いわゆるストレートな質問キタコレですね

2020/07/14

何様

ヘボン式のヘボンってHepburnなのか! ごきげんよう。

相変わらず偏向報道はやめろという批判が絶えない今日この頃ですがいかがお過ごしですか。
(おまえは一体なにと戦ってるんだ)

人間が取材したり記事を書いたりする以上、多少なりとも主観が入るのは避けられない部分があります。
だから偏っていること自体をあげつらっても何にもならないのかなと。
それこそnot for meで終わる話です。

それでも存在し続ける理由を自分なりに考えてみたんですが、
「受け手が自分の頭で考えないから」
ではないでしょうか。

あ、ぼくは基本的に需要があるから供給が生まれるという考え方です。
つまりマスコミが悪なのではなく、偏った情報を欲する読者や視聴者がいるからだ、と。

いわゆるストレートニュースだけでいい、という意見は以前からあるのですが、実際にはそれを望む人ばかりではないように見受けられます。
ただ事実だけを伝えられても、それを自分でそしゃくできない。
それはよいことなのか悪いことなのか、社会や生活にどういう影響があるのか。
つまり…どういうことだってばよ? 状態になる。
誰かわかりやすく解説してほしい。

そう願う人たちの心につけ込むのが社説だったりコメンテーターだったりするわけです。
善悪二元論に単純化された図式を刷り込ませたり、他者を公然と非難することの正当性を誤認させたり。

何も既存媒体に限った話ではありません。



SNS上でも、元のニュース記事よりも誰かがそれにコメントをつけた投稿のほうがよく拡散されているように感じます。
トイレットペーパー不足を招いたのも、中国からの輸入が止まるなどという根拠のない解説がきっかけでした。
ネット民にテレビに踊らされている層をばかにする資格はありません。

余談ですが、インターネットは能動的に情報を取りに行っている、受け身じゃないと誤解されがちですが。
実際はニュースアプリやSNSに頼っているだけの人が多いのではないかという気がします。
タイムラインをスクロールする、リンクをタップする操作は、新聞をめくったりチャンネルを合わせるのと何が異なるのでしょうか。
さらに最近ではフィルターバブルという、自分の好きな情報しか入ってこないという問題も指摘されています。
受け身化、思考の硬直化にますます拍車がかかりそうです。

話を戻しまして。
結局のところ、一人ひとりが知識を蓄えてニュースを自分の力で読み解けるようになるしかありません。
もちろん簡単な話ではありませんが、だからと言って評価や善悪の判断まで他人に委ねてよいのでしょうか。
知らずのうちに扇動され利用される危険があります。
何かが起こってからマスコミのせいにしたりネットデマを批判しても時すでにお寿司なのです。

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