[むかしのなぞ] 2006/08

2006/08/01

帰ってきた。ただ生きて帰ってきた。お国のために命を捨てることができなかった。

死にものぐるいだった。睡眠時間を極限まで削った生活が続く。
それなのに、常に眠りの世界に片足を浸しているかのように上の空だった。
取るに足りない変化をレールの軋む音に練り込む毎日の風景。
笑うことや、流行に触れることや、小さな溜め息が。すべからく不真面目に思えて。
だから唇をきつく結んだ。これでは過去と何も変わらないと自覚しながら。
不満を抱えても、当たり散らしたりしない。あくまで地味にアピールする。
そして誰かが気づいてくれるのを待つ。気づいてもらえなければ他人を恨む。
そんなことだから、半永久的にこの状況から脱せないというのに。

婦女暴行、と称するべき事件。歪んだ欲望と憤懣の慰みものにされた。
世界の半分が丸ごと切り取られた。右半分、もしくは左半分。著しい矮小化。
光を失うか、言葉を失うか、あるいは腕を失うか。人間が、破壊された。
そんな禍々しい情報が、ICチップに記載されることは金輪際ないであろう。
そんなようなものだ。まったくぼくの歩みは。抑えても抑えてもきりがない。
地続きになっていないのなら海の底を這っていけばよい、と主張するようなもの。
何があるのか知らないくせに。頑張れとかやってみろとか勇気を出せとか口々に言う。
臆病ではいけないのか。一切の投機リスクを排した堅固すぎるこの選球眼が。

一歩を踏み出すまでは戸惑うかもしれない。ためらうかもしれない。
それでも。いざ歩き始めれば、後は勢いに任せるだけ。簡単なんだよこんなの。
ひたすら間違えて、ひたすら詫びて、ひたすら項垂れて、ひたすら鼓舞して。
それでも。踏み続けることが人生の道程そのものだから。足跡は辿るべき道しるべ。
どんなに跳んでも大空には手が届かない。どんなに速くても剥がされることもある。
たった四つ。東西南北、上下左右。無限とも思えた青春を、投入したではないか。
この二本の足は、歩くためにあるのではない。走るためでもない。
行くためだ。自らの目指す場所へ。会いたいと欲する相手へ。目的の地へ。

そして、死ぬためだ。最期に及んで後悔しないためにすべてを蒐集する。命ある限り。

2006/08/06

何が無意味かと言うなら自分を貶めることだろう。無力だからなんだってんだ。

昔から、人に褒められることが苦手だった。単に照れくさかっただけではないと思う。
何の努力も工夫も要さず朝飯前にこなせるのに、必要以上にもて囃されるのは心苦しかった。
不当だ。不当な過大評価を受けているような気がして。分相応に見てほしかったのに。
持ち上げられることもつらい。なんだか屋根の上に乗せられるような感覚がしてならない。
まるで人間が神を崇めるような、と表現するのは、被害者意識が過ぎるだろうか。
だが似たようなものだ。他人とは違う存在だという宣告を突きつけられているようで。
同じ人間だと思ってくれない。どこか距離を空けられている。疎外感が、いつもあった。
望まなかった自分の立ち位置。時には過ちを正して叱ってくれる、公正で対等な関係など。

それは、居場所が変わっても、付き合う人が変わっても、それほど大差のないことで。
面倒なことに、大人の世界には世辞というものもある。本音さえぼかされなお厄介になる。
表の顔と裏の顔。結局そうなんだ。使い分けられないと世間を渡れない。二面性が潜む都市。
素直であることが恥ずかしいと、いつから思ってしまうんだろう。誰が最初に決めたのか。
自分を偽ることや嘘を重ねることが生きる術ならば、真正性などとても留めておけない。
何をしたと言うのだろう。自分に出来ることを頑張っただけなのに、こうなっちゃうのか。
ぼくには味方はいないのかもしれない。友人や仲間はいても、真に隣にいてくれる人なんて。
タブーを履き違えない。足音はちゃんと聞こえている。言葉の暴力など、存在しえない。

内なる索敵へ。最悪の根元へ。自分の怠惰を棚に上げて人に説教するやつを、戒めるため。

2006/08/18

溶けてゆく。氷解してゆく。すべての好ましいものも、すべてのおぞましいものも。

ふらふらと降り立った。現実という名の駅のホーム。真夏の夜の蒸気が降り積もる。
先週までの決心はどこへやら。昨日までの決意はどこへやら。また放ったらかし。
自分を律せないことの弱さ。甘えを捨てられない。このままでいいのだと、どこかで。
それほど明確なビジョンがあったのではない。それでも貫こうと、意地になっていた。
それはただ一点、後悔しない選択をするため。悔いの残らない生涯にするための所作。
ところが実際はどうだ。一日の時間にもまれて右往左往しているだけで前に進まない。
それとも、どこかに自分の目指す目的地があると考えることがおかしいのだろうか。
現在がすべてであって。だから、今の生活の他には存在し得ない。跋扈されるがまま。

どうしてだろう。劇的に変貌する自分を夢想するのは。ここではない何処かを望むのは。
変わるということには、莫大な量のエネルギーを要する。投棄する覚悟は据わっているのか。
目の前の些細なことにばかり囚われて。わずかの出費や手間や努力を面倒がっているから。
だからいつまでたっても大きな仕事ができない。自分の中の小さなルールに足踏みしている。
こだわりなんて、こだわることなんて、すべからく取るに足りないもの。くだらないもの。
足下ばかりを見て、足下ばかりを見られて。生育していく方向はそちらではないだろうに。
捨てなければ得られない。いや、捨てても得られない。だが、それは骨折り損ではない。
心の底で焦げついている余分なものを捨て去って身軽になることが、次の一歩を生むんだ。

時間はかくも残酷で。変化も不変ももたらす。四方八方のエアカーテンに遮断された個人。
周りの環境が姿形を変えていくたびに、俄に自分だけが取り残されるような不安に駆られる。
このままじっとしていることが絶対悪であるかのように、自分をそのように、評してしまう。
あからさまに作った表情ではいけないとか、うまく他者と折り合いをつけられないとか。
凝り固まっていく。ただでさえ出遅れているのに。彷徨っているのに。息が詰まりそうだ。
どこまで積み上げたものやら。わからなくて一からやり直し。いつもunder construction。
不意に怖くなる。時間はきちんと流れているだろうか。自分の周りの時間は、動いているのか。
一日の変化や季節の変化を目で追って、確かめようと思う。当たり前の空に感動できるように。

すべての張りぼてが溶けてなくなったらどうなるのだろうか。それはきっと地球最後の日に。

2006/08/22

大爆発が起こるだろうという予言。遠くない未来。それほど遠くない未来。

呻き声を上げて擦り切れるチェーン。温もりに身を没したが故の断罪。
ここへ来るたびに、動機や理由を一々説明しなければならなくなる。
戦っているのだと。ただそれだけで通じるのに。結局はリヴァイアサン。
自分の好きな物だけを囲って、外から覗かれないよう柵を張って。
政治的手法ではなく、しかし学問が圧倒的に思念を支配する世界にありて。
何が罪なのか。何が悪いことなのか。何をしたら咎められるべきなのか。
誰もわからないまま、各々が勝手な言い分を纏って正義を振りかざす。
知っていたんだ。荒波のような荒野を。長い旅になるであろうことを。

いつからか、自身を侵犯されないという立地に安息を得るようになっていた。
俯瞰地図を手に入れて高みの見物を決め込みたいのでもない。他人も覗かない。
電気のひものようなものが天井からぶら下がっていて、引っぱると合図になる。
知りうる情報というのは、それくらいで十分だ。ひもの先が揺れるのを眺める。
蠅が止まったのか、地震が来たのか。それとも一人でボクシングごっこを始めるか。
喩えるならそんな生活ではなかろうか。閉じてもいないが、積極的にも開かない。
どんなに手を伸ばしても届かないのなら、という過去の諦めがあるのかもしれない。
何もしない時間。ひたすら非生産的に。無駄飯を食らう場所。そこに居を構える。

戦争反対と声を大にするが、戦争を回避するための知恵を絞ろうとしない。
理想論だけで立ち回っていけるほど現実は易しくない。それでも憧れる。
本音では、暴力の解決など最大の関心事ではない。単に日和見なだけだ。
自分が面倒な争いに巻きこまれたくない、痛い思いをしたくない。それだけ。
平和であっても悲惨なことはいくらでも起こる。安心は誰にも確保できない。
ならば、個人がそれぞれの政策を掲げるしかないだろう。穏やかに生きるために。
羅針盤はいらない。個が個の心と財産のみを守る、冷戦よりも冷血な真の平和。
だから、挑発には乗らない。土俵に引っ張り上げようとする勢力には、屈しない。

ここには、実は一人分しか身を隠せる場所がない。ぼくひとり、雨露を凌ぐ用。

2006/08/28

なみなみと湛えた閑寂。褶曲を重ねる罵言。取りつく島もない錯誤の果てに、こんな。

夏休みのプール開放を思い出す。毎日毎日、飽きもせず通った暑い日々のことを。
何が楽しかったのだろう。それほどまでに駆り立てたのだろう。使命を負わせたのだろう。
今となっては思い出せるものは何一つない。つまり、そういうこと。それが答えだった。
真っ黒になるまで日焼けして遊ぶという夏に、何の疑問も持っていなかったということ。
ただただ没頭した。夢中だった。文字どおり夢の中にいるような、浮かんだような感覚。
ちょうど水中に体を潜したときのよう。全身が軽くなり、陽光が漂い、音が遠くに聞こえる。
プールから頭一つ出せばすぐそこには太陽と空気と現実が待っている、鏡写しの異世界。
そうか。きっと幻の向こうへの冒険を楽しんでいたに違いない。誰もが主人公だった時間。

あのときの気持ちを忘れることなく大人になっていたとしたら、現在はどうなっていただろう。
そんなことが頭を過ぎる。それくらいに、幼い時代のことがもはや眩しいほどに輝いている。
子どものときと違って、欲しいものはいくらでも手に入るのに、心は一向に満たされずにいて。
そればかりか、無邪気な心まで失う。他人を憎んだり謗ったり陥れたりして、汚れていく。
目の当たりにするたびに心を痛めてきた。自分自身がその当事者、加害者となったときにも。
だからと言って、子ども返りすることや対人関係を断つことでは根本の解決には至らない。
駄目だ、余計なことを意識してばかりで。何も考えずに無心で生きられた時代が懐かしくなる。
タイムスタンプを書き換えたくらいでは決して戻らない過去。その奥底にヒントがあるのでは。

ぼくは悪い人間だ。間違った人間だ。卑怯で最低な人間だ。だがそれがどうした、と。

2006/08/31

思い立ったわけではない。最後だから何か特別なことをしようなんて。

好きで自分を呪っているのではない。それしかないからだ。与えられた不自由。
仕返しを恐れて自分を主張できずにいる。空っぽの殻の中でカラカラ音を立てて。
もっと他人と向き合えと人は言う。そうしてきたじゃないか。だから被弾した。
ありのままの自分を出せと人は言う。そうしてきたじゃないか。だから標的に。
内に閉じこもるだけが真意ではない。青空も見上げるし、夜空を見上げもする。
深呼吸して鼻から吸いこんだ空気はこんなにおいしくて。なんて素敵な不純物。
空気になれたら。存在を消したいとか不可視にしたいという消極的な理由でなく。
そういうものが、結局は人の心を救うのだと。傷を癒す優しい風になるのだと。

いつだって、誰に対しても。ベストを尽くせなかったことを常に悔いている。
ただし、この場合のベストとは結果としてのベストを意味しているのではない。
自分の持てる力を全て出し切ったか、という一点。つまりは、最善でなく最全。
最大限の努力をし、あらゆる手を施し、悔いの残らないように全力を振り絞ったか。
そこで肯くことができれば、きっとどんな顛末も受け入れられよう。結実せずとも。
そう、ぼくにとっての満足度はあくまで自分の中で自己評価し自己完結するもの。
だから結果は重要ではない。やるだけのことをやって、その果てにどうなろうが。
壊れちゃったんだ。なんだ。だけど頑張ったからいいや。諦められる。はい終了。

むしろ、最初だから。付き纏いから解放されるインディペンデンス・デイ。

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