好きの反対は無関心() (2)

2017/04/25

ツンデレ

ザッカーバーグの雑貨屋さん感。<何 ごきげんよう。

ぼくが流行に飛びつかないのは「飽きる」のが怖いからです。 
自分が飽きるのもそうだし、自分がやっと追いついたと思ったら 
周りはすでに飽きていて取り残されたりということもあります。 
 
かつて好きだったものに対して心が冷めることほど空しいことは 
ありません。 
古い漫画を処分するときすら身を切られるような思いをします。 
なぜ買ったのかと自問自答が始まり、やがて自分を追い詰めます。 
途中で飽きて投げ出すような中途半端な「好き」だったのか、と。 
何かに夢中だった過去の自分を自ら否定するようなものですから。 
そうすると、どうせ飽きるのなら最初から関心を持たないほうが 
よいという考えになり、なかなか手を出さないようになります。 
吟味が厳しくなって、やがて興味のアンテナも鈍っていくという。 
 
趣味ですらそうなのです。 
人間関係ともなると、相手が人間ですから飽きたからと言って 
簡単に「捨てる」ことはできません。 
だって自分から興味を持って近づいていった人に、じゃあ興味が 
なくなったら一方的に離れていいなんて許されるんですか? 
…いや世間ではそんなこと当たり前に行われてるでしょうけど。 
そうなるとますます人間関係に慎重にならざるをえなくなります。 
もともと他人に関心の薄い自分が、さらにこの思考パターンに 
陥るともう身動きが取れず、誰とも何も始まらないまま時間が 
過ぎていくだけという。 
 
もう少し気楽に考えたほうがよいのはわかっているんですが。 
それとも、情熱が冷めた自分の姿を見たくないという、単なる 
わが身かわいさなのかもしれませんけど。

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