お台場 ダイバーシティ東京 プラザ

2020/12/15

何様

ごきげんよう。※特別な許可を得てあいさつしています …ごきげんよう。<何なの

「多様性を認めない人」を認めることも多様性のうち、という話をそろそろしないといけないと思ってまして。
(ていうか何)

障害への理解とか性的マイノリティーとかさまざまな働き方とか、世の中次から次へと新たな立場、新たな視点が出てきます。
いろんな人がいるから配慮しましょう、と呼びかけること自体はかまわないのですが。

しかし、このように対応すべき、このように行動すべきと一律に求めるのは問題です。
それは多様化とは正反対の画一化に向かう動きだからです。

疑問を感じる風潮のひとつが「女性の社会参加」です。
より多くの人が働けるようにする、あるいは管理職や議員の比率を是正する、といった目標を掲げてさまざまな政策や取り組みが行われています。
もちろん、採用や昇進で性別による差別があったり、家庭内で女は家にいるべきなどという押しつけがあったりしたらアウトです。
ですがそうではない状況で、働くかどうかはあくまで本人の自由なのではないでしょうか。
家から出たくない、家事に専念したい、仕事以外の活動に参加したい、いろんな希望があっていいのです。
一人ひとりが自分らしく生きられることこそが多様性なのですから。

働きたいと思った人に平等に機会が与えられる世の中にすることは当然重要です。
しかしそこで、働く女性は素晴らしい、そうじゃない人はだめだ、という価値観が生まれてはいけません。


他のケースでも、画一的になるのではなく個人個人の考えを尊重すべきです。
自分と違うものを忌避することは一種の本能です。
法律には従い、公然と批判はしなくても、内心ではどうしても受け入れられないことだってあるでしょう。
それでいいと思います。
自分の意見や価値判断をすぐに切り替えられる人ばかりではないのですから。

むしろ社会がそういう人を受け入れなければいけません。
だって誰一人取り残さないんですよね?(暗黒微笑)

というのは皮肉ですが、長年かけて社会に染みついた善悪や美徳のとらえ方はそう簡単には変わりません。
エスカレーターを歩かないようにするキャンペーンを例にとっても、自分は支持しますが、他の人にもそうしろとはなかなか言えません。
多くの人が、昔の人が片側を歩いたり駆け上がったりしていた姿を見て育ったわけですから。
世の中の考えが切り替わるには長い時間がかかるのではないかと感じます。

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