ザッカーバーグの雑貨屋さん感。<何 ごきげんよう。
ぼくが流行に飛びつかないのは「飽きる」のが怖いからです。
自分が飽きるのもそうだし、自分がやっと追いついたと思ったら
周りはすでに飽きていて取り残されたりということもあります。
かつて好きだったものに対して心が冷めることほど空しいことは
ありません。
古い漫画を処分するときすら身を切られるような思いをします。
なぜ買ったのかと自問自答が始まり、やがて自分を追い詰めます。
途中で飽きて投げ出すような中途半端な「好き」だったのか、と。
何かに夢中だった過去の自分を自ら否定するようなものですから。
そうすると、どうせ飽きるのなら最初から関心を持たないほうが
よいという考えになり、なかなか手を出さないようになります。
吟味が厳しくなって、やがて興味のアンテナも鈍っていくという。
趣味ですらそうなのです。
人間関係ともなると、相手が人間ですから飽きたからと言って
簡単に「捨てる」ことはできません。
だって自分から興味を持って近づいていった人に、じゃあ興味が
なくなったら一方的に離れていいなんて許されるんですか?
…いや世間ではそんなこと当たり前に行われてるでしょうけど。
そうなるとますます人間関係に慎重にならざるをえなくなります。
もともと他人に関心の薄い自分が、さらにこの思考パターンに
陥るともう身動きが取れず、誰とも何も始まらないまま時間が
過ぎていくだけという。
もう少し気楽に考えたほうがよいのはわかっているんですが。
それとも、情熱が冷めた自分の姿を見たくないという、単なる
わが身かわいさなのかもしれませんけど。
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