[むかしのなぞ] 2006/09

2006/09/04

戻ってはいけない場所に再び戻ってきてしまった。シリーズその二。

楽しいレジャーではなかったのか。何だって、こんな惨めな気持ちに。
ダンクシュートのように脳天に直接叩き込まれる。そんな劣等意識。
自分を繕うこともままならない。つまらない見栄などまるで糠に釘だ。
自分の知らない世界がありすぎる。迷子なんて生易しいものじゃない。
途方もなさ過ぎる。その絶望感だけで、頭がどうにかなりそうだった。
遠い。遠い。あまりに遠い。同じ源流から生まれた川の進路の大差。
一生懸命、自分なりに。そんな言葉がいかに何の意味も為さないか。
火を見るより明らかだろう。落ちこぼれはいつまでも落ちこぼれだと。

罪悪感。ただ生きているだけで、罪の意識が背中にずしりと乗る負荷。
こんなことでいいのか、という自責の念、あるいは自戒なのだろう。
決して誉められたものではない。道を何度も踏み外しかけた危険な綱。
そこからどう軌道修正したというのか。何を改めて立ち直ったのか。
自分は人並みに何かを成し遂げたのか。人並みに何かを残したのか。
考えたり比較しても仕方ないことなのに、どうしても敗北感ばかり募る。
己の怠惰が恨めしい。同じ人生で、同じ時間で、なぜこうも異なるのだ。
そして怖い。いつか自分が、誰からも必要とされない役立たずになる。

それなのに、伝聞形の存在だけが一人前にも一人歩きしている矛盾。

2006/09/10

夢がひとつ叶ったというのに、どうしてこんなに暗い気持ちなのだろうとずっと考えている。

ぼくは嫌だ。自分の思い通りに事が運ばなかったときに、外的要因に責任を転嫁したくない。
時機のせいにしたり他人のせいにしたり、環境が変わらないと自分も変われないなどと。
劇的な変化を求める願望は、自力で現状を打開する努力を怠った上に生まれるものであって。
まだわからないのか。今の世の中、困ったって力尽きたって誰も助けてはくれないのだと。
どの指南書もああしろこうしろとうるさい。このままでいいと、誰一人なだめてはくれない。
勝ちだの負けだの、無断で人の人生に線引きしたり分類分けするような風潮に踊らされて。
あまりに理不尽だろう。意味不明な物差しで、おまえは不幸だ可哀想だと好き勝手言われて。
そういう先入観の植えつけこそが人々の心を貧しくしているというのに。嫌な時世である。

だったら、この身に起こったことはどう説明をつけたらよいものか。いまだに混乱している。
あくまで自分は当事者ではないからと避わし続けるのも、いよいよ苦しくなってきた段階。
それでもしかし、どう受け入れられよう。頭が雑念で満杯で、今にも脳が焼き切れそうだ。
あることないこと織り交ぜて、ぐるぐる巡る。駆け巡る。シュウシュウと湯気が立つ。噴出。
そんな興奮を冷ましてくれるのは、冷静になれる場所は、やはりここにしかないという実感。
そういうものを嘲笑っていた。それは若気の至りでも思春期特有の反骨心でもなかったのだ。
正解だった、と確信。いかに真顔で訴えても冗談にしか受け取られないなら、逆手に取れ。
男も女もくだらないことに必死になって時代の中心にいる自負と錯覚に溺れているその横で。

失ってしまうこと、捧げてしまうことを、こんなにも口惜しく思う。ぼくはもう、汚れたんだ。

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