前略ごきげんよう。
タイムトラベルを扱ったフィクションはいろいろありますが、その手段の一つとして描かれているのがタイムマシンなどの装置です。
そして、タイムマシンを作るのははぐれ科学者というのがもはや定番となっています。
でも理系人間に言わせてもらえば、科学者に非科学的なことさせないでほしいんですが。(でたよ)
何とかは魔法と区別がつかない、という言葉がありますが、それは科学技術の知識が十分でなかった時代の話。
今では、どんなに目新しいものが登場してもそれが科学的根拠に裏打ちされたものであると多くの人が知っています。
それなのに、なぜ科学技術の徒たる科学者がタイムマシンを作るという設定に違和感を覚えないのか。
考えられる原因の一つは、やはり知識の欠如でしょう。
タイムトラベルなんて論理的にありえないのに、いつか現実になると心のどこかで信じているから認知が歪むのです。
ただ知識がないのも無理もないこと。
時間旅行の実現性の議論の元となる、時間とは何か、なぜ時間が存在するのかを教わる機会はありません。
だって誰にもわからないのですから。
最初からあるもの、そういうものと受け入れて他の物理法則を考えるしかないのが人類の限界です。
それでもいつか技術が進歩したら実現するのでは、と考える人もいるかもしれません。
ですがそれは、それまで不可能とされてきたものが技術の発展によって可能になったという他の成功事例と重ね合わせているだけではないでしょうか。
しかも、科学技術によって実現できたものはそれまで思い描かれていたものとは必ずしもイコールではなく、いわば代替品です。
ゴールからの逆算ではなく、今の技術力でここまでは作れたけど、というレベルです。
(もちろんそれでも十分画期的だったりしますが)
極端な例ですが、「カーナビはどこでもドア」と表現する人がいますがもちろんカーナビはどこでもドアではありません。
どこでもドアに期待される機能のうちのごく一部分が叶ったにすぎません。
本音を言えば求めていたものにはほど遠いけどこれで妥協してやるか、という受け止めの気持ちがその表現に込められているのです。
科学的根拠にもとづかないものは科学技術では実現しようがありません。
でもかれら [誰?] なら何とかしてくれる、という期待こそ根拠のないものです。
そういう知識を伴わない無責任な期待が、疑似科学による悪徳商法をのさばらせたり、時にSTAP細胞みたいなのを持ち上げたりする危うさをはらんでいます。
現実世界でも人々が科学者に無茶振りをしているのですから、フィクションにおいてもさもありなんということでしょうか。
非科学的だとわかっていても期待を止められないのは、裏を返せばそれだけタイムトラベルを熱望する人々の思いが強いことの証と言えます。
時計を巻き戻してやり直したい、亡くなった人にもう一度会いたい、未来の自分や世界を見てみたい、などなど。
時間にまつわる人間の願望や空想はとどまるところを知りません。
昔「人は死んでも生き返る」のアンケートがニュースになったことを思い出します。
あれも最初は無知だと非難する人がいましたが、実は生き返ってほしいという純粋な願いだったのではという話になりました。(つまり質問が不適切)
その強い思いが、タイムマシンを作らせるという創作が次々に生まれる原動力となっていることは否定しません。
それに…。
メイドロボやエロハプニングを起こす機械を作るのもはぐれ科学者ですから萌えアニメには欠かせない存在なんですよね~。<台なしだ!
0 件のコメント: