
それなのに、たとえば友達同士なら「殺すぞ」といった言葉遣いが許されると思っている人が存在するという事実。
自分にはとても信じられません。
言った側と言われた側の感触にずれがある表現の最たるものであり、相手が拒絶しないからといって何を言っても許されるものではありません。
テレビ番組の出演者をひぼう中傷して自殺に追い込んだ事件もそうです。
そんなつもりで言ったんじゃない、こんなことになるなんて思わなかった、といった言い訳が報道でも聞かれました。
つまり、相手のことや事の重大さを考えず、軽はずみな気持ちで暴言を吐いている。
有名人にクソリプを送れるようになったSNS時代ならではと言えますが、でもツールのせいにしてはいけません。
言葉の重みを考えなければいけないのに、薄っぺらになる一方です。
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