[むかしのなぞ] 2008/07

2008/07/21

総括なんてできなかった。言えるわけなかった。

自分によくしてくれる人たちの、期待を裏切ってしまう。仇で返してしまう。
そんな最低のことをしてしまうぼくが許せなかった。
生きている限り、人は人に迷惑をかけずにはいられない。それが真理だとしても。
疲れているから、なんてただの言い訳にすぎなくて。そして謝ってばかりで。
そんなだから閉じるんだろう。切れるんだろう。関係を、失くすんだろう。
いつまでも自分に自身が持てなくて。自分を好きになれなくて。
ただ、それで人に対して遠慮したり塞いでしまうのは、かえって失礼ではないか。
少なくとも、ぼくを見てくれる人の前では。

来てしまった。知ってしまった。思い出さざるを、得ない状況に囲われてしまった。
きっとこんなものじゃない。今醸している不快感などとは比較にならないような、厄災。
与えてしまうだろう。計り知れないほどの、甚大なショックを。
その日は少なからず来る。いつかはすべてを捨てて立ち去らなければいけなくなる。
回避はとっくに諦めている。自分は幸せをつかむことはできない宿命なのだと。
だったら、思うことは一つ。いかにして、他人に迷惑をかけないように死ぬか。
そのために為すべきこと。近づきすぎないこと。距離感を保つこと。気配を、殺すこと。
それが人生設計における指針、将来の目標であったはずなのに。

そのときまでは夢を見させてほしいと、願うのは罪だろうか。

2008/07/31

ぎこちないの。と、その子は言った。

大気の隙間を縫う風を、そのままに感じていたかった。髪を靡かせていたかった。
炭焼き小屋のような家で、水車の力で石臼を挽いて、夜の明かりはランタンひとつ。
蝉が笑っている。陽炎が笑っている。首筋を伝う汗が笑っている。きっと暑さも楽しい。
そんな生き方を夢見るのは、今やもはや憧憬にすぎなくなったのだろうか。
と言っても、自然環境の話ではない。そういう泰然さを、ぼくの中に見出せているか。
いつも焦って、時間に追われてばかりで。どうしてこんな窮屈なんだろうと、嘆いて。
楽園はあった。パスワードを入力すればいつでもどこでもログインできる、そんな場所が。
だったらなぜ、それを求めようとしない。快楽に溺れることに、懲りているのか。

嘘つきだらけのこんなぼくが、またひとつ、気の遠くなるような約束をしてしまった。
積極的になってはいけない、自分から首を突っ込んではいけないと、教わったのに。
すがるための依代だったのか。仲間として認めてもらうための、必須課題。必要経費。
いつだって、こんな打算的で。計算で物事を考えてばかりで。他人を利用してばかりで。
だから嫌だったのに。それなのに、どうしても。どうしようもなく、求めてしまう。
悔しい思いならいくらでもした。それを決して忘れるべきではないとも思っている。
だが。そこから得た教訓は、新しい可能性を試さずに看過することではなかったろう?
自分のことが嫌いでも、人生に絶望しても、それでも見捨てるわけにはいかないんだから。

カメラの前で自然に笑えるようになったその日に、きっと、叶うんじゃないだろうか。

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