なんて薄情な主人だと、なじられるかもしれない。
どうして今まで思い出そうとしなかったのだろう。
私がどうかしていた。けれど、言い訳をさせてもらえば、あの事件報告書に問題がある。
私自身がすでに消えたことになっていたのに、使い魔のことにまで気が回るわけがない。
この日も仕事を終え、自宅でくつろいでいた私の目の前に、いきなり空間モニターが現れた。
『やっほーっ、フェイト! このところ連絡ないけど、そっちはまだ忙しいの?』
「って、アルフ?!」
驚いてモニターにかじりつく。掴もうとした両手は、仮想画面をスカッとすり抜けた。
幼い女の子の姿をしているが、間違えようはずもない。赤い髪と獣耳、それに額の魔石。
私の知っているアルフの面影をそのまま残している。無事を知りほっと息をついた。
「わあっ、アルフだー」
『よー、ヴィヴィオ! フェイトやなのはの言うこと聞いて、いい子にしてるか?』
「うん! こんどね、なのはママと学校の見学に行くんだよ。たのしみー」
どういうことか、ヴィヴィオまでもがアルフと顔見知りらしい。
「ねえっ、アルフ、今どこにいるの? どこの世界? こっちから会いに行ける……?」
『どこって……実家に決まってるじゃないか』
「実家……? アルトセイムの?」
『……フェイト、ひょっとして疲れてるんじゃないかい? 次の休みにでも帰ってきなよ』
実家というのはこの時代ではすでに崩壊したとされる時の庭園のことかと思ったが、違った。
魔法の認知されていないとある管理外世界。その海鳴という町に、今の私の家はあった。
奇しくも、そこは九歳の私が、ジュエルシードを探しに旅立つ予定だった世界だった。
「アルフ、アルフっ……! 元気だったんだね……よかった、よかった……!」
「あははは……、苦しいよフェイト。これじゃいつもと逆じゃないか」
高層マンションの一室。玄関で出迎えた小さなアルフを、私は力の限り抱きしめた。
今までは、子どもの私を体の大きなアルフがかばっていた。なるほど逆転している。
「お帰りなさい。あら、なのはさんやヴィヴィオは一緒じゃないの?」
「ええ。今日は私ひとりです、……母さん」
奥から出てきたエプロン姿の女性――リンディ母さんとも言葉を交わす。
プレシア母さん以外の人を「母さん」と呼ぶことに、まったく抵抗がないではなかった。
でも、身寄りがなくなり管理局に保護された私を、養子として家族に迎えてくれた人だ。
――と、私自身のパーソナルデータに記されていた。いつの間にか、苗字すら変わっていた。
私が事件で出会った子どもたちに手を差し伸べるのは、きっと自身の経歴が影響している。
エリオやキャロを引き取った当時の自分自身の動機が、今なら何となく理解できる。
「それは残念。まあゆっくりくつろいでいきなさいな」
リビングに通され、紅茶の香りの湯気が立つカップを手にアルフとソファに並んで座る。
「えっと……、どこから話したらいいのかな。アルフはその……どこまで覚えてる?」
「……? 何のことだい? フェイト」
使い魔のアルフも私と同様に時間跳躍したのではと踏んでいたが、心当たりがなさそう。
「フェイトと契約してからのことなら、全部覚えてるよ。ご主人サマとの思い出だからね!」
「アルフ……ありがとう。そうだね、二人で頑張って魔法たくさん練習したもんね」
「まー、あの頃は勉強も魔法も遊びもご飯も、全部ごちゃ混ぜって感じだったけど!」
「ふふっ、アルフってば……」
体内時計で数えたらほんの数週間前までの――九歳の私の記憶を、分かちあえる存在。
十年後に飛ばされて以来、私は独りぼっちだった。誰も私のことをわかってくれなかった。
やっと出会えた。初めて出会えた。アルフへの愛しい思いから、頭を何度も撫でた。
気持ちよさそうに目をつぶり、尻尾を揺らすアルフ。大狼のときと変わらない反応。
――思い出を共有してないフェイトちゃんとそういうことしたって、嬉しくなんかない。
不意に、なのはの言葉が木霊する。私が道を踏み誤ろうとしたあの夜の、冷たい一言。
きっと、今私がアルフに抱いているような感情を、彼女は私に見出そうとしたのだろう。
「――だけどさ、急にあの鬼ババの命令でこの世界にやって来て。いろいろあったねぇ……」
「いろいろ……って?」
「いろいろっていろいろさ。フェイトも知っての通り」
……アルフとも、記憶が食い違っている。
私が覚えているのは、母さんに頼まれごとをされたところまで。まだ出発もしていない。
しかしアルフの中にはその続きがある。自分の体験として。主人である私との、思い出として。
過去を偲ぶように、アルフは「いろいろ」をつぶさに語った――。
ジュエルシードを巡って現地の魔導師なのはと激突し、全力で戦い、やがて認めあったこと。
本当の娘アリシアの蘇生を願った母さんは、最期はアリシアとともに虚数空間に落ちたこと。
やがてこの世界での生活を始め、なのはと同じ学校に通い、その後管理局にも入局したこと。
なのはが任務で大怪我をして、私が毎日見舞ったこと。それ以来、模擬戦をしていないこと。
執務官としてエリオやキャロに救いの手を差し伸べ、アルフも遊び相手になってくれたこと。
ロストロギア・レリックの事件を巡り、はやての元に新部隊を結集しようと誓いあったこと。
私は、いつしか目頭を押さえていた。
「……フェイト?」
「うぅ……っ、もう……戻れないんだ……」
時間をワープしてきたのでも、パラレルワールドに迷い込んだのでもなかった。
たった今アルフが証言した通り、九歳の私がいた時間と現在とは、完全に陸続きだった。
ただどういうわけか、私の十年分だけが丸々ブランクになってしまっていただけで。
私が認知していないだけで、時間はたえず流れていた。過去の積み重ねの上に、今があった。
アルフが子どもの体になった理由。状況が変化して、もう私を守る必要がなくなったから。
それだけ私は大きく、たくましく、強くなった。自分自身途方に暮れるくらい、遠い存在に。
気がつくと、アルフが居たたまれなさそうな瞳でこちらを見、シャツの袖を掴んでいた。
私の精神状態がリンクして、悲しい気持ちにさせてしまっただろうか。
「フェイト……。戻りたいの? 十年前のあの頃の――あんな暮らしに」
あんな、に怒気がこもっている。娘に無関心な母さんに、アルフはいつも毒づいていた。
「や、アンタの母親のことあんまり悪く言いたくないけどさ……。今のほうがずっとマシだって」
「そ……そうかな」
「絶対そうだよ……! 今の生活は不自由ないし、充実してるし、それにいつも笑ってる。
フェイトのこと大切に思ってくれる人たちに囲まれて、こんなに幸せそうじゃないか!」
「……そっか。アルフはずっと私のこと見守ってくれてたんだよね」
「いやアタシもだけど……他にもいるだろ? 十年間、変わらずアンタのそばにいた子がさ」
その言葉にはっとして、懐から金色の宝石――待機形態のバルディッシュを取り出した。
身に覚えのない長い空白期間も、きっと私の右腕として一緒に戦い続けてきたのだろう。
フレーム強化や新たなモードの追加は、十年の間のバージョンアップや改造によるもの。
真相を知った今なら、そう頷ける。別物なんかじゃないと。
そもそも、最初から別物だなんて疑うべきではなかった。
量産型ではない、リニスの完全自作なのだ。同じものが、世に二つと存在するわけがない。
掌の中のバルディッシュをまじまじと眺めている私に、アルフから突っ込みが入った。
「……フェイト、もしかしてわざとボケてる?」
「えっ? 何が……?」
「だから……使い魔とかデバイスじゃなくてさ。フェイトの一番大切な人は誰か、ってこと」
アルフの言葉を受けて、脳裏に浮かんだ人物。いつも私に穏やかな笑顔を向ける少女。
――急に、ミッドに帰りたくなった。
逸る気持ちで取り急ぎ帰宅したものの、なのはもヴィヴィオもまだ外出中だった。
肩を落としつつ、土産にと持ち帰った『翠屋』のケーキの箱を冷蔵庫にしまう。
それから自室に移動して、机の引き出しを開けた。一番奥に眠る、古びたリボンを取り出す。
一対の、薄いピンク色のリボン。私が趣味で選ぶ色じゃないから、存在が気になっていた。
海鳴でアルフに訊いたところ、答えはすぐ返ってきた。「なのはと交換したんだよ」と。
「……なのはだったんだ」
一本を慈しむように指に絡め、口元に持っていってそっと唇で触れ、鼻先に近づけた。
なのはの匂いがかすかにした――ような気がするけれど、微妙すぎてよくわからない。
私は、どうすればいいのだろう。
私の知らない十年の間のできごとは大体把握した。ただし、どれも伝聞形の域を出ない。
過去のデータを紐解いたり、他人から伝え聞いた知識だけでは、私の記憶とは呼べない。
失ったもの――十年という長い歳月を取り戻すには至らない。
真の意味でなのはと“思い出を共有”したことにもならない。では、どうすれば――。
とりあえず、十九歳のフェイト・T・ハラオウンとして今をひたすら生きよう。
十年前への未練は、もう消えていた。もう戻れないし――、戻りたいと願う必要もない。
後ろを向けないのならば、あとは前を見るしかない。今からでも、自分を始めるしかない。
「次元航行部隊に戻ったら、ティアナを私の補佐につけようと思うんだ」
後日、残業から帰宅した私は、制服の上着から腕を抜きながらなのはに報告した。
六課解散まで、残り数か月。その後のことも考えに入れなければならない時期にきていた。
……せっかく仕事に慣れて面白くなってきたのに。残念と言うよりほかない。
上着を受け取り、ハンガーにかけるなのは。――さながら夫婦のような自然なやりとり。
そのなのはの顔がぱあっと輝く。まるでヴィヴィオみたいな、花が咲いたような笑顔だ。
「それいいね! あの子も実務経験積めるし。フェイトちゃん、それ一人で決めたの?」
「ううん? ちゃんとシャーリーと相談したよ?」
答えると、なのははますます顔をほころばせた。
愛弟子であるティアナの進路が開けたことに喜んでいる、というだけではなさそう。
私が他のスタッフとも問題なくコミュニケーションが取れていることが嬉しいらしい。
初めこそ「人気者」の自分に戸惑ったけれど、今は人に頼られることが何より誇らしい。
――ずっと自宅の巨大庭園の中で育ち、誰かと友達になる方法も知らなかった私。
それが今、たくさんの仲間に囲まれていて。アルフの言う通り、なんて幸せな境遇だろう。
「だから採用試験に向けて今から……って、なのは?」
それまで機嫌よく私と話していたなのはの顔が、急に花がしぼんだように暗くなった。
「……フェイトちゃん。最近、『元の時代に帰りたい』とか言わなくなったよね」
びくびくしたような表情。私の反応を窺い、腫れ物に触れるような尋ね方だった。
そうだった。二人で模擬戦をした日以来、封印してきた話題。
なのはのつらそうな顔が見たくなくて、その話を出さないようにしていた。
避けていたのはなのはも同じだったらしい。それでも、ずっと気がかりだったのだろう。
……もっとも、最近では多忙な毎日に追われてそんなことすっかり忘れていたが。
「ああ――。ふふっ、何だったんだろうね、あれ。私にもよくわかんないや」
「もうっ……フェイトちゃんってば、人がどんなに心配して……」
「――なのは」
くりっとした丸い目を、まっすぐ見つめる。怖がるように身を強張らせるなのは。
緊張を解きほぐそうと努めて柔らかく微笑みかけながら、次の言葉を紡いだ。
「今度の休みの日、二人でどこか出掛けようか」
なのはの反応はというと……唇を震わせていた。とても信じられない、とでも言いたげに。
「そ、それって……。でもでもっ、フェイトちゃん記憶が――」
「戻ってないよ。過去のことは何も知らないし、わからない」
なのはは私が昔を思い出した、「フェイトちゃん」が戻ってきた、と考えたようだった。
だから以前のように誘ってくれたのではないか――、と。
残念ながらそうではない。そんな日は永遠に来ないだろう。おそらく……間違いなく。
けれど、なのはをこれ以上がっかりさせないための台詞を私は用意していた。
「だから……、これから新しく作っていきたいんだ。なのはと一緒の時間。一緒の思い出。
こんなの自分勝手だって思うけど……でも、もっとちゃんと知りたいんだ。なのはのこと」
そして願わくば――もう一度、友達になりたいんだ。
――と。
それが、アルフと会った日から今日まで考え抜いた私の答え。結論。そして、私の願い。
「…………」
返事は返ってこない。なのはは俯いて睫毛を伏せ、軽く唇を噛んだまま押し黙っている。
無理からぬ反応だった。……虫のいいこと言っているって、自分でも思う。
今までなのはの気持ちを顧みず、寂しい思いさせてきたのに、今さらやり直したいなんて。
……けれど。
「……どうしよう」
「なのは……? な、何が……」
「どうしよう……、――夢みたい。フェ……フェイトちゃんからそんな言葉……っ。
もう今までみたいに仲良くできないんじゃないかって諦めかけてたのに……!」
わあっ、と両手で顔を覆うなのは。糸が切れたように、すすり泣きに肩を震わせた。
やはり、ずっと私との関係が懸案事項だったんだ。ずっと、不安を抱えていたんだ。
まだスタートラインに立ったばかりだけれど、これでやっとなのはの支えになれる。
なのはの笑顔を、守ってあげられる。
あの夜の――感情もこもっていない、その意味の重みも知らないキスなんかじゃなく。
なのはの両肩に手を乗せて落ち着かせるようにさすり、そしてそっと胸に抱き寄せた。
「ふ……っう……」
「埋め合わせは、これからいくらでもするから」
ごめん、という言葉は使わないようにした。
なのはが欲しいのは謝罪ではないと思ったから。過ぎたことより、この先のことを。
なのはは顔を上げると、私の顔を間近で見つめ、まだ鼻にかかる涙声で言った。
「だ……だったら、ヴィヴィオは? 出掛けるんならあの子も入れて三人で……?」
「それもするつもり。だけど、最初はなのはと二人がいいな」
「……わわわわっ」
両手で私の上身を突き飛ばし、毛虫でも見つけて驚いたかのように飛び退くなのは。
「な、なのは……?」
「だってだって……! ずるいよフェイトちゃん、急にそんなかっ格好よくなるなんて」
「別になってないけど……」
「なってるもん! それで二人っきりでデートだなんて、わたし……わたし……っ」
私は一言もデートとは口にしていないのに、なのはが勝手に脳内変換してしまった。
……なのはがそう言うのなら、そういうことにして構わないけれど。
柄にもなくわたわたしているなのはの様子を見ていると、不思議とそんな気分になった。
「それで、どうする? なのはが問題あるって言うなら先延ばしに……」
「行きますっ! ふつつか者ですがよろしくお願いします!」
「そ、そう」
「――その前に、わたしからも言わせて。フェイトちゃん」
落ち着きを取り戻したなのはが、真面目な顔をして私に体を寄せた。
先ほど私がなのはを泣き止ませたときと同じくらい、近い距離まで。
「もう一度友達になりたい、って言ったよね? それ、違うと思う」
「どういうこと?」
「もうなってるもん。名前を呼びあった十年前から、わたしたちは一度だって切れてないよ」
「……。そっか……ありがとう、なのは」
「それに――」
そこで一旦言葉を切る。なのはの両頬に、赤みが差していた。
「『友達』だけじゃやだ。フェイトちゃんとはそれ以上の……」
とろんと眠りに落ちるようにまぶたを閉じ、こちらに向けて唇を軽く突き出す。
「な、なのは……っ」
のどを鳴らす音が自分でもはっきりと聞き取れるほど、思いきり生唾を飲み込んだ。
……たしかに、ただの友達ならこんなことしない。
まだ、なのはとの間に新しい思い出を築けてはいない。それでもいいのだろうか……?
逡巡しながらも、なのはにゆっくり顔を近づける。
――なのはが求めてきたからだけじゃなく、私も望んだから。なのはとの、その先の未来を。
一緒にいる時間の温かさ、くすぐったさ、心地よさ。ずっと大事にしたいと、思えたから。
思い出作りならここから始めればいい。最初の一ページが、関係を踏み越える最初の一歩。
意を決し、なのはの腕を掴む手に力をこめる。口と口が触れそうなほど接近したその瞬間。
「~~~~!」
「あっ……」
「お、おはよう……ヴィヴィオ」
隣の寝室のドアが開いて、ヴィヴィオが起きてきた。……ばっちり目撃された。
ヴィヴィオの顔面がみるみる茹で上がり、全身がぷるぷる震えだして、そして――。
「ま、ま、ま……ママたちのえっちー!!」
拡声器並みの大音量に思わず耳を塞ぎ、顔を見合わせて苦笑いする私となのは。
なのはと親密になるのは一筋縄ではいかないかもしれない――なんて、私は考えていた。
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