[むかしのなぞ] 2008/04

2008/04/14

また、帰ってきた。性懲りもなく。

すべてを終わらせるつもりだった。
もう誰の元にも戻るつもりはなかった。
何もかもを清算して、きれいにして、ひっそりと消えていく。そんな末路を描いていた。
死に場所に、選んだつもりだった。
だが実際には、それは遂行されることはなく。
心細さに堪えられなくて。誘惑に打ち勝てなくて。絆されて。また蜜を求めて彷徨った。
なんて脆弱な意思。意志を貫けない。
結局ぼくは、自分を甘やかしてくれるぬるい環境の中でしか生きられないということ。

失敗を、恐れていた。また何かやらかすんじゃないかと。
新しい出会いは、いつだって緊張の連続で。見せず隠さず、の危ういバランスで。
最初の一歩を踏み出すことよりも、さらに高いハードルがあることを知った。
築くことより続けていくこと。なんと難しいことか。勇気を振り絞らねばならないか。
そして、どんどんと欲張りになっていく。卑しい人間になっていく。
一つ手に入れたら、もう一つ。次から次へと。図々しく、横柄に、遠慮を忘れて。
他人が自分に何かしてくれるのが当然と思い込んで。自分の所有物か何かだと勘違いして。
人の輪に溶け込んでいくと同時に、そういう自分の汚らしさとも同時に向き合うことになる。

いかに状況が変わっていようと。好転材料にあふれていようと。
もとより復帰なんてありえなかった。それがけじめだと、今も考えているから。
ネット上で一度は死んだ人間。そんなやつが、この老後みたいなロスタイムで何をしようと言うのか。
「命」の大切さを、知っているはずなのに。無茶しやがって。
誰にも頼らずに一人で生きていくことが大人なのだと、信じて疑わずに。
何かが間違っていると気づいていながら、ページを増やし続けることしか頭になかった。
自分なんていない方がいいのに、と思いつつ、人と拘わることをやめられない。
きっと、ここにいていいよって言ってほしいんだ。同情なんか誘って。ばかみたい。

友人のブログを見て、その生き様に感銘を受けた。
無礼な表現かもしれないが、あれが最後の悪あがきのように思えたから。
人生という時間に線を引いて、そこに向かって一生懸命に挑む姿勢は美しいものだと。
なれば。ぼくはどうする。
今のうちにやっておかなければいけないことは、もっと山ほどあるはずではないか。
一日一日を大切に過ごしたい。頭でわかっていても、それをどう実行している?
だったら迷うな。恥ずかしいとか、過去に過ったからとか、言い訳など並べない。
いつだって、今日が最終回だという気持ちでいなければ。

だから、帰っていく。この死地を捨てて。

2008/04/19

どうして無視するのか、だって?

こんな冷え切った関係。もはや空気のような存在とすらも呼べない。
徹底的に。呆れられてしまったのなら、それでもいいとさえ思って。
最初から明らかだったこと。長続きなんて、するはずもない。するわけがない。
他人に関心を持てない。誰に対しても、真剣になれない。そんな人間だから。
それでも繋がりが欲しいなんて、よく言えたものだ。求めるだけ求める傲慢さ。
対等な立場で、対等な目線で。それなのに、ぼくだけ質問に答えなかった。
それが卑怯だというのだろう。手の内など明かさない。切り札の有無すらも。
何を考えているかわからない、謎の人物。そういう評価を、なぜ嫌いだしたのか。

いつからか、自分がこれから行うことを人に言わないようになっていた。
宣言しておいて、きちんと履行されなかったときに言い訳が立たないから。
失敗や誤解や、醜態も、すべてさらさなければならなくなるから。
期待を裏切ってしまうこと、約束を破ってしまうこと、したくないから。
だから、何も言わなければいい。余計なことは。
気の利いた言葉ひとつそう。何が気に触れるか、そこからこじれるか、わかったものじゃない。
ぼくのような人間がこれ以上トラブルを起こさないためには、もう口チャックしか。
もちろん、そこから深化していく人間関係などありえようはずもなく。

人間原理という言葉を、ご存じですか。
その考え方は、当の人間にもあてはまるのではないかと考えている。
他人に知覚されて、認識されて、初めて人はそこに存在していると言えるのではないかと。
たとえ生きていたって、誰もその人のことを知らなければ、いないのと同じ。
社会の中で人と関わって生きていくしかない。それは避けられない一つの現実。
だから。生きたいという意志は、他人の中に自分の存在を残したいという願望に重なる。
誰かの記憶に、印象に、振る舞いに、あるいは携帯電話のアドレス帳に。
自分を売り込むこと、アピールすることは、何も浅ましい行為ではない。必死なのだ。

わずかにではあるが、そう思える実感を、抱いたことがある。
ずっと昔に勧めた音楽を、今も好きだと言って聴いてくれている人。
久しぶりになった挨拶でもちゃんと嬉しかったと返してくれた人。
ほんの小さなことかもしれない。些細なことかもしれない。
けれども、その人たちの中には、まだぼくが存在している。生き残っている。
それがどれだけ意味のあることか。ありがたいことか。ここにいられる、理由になるか。
常日頃感じていること。嫌われたっていい。けんかは辛いけど、何度したっていい。
それよりも怖ろしいこと、落ちるところまで落ちた最悪の関係を、いくつも知ったから。

存在しない人間と話なんかするはずないじゃないか。

2008/04/25

打ち破ろうと思えば簡単にできるはずだった。最初から、殻などなかったのだから。

じめじめした梅雨時の空のような。そんな自分を、自分の中に見ていた。
根が暗いから、つまらないから。だから何をやっても面白くない。いいことも言えない。
あるいは何を書いたって、言葉にしたって。冴えない、というのも違う。取るに足りない。
だから。こんな自分にかまってくれる人など、いるのだろうかと。
本心なのだろうか。どうせ社交辞令ではないか。その場ののりで。まず疑ってかかる。
悪い癖だとは承知している。そこが心を開く第一歩だというのに。それでも。
怖れている。自分の中で、何かを許してしまうことを。己の過ちから、逃れることを。
それが、そのsiteにだけはどうしても近づけずにいる温床とも繋がってくる。

蔑んでばかりではいけない。自分を卑下して閉じこもっていては、生きられない。
楽しいことなんて、いくらでも待っている。この中に、これから先の未来に。
わかりきったことだった。それなのに次の一手が、なかなか指せずにいる。
自分を解放する。何度となく言われてきたこと。そして何度となく、そうしてきたこと。
その先に待つ結末は、たいてい決まっていた。苦い思い出ばかり、重ねてきた。
今さら羽ばたこうなんて思っちゃいない。人前になんか、踊り出なくたっていいんだ。
それをわきまえていれば、もう少し言葉も選べたものを。今回はだめでも次なら、とか。
ここで淀み留まっている、ただそれだけの。寂しくはなくても、味気のない、人生。

何もできずにいる自分を悔やんでいたぼくは、もういない。今じゃすっかり、馴染んでいる。

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