[むかしのなぞ] 2006/05

2006/05/02

ごーるっ。

古新聞をひもで縛って束ねたり。
革靴を磨いたり。
CDのブックレットを読みふけったり。
卵の殻に顔を描いて遊んだり。
そういうことだけをして、一日過ごせる時間が、ようやく戻ってきた。
春の足音は嵐のように駆け抜けて、啓蟄の花壇を踏み荒らしていったけれど。
自分が自分でいられる時間。自分を取り返せる時間。誰にも奪われない時間。
ベランダに干した毛布をきゅっと抱きしめた。

決まって思い出すのは、半生で最もやつれて荒廃していた時代のこと。
汗水流して必死にがんばることが、輝ける姿だと思い違いをしていた時代。
疲れ果てて倒れたり、傷ついて悶絶することが、真の美しさだなどと。
刃物でつけた傷口を開いて誇示する。経験値か勲章であるかのように。
あるいは、病的に自分を追い詰める切迫した苦しみを知らしめようとして。
そんなことに時間を投じてきた。若い年月を、ただ老化のために費やした。
肉は削がれ骨は痩せ、瞳の光もかすれた、バッドエンドの体だけが残されて。
立ち直るのはゼロから始めるより難しい。未来は完全に断たれたと覚悟した。

その時代を。二度と振り返ってはならない過去を、彷彿とさせる精神状態。
明るい色彩を目にした試しがない。味のする食事を口にした試しがない。
五感という最低限の動物的本能すらも、痺れていた。生存権を拒否された。
無為なピストン運動。前後に揺さぶられて、脳震盪を起こしそうだった。
肉体を玩具にされたことや、結実しない行為であることが悔しかったのではない。
自らを破壊された。そして自分自身をも、その凶行へと駆り立てた。破滅を望んだ。
人間としての機能が欠損していく、だめになっていく過程を、つぶさに見て。
痛覚が消える瞬間の快感。この人生がどうなっても構わないと、槍やら匙やら。

皮肉なもので。目標に向かって夢中でひた走るほど、忘れ去ってしまう。
自分が何をしようとしていたのかを。何を目指して生きているのかを。
昔からそうだった気がする。何を思って、ここまでの道のりを歩いてきたのか。
点数がすべてだと崇め奉る受験サイボーグにすらなれなかったと言うのに。
すべてが中途半端で、長続きしない。そのくせ自分を努力家だと思っている。
理路整然とした価値判断にもとづいて、行動を賢く選択していると思っている。
だから、ばかばかしくなった。物事に意味や理由や目的を後づけすることが。
何も考えずにただ生きよう。いや、積極的に生きることそのものを放擲しよう。

一人のままだったら、いつまでもそんな思想に捕らわれていたかもしれない。

とぼとぼ歩く夜道。翌早朝にはこの道を引き返して自分を殺しにいく、道。
暗闇をたたえ寒々しい夜の風景の一か所だけが薄明るくて、視線を上げた。
そこには、季節外れの花をつけた木。月を浴びてほのかに淡く揺らめいている。
一瞬、過去も未来も喪失した自分が時間滑りを起こしたのかと思った。
だがそれは現実。時計の針は狂ってはいなかった。また着実に刻まれていた。
ずっと前からその場所で、花をつけていた。両手を広げて待ち受けていた。
気づかずにいたのはぼくのほうだ。大切なことをいくつも見逃してきた。
個別の個体として生を全うするに足るだけの力を与えてくれる、無数のサイン。

完全なる清算として。決別するために、ぼくは変わった。哀しいくらいに。
過去の関係を捨て去り、記憶を押し留めて、新しい環境で涼しい顔して生きる。
一人称までもすり替えて。愉快に別人を装った。
歳月を経ても唯一変わらないのは、この駄文における人格くらいのもので。
自分がそうしてきたから。そこでようやく、反省すべき重大な過ちに気づいた。
内心では他人を嘲ったり軽蔑したり差別したりしている。汚い心の持ち主だと。
自分と同じことができない人間は自分よりレベルが低い、と見下していた。
こんなだから、誰とも折り合いがつかないのだ。孤独を貫いたほうがいいんだ。

果たして、状況は好転したのだろうか。望む自分を、手に入れられたのか。
心の壁にあらず。つまらないことで片意地を張っているのはわかっている。
自分を悪者だと罵ることで、それ以上の外部からの中傷を牽制しているだけ。
罪を忘れないように、などと言っているのも、過去を美化する妄念にすぎない。
何もできていない。結局のところ、ぼくだって何ひとつ変われていやしない。
燻り続けたまま終わっても仕方ないと諦めていた観念に差した、夜桜の光明。
この手で時間を動かして、そしてこの目で確かめるんだ。死期を待つのではなく。
永遠のような輪廻を終わらせる。これで最後にすると決めた。陰湿な独り遊びは。

それの顛末はこの通り。蓋を開けることも、舞台を降りることもしなかった。
だがなぜだろう。清々しさで満たされるのは。終の棲み家を得たかのように。
所詮ぼくは、浅ましくも私欲を肥やす卑しい人間だった。そういうこと。
だからあんな泥だらけの無様な姿になって、既得権益の庇護のために奔走した。
格好悪い自分を、今ならば誇れる。かの時代の絵空事は決して無意味ではなかった。
そしてそのとき、確かに力を感じていた。言葉という力。誰かが誰かを思う力。
もはや鈍感なままではいられないではないか。
他人と較べない。期待に沿わない。逆算もしない。ただ長年の野望を叶えたい。

ここまで足を突っ込んだことが運の尽きだと。後悔、させてやる。

2006/05/06

役に立たないこの身を恥じるのは、役に立ちたいと望んでいるからこそなのか。

緊張していただろうか。
過剰だっただろうか。
余裕がなかっただろうか。
重要なことだっただろうか。
気分だったのだろうか。
期待どおりだっただろうか。
嫌疑をかけられただろうか。
意識していなかっただろうか。

なんだろう。フワフワ浮いて、でも仄暗くて。足どりは軽くて、やたら滅入って。
右手? 左手? 右手? 道具→渡す→自分? 可哀想なくらい動転している。
たおやかな清流のように、穏やかでいられないのは。これが表題だから。実演だから。
今日のことだけに命を懸けた。すべてが決するかのような。どこまでも勘違い野郎。
この甘ったるい空気を瓶に詰めて永遠に閉じ込めておきたくなるような。小心者。
無関心を装っているのは自分のはずなのに、いつしか体よく避わされてしまっている。
誰が本気なものか。わかっていたことを。我を捨て、本当の召使いのような生活。
灰燼と帰さないという確信めいた唾。こんな気持ちはどこから来るんだ。どっち?

飴と鞭。結局はそのバランス。時には羽目を外させ、時には諌める。ひとつ心にて。
脳内に天使や悪魔を飼っているわけではない。自分と他人。それぞれの顔色を見る。
不愉快なことや下らないことは人に話しても仕方がないから、自分で朝の処理。
楽しくて心地よい空間に居合わせていると察知したら、努めて背景になろうとする。
いてもいなくてもいい人間だから。少なくとも、ぼくでなくてもいいはずだから。
そんなふうに、気配を隠したくなる。もう本能レベルの警戒なのかもしれない。
満たされれば満たされるほど、同時に居心地が悪くなる。距離や心の接近を恐れる。
それもそのはず、「いけないこと」をしているのだから。麻薬であり、媚薬である。

よそよそしいんじゃない。本当は誰よりも理解したい。聞いてほしい。求めたい。
そこで咎める声は。いつも年表を広げて大雑把に丸で囲む。だいたいこのへん、と。
何故、あんなことをしたのだろう。しなかったのだろう。懺悔の反吐を流すシンク。
だからって、何をこうもおめおめと。けじめのつもりなら、かえって気味悪いだけだ。
幸せな時間。素直な自分を惜しげもなくさらして、とびきり無垢でいられる特等席。
どこからか、それを責め立てる声がするんだ。幸福であってはならない、許さないと。
もう何もいらないのに。一人の人間としてただ生きていければ。後はどうだっていい。
好きな人たちがそれぞれの道を見つけて笑顔で目の前から遠ざかっていってくれれば。

見送ろう。笑って。

手が震えるほど寒くて。
みじめなほど雨に濡れて。
無機質な視線がじとじとして。
人の邪魔をして迷惑かけて。
触れた手が炎のように照れて。
言い返せないことが悔しくて。
こぼれてむせて全然飲めなくて。
そんな土産話しか持ち帰れなくて。

山々の朝靄が晴れて日が差しても、心の中の自己疑問はずっと掻き消せないまま。
惨憺たる口の大きさだった。主目的は達せられたのだからこれでよしとしているが。
思えば、随分と大掛かりな堂々巡り。霊山を踏破して悟りでも開いたと言うつもりか。
本当に欲しかったのは、強靭な脚力などではない。歩幅を合わせて連れ添う気遣い。
本当に得たかったのは、鋼の心臓なんかではない。秘密事を受け止められる精神力。
肝腎なことは何ひとつ身につかない。鍛え上げようのないアキレス腱のようなもの。
てんで話にならない。もとの人間が緩いのに、何を成し遂げた気になっていたのか。
そしてまた帰還してくる。あり合わせの遺産だけで威張りちらす張子の小さな器に。

この期に及んで、まだなじる。回りくどく煙に巻いて。浅知恵で何を企んだのか。
これでも情報は開示したほうだ、などと半端に悦に入っているから始末に終えない。
分かち合いたい、という潜在的欲求でもあるのか。ばからしい。そんな遠い国の話。
戦争は終わったんだ。ただ一人、頑固に九条を堅守して孤島の平安を生きるんだ。
そこで、矛盾が生じる。自分のことは世話を焼かれたくないのに、人には焼きたがる。
そんな好都合な一方通行は存在しえなくて。だが、易々と心を開くのはあまりに危険。
誰もわかっていない。急所を掴まれる致命性を。心を暴かれ付け入れられる脆弱性を。
嫌われるかもしれないことがたまらなく怖い。いい大人がそんなことで震え上がる。

頭を下げるのは、過失よりも、むしろこれから先のことに対してでなければならない。
どんなに強さを求めても、変えようとしても、まだ当分は堪えられそうにないから。
世界を受け入れるために認知を要する、この不合理で、下衆な欲望だらけの、世の中。
自分の美徳にそぐわないものに目を伏せてすべてを見ないように生きているぼくには。
残忍で狡猾で異常な見出しが飛び交う日々のニュースにも胃もたれを起こすぼくには。
社会と正面から向き合うことは、到底なしえない、無謀な挑戦だったのかもしれない。
それでも。身を投げ出すのか。痛い思いをして。報われることなどない服従のために。
露を払った先にあるのなら。本当に辿り着きたかった心の問いかけを、導く場所が。

大切なものをちりばめた。砂粒の中に。砂礫と化したこの体に。まさに骨肉として。

2006/05/12

ドクンッ。心臓が地面に叩きつけられたかのような、これ以上ない収縮と肥大。

若年の頃から常々感じている疑問がある。
疑問というよりは、もはや確信めいた推測。
その命題は、当人にとって非常に受け入れ難い。
だから判断を先延ばして、この齢まで生きてきた。
これからだって、多分逃げ続けることは可能だろう。
誰にも何も明かさなければよい。あくまで個人の問題。
それで済むはずなのに、不安が拭えない。脅迫観念が囁く。
このまま何も施さなければいつか手遅れの状態になるぞ、と。

子供のときから変人と呼ばれて育った。だからそれには今さら疑問を挟まない。
どこを見ているのか、誰と会話しているのか、何を考えているのか。わからない。
身に覚えがありすぎる。ぼくだって、鏡の向こうの自分を率直に変なやつだと思う。
できれば身近に置きたくない。時どきメールして、たまに会って、くらいの距離なら。
嫌いではないし、矛盾もない。だが何か違う。言葉で説明できないが、すべてが歪。
全身が炭酸飲料で構成されている。絶えず気泡が弾けて飛沫を撒き散らす。譬えるなら。
だが、そんな自分ともそこそこうまくやっている。実践もしている。悩みなど皆無。
そんな議論とは全く無関係に。襲われる。自己の異常性を宣告し糾弾する内なる声に。

ぼくは大丈夫なのか!

だって、先日のあれは明らかに異常だっただろ。正気を欠いていただろうが。
まるでギロチンで真っ二つにするかのような。そんなエグい凶刃の音だっただろ。
避難訓練だ。想定された事態。確実な裏付けと周到な気構えを楯に、犯行は計画的に。
では、避難とは誰から。何から何を守る。何から何を遠ざける。どっちを庇った。
あの絶望的な遮断は。破滅的な乖離は。明らかに完全二対一、いや三体一の状況を。
こんな裏切りがあるか。狼狽させて憔悴させて。鼻で笑った息で吹き飛ぶ友情だな。
迷惑かけたとか助けられなかったとか、そんな次元じゃない。関係もろとも切り捨てた。
なあ、平気で見捨てるのか。遺棄するのか。それが精神異常者の行動でなくて何だ。

名探偵でも居合わせていたら、主張を完璧に論破され膝から落ちていただろう。
自覚だってある。明らかに不審だ。常軌を逸脱していた。どう冷静に見ても、絶対。
人前でオナニーしようとしたことだって、こんな怪々な奇行に比べればかわいいものだ。
一目瞭然だった。変態的行為でも発奮材料でもないのだ。教義に従って遂げただけで。
教義。それは何だ。まさかそうなのか。やはり何か吹き込まれたのか。洗脳されたのか。
どこにいた。前の週末は。その前は。どこで会って何をしていた。答えられないのか。
自分の小物ぶりが嘆かわしい。何も言い返せない。その通りだと、認めてしまったから。
いくつも隠し事をし嘘もついている。とても人に言えないことが、あまりに多すぎる。

信用のかけらもない最低の人間だ。しかし。最低と呼ばれるなら何万倍もましだ。

過ちを犯したことを、本当に後悔した。
自らの死で贖われるなら、それも止むかたないと考えた。
違う。罪悪感から解放されたくて、安易な道を選ぶなんて卑怯だ。
永遠に地を這いつくばれ、そして永遠に許しを乞え。
責任放棄して勝手に逃亡するな、当事者の住所から離れるな。
病み続ける日々の堆積が、より残酷に背中に突き刺さる。
それくらいに重い重い意味を、抱いてきたのだな。
その血涙の結晶すらも、ぼくはとても愉快に。

発狂。人が狂うこと。最近は報道機関が使用を控えつつある、厄介者の単語。
悪霊が憑依したかのように我を忘れて咆哮し、衝動のままに殺人や強姦をはたらく。
人間がそんなふうにおかしくなることが、現実にあるのか。かねてから疑っていた。
どれだけ凶悪犯罪のニュースを積み上げても、ごく稀なイレギュラーとしか思えない。
もしくは創作の世界の話。たとえば、一部のアダルトゲームで題材にされるような。
それほどに現実味の薄い存在。そう、人類は理性を獲得して初めて人類たりえた。
欲に堕しない意思の強さ。そこから知能も社会性も育まれた。心から誇りに思う。
しかし。実物を目の前で見せられてなお、その存在を否定するのは難しいだろう。

もしくは自分自身がそうなんじゃないかって気になりだした途端に全身がわなわなわな。

何の兆候もなしにそんな考えに至ったのではない。火のない場所に煙は立たないから。
これも広い意味の自戒なのだろうか。とかく信用が置けない。何を聞いても頷けない。
自分では自分を正常だと思っている。気など触れていないと。もうそれがうさん臭い。
外因だの、人智を凌ぐ存在だのは、口当たりを誤魔化すただのオブラート。必要ない。
狂気の扉ってのは、案外どこにでも。誰の心の中にも潜んでいるんじゃないのかって。
自覚のないままに半分足を突っ込んでいた。いつ目覚めて猛っても何ら不思議でない。
そういうふうには、考えられないだろうか。人はいつか、自己の崩壊に阿る病を患う。
いや、人は、なんて言うのはやめよう。こんな禍々しい日記自体がいかれている証拠。

ぼんやり思い出す。気性が荒く短気でいつも泣いたり吼えたりしていた幼い自分。
物を壊したり学校の畑を踏み荒らしたり同級生にけがをさせたり、していたっけ。
きっと、完全に退治できていなかった。まだ生きていて、眈々と隙を窺っている。
それは何なのか。考えると血が沸騰して全身を逡巡して、思考の演算を妨害する。
そして直接のいきさつ。ようやくぼくの知る範囲で、そういう人の話を耳にした。
誰の身にも起こりうる状況。人間関係のもつれから相手を恨んで、そしてきれた。
好意から一転して奇怪めく陰険な凶行に走る。それを発狂と呼ばずして何と呼ぶ。
末恐ろしい。執拗に喚いてすがって蓄膿垂れ流して脅迫して押し掛けてサイト監視して。

あっ――。

2006/05/17

カラスの羽根を拾ってはいけない。そう教わった。

道端に鳥の羽根が一枚、ぽつんと落ちていることがある。
最も多く見かけるのは、大きくて黒々としたカラスのもの。
珍しいからと拾って持ち帰ったら、捨てなさいと叱られた。
水で洗って綺麗にしたのに、それでも頭ごなしに責められた。
部屋に飾っておいたら、断りもなく処分されたこともあった。
家族だけではない。周りの大人はみな異口同音に反対する。
その理由も型にはまっている。気味が悪い。縁起でもないと。
言葉の意味がわからない。不可解な大人を疑うようになった。

アイウィッシュアイワーアバード。
己の身ひとつで飛べない人類の、純粋な童心からの憧れ。
一途な思いを暴かれ踏みにじられたような口惜しさを覚えた。
なぜカラスは嫌われるのだろう。子どもの頭で考えてみる。
田舎のカラスは、都会のに比べてそれほど悪さはしない。
農作物を食うことはあるが、それはカラスだけではないし。
それなのになぜ。色が黒いという理由で敬遠されるのか。
そんな言い分、どこぞの白人至上主義と変わらないではないか。

よく観察すれば、カラスの羽根はとても美しいとわかる。
芯は太く毛並みは硬くつややかで、力強い生命力を感じさせる。
色も、墨で塗りつぶしたような隙のない真っ黒ではない。
先端に進むにつれて徐々に黒色が濃くなる、巧妙な色彩。
太陽にかざして光に透かすと、そのグラデーションが際立つ。
これは自然の神秘そのもの。人為物には真似のできない輝き。
羽毛布団の中身の羽根や、赤色だの緑色だのに塗られた羽根には。
造形的な魅力だけでもまだまだ語り足りないくらいだ。

しかし。周囲の無関心がぼくの口を塞いでいった。

それからというもの、自分を語ることが何となく怖くなった。
好きなものについて、その良さや自分の思いを口にすることが。
感覚がどこかしらずれているだろうことを自覚しているから。
自分の嗜好が、他人にはまったく理解されないのではないか。
誰とも共有しあえず、奇異の目で見られるのではないか。
そうした懸念が先に立って、どうしても臆してしまう。
喉まで出かかった言葉を何度となく飲み下して、うなだれた。
たとえば。その対象である当事者本人を目の前にしても。

けして、自分が人から気味悪がられることが嫌なのではない。
何も言葉を発しないのは、きっと何も考えを持っていないからだ。
そういうふうにすり替えられて判断されることがつらい。
たとえば悩み事などを、積極的に話そうという気は起こらない。
そうではない、明るい話題すらも避けてしまうのが問題であって。
結果、誰かと話をしていても間がもたなかったりしている。
趣味を持たない退屈な人間だと呆れられているだろう。
だが、それは耐えるべきこと。暴露か秘匿かの二択なのならば。

現在は、ホームページが解決手段のひとつになっている。
好きなものについて好きなだけ書いていい場所。自分だけの城。
ぼくにとってはコミュニケーションが目的なのではない。
世界に発信された孤独な戦い。自己アピールという戦略性。
どんな文章を書いて、閲覧者にどんな印象を与えようか。
自分に関する情報を開示することは、とても重大な事案なのだ。
かつてカラスに魅入られたぼくは、カラスの有り体を標榜する。
“美しい”羽根を身にまとい、わかりやすい形で嫌われて生きよう。

それこそが最たる戦いであるとしても。

2006/05/22

何も知らないままでいればよかった。ずっと好きなままでいるためには。

今でも記憶の深淵から目を背けたくなるほどの事件だった。
本物のリンチというものを、目撃したことがある。
ただ暴力をふるう場面ですら、日常には縁遠いものであったのに。
一人を大勢で、取り囲んで威圧し、執拗に追いかけ回す。
そして。鈍く、重く、地味で、そして醜い、音、音、音。
狩りだ。動物が獲物を狩猟する行為そのものだと、思った。
あのまま続いていたら、やがて命を落としたかもしれない。
人間が人間に嬲られ、体が変形し、果ては死に至るという戦慄。

今回もまた。目の前で集団暴行が繰り広げられた。
起伏のない人生観など一瞬で転覆するほどのスパンコール。
嫌悪という感情のみで結託した敵意が、けたたましく叫ぶ。
罵倒や暴力による加害が、あたかも正義だと言わんばかりに。
攪拌され、分離され、火で焼かれ、そして打ち捨てられる。
飛び散る。引き裂かれる。血が。肉が。料理の素材のように。
指をくわえて見ているしかなかった自分が悔やまれる。
これがかの遺棄事件のニュースに繋がったのかと思うと、なおさら。

それ以上に、被害者がぼくが好意を抱いている相手だった事実。
いたぶられていたのは赤の他人ではなかった。よく知った顔。
しかも、ただの知り合いでもない。特別な執心。特別な感情。
それゆえ。尊属殺人の罪のように、より一層重い呵責に苛まれる。
しかもこれは過去の判例ではない。ましてや空想の中の惨劇でも。
代わるがわる跨られ、呪詛のような薄汚い言葉を吐き散らされ。
生命の流脈そのものだったそれが、ただの泥へとなり果てていく。
その上から撒き落とされる白い液体。劣欲の慰みものにされた。

制止する勇気もなくて。守る力もなくて。一体ぼくは何をしていたんだよ。

誰もが、最大限の自尊心と最大級のうぬぼれをたぎらせている。
普段はだらしがなくても、いざというときはやれるはずだと。
そんな根拠もない骨粗鬆症の自信の上に、虚勢を構築している。
だから足下を見られると弱い。本当はみんな不安定で、みんな不安。
怯えを隠そうとして、なおさら意地を張る。後には退けなくなる。
それでも逃げて逃げて、取り返しのつかなくなったころにやっと気づく。
そんな失敗を、生涯の汚点たる致命傷を、どれだけ繰り返したか。
死ななきゃ治らない。まったく言い得ているのかもしれない、と。

困難に陥ったときに、どのように抜け出すかという術よりも。
そもそも落とし穴にはまらないための用心深さを身につけたかった。
まだすべての悪夢が終わったとは思っていない。寒気が収まらない。
だから、これ以上の厄介事を起こさないことを優先すべきだと考える。
面倒なことに関わらないように。世俗の誘惑に巻き込まれないように。
それが結果として、大切な誰かを見捨てることになるかもしれない。
自分が傷つくより辛いことだと知っているから。躊躇してしまう。
またあんな思いをするなんて。その警戒心が、一歩の歩みを阻んでいた。

前に踏み出す力がほしい。漠然な願いだということは承知の上で。
肉体的な力ではない。即物的な力ではない。
畏怖の植え付けを伴うような、他者を従わせる力でもない。
ただ、自分の意思を貫きたい。後悔のない決心をしたい。
戻れないことや払う犠牲を天秤にかけても、なお遂行する力を。
満ち足りたような生活であっても、まだまだ目標は山ほどある。
経験したいこと、叶えたいこと、打ち明けたいこと。星の数ほども。
ひとつひとつ、時間を無駄にしてでもこなしていく。この両脚が動くかぎり。

ただ思うだけ、好くだけ。それは無力かもしれない。けれど、いつか実ると願いたい。

2006/05/28

こんなことになるのならば、初めから光線銃なんて脇に差さなければ。光線。

また心が×××った。同級生が転校してぽっかり空いた机のような、四角い穴。
自分から×××たのではない、と主張する。×××った。あくまで外因によって。
これまで××××××積み上げてきたものが×××××吹き飛ぶ。そんな徒労感。
何のために、××××たのだろう。話を合わせたのだろう。そこにいたのだろう。
たどたどしい手つきでフィルムを回した、自主制作映画の中の物語だったのか。
演じることは、何かになろうとすることだった。要求されている、その何かに。
その願望自体が無益だった。所詮、×××になど××ない××だったということ。
無我夢中で××××ていた月日、それがそのまま、滑稽な屈辱として降りかかる。

どうしてそんなことをしようと思ったのか。胸の中をほじくり返すたび嫌になる。
片翼は折れ、導くものをなくして。どこに漂着するのか自分自身が誰より知りたい。
恥ずかしい生き方はしていないつもりだが、かと言って決して誇れるものでもない。
どこかで道を誤ったとは思わない。しかし誤らなかったからこそ、収穫もなかった。
そういうことだった。すべては忌避。気づいたときには、もうすべてが手遅れ。
一つ覚えのように後悔と反省を幾重も塗り固めて、少しも前を見ることをしない。
それすらも。他人のことを責められやしない。愚かな繰り返しだけの人生だから。
終わりがあるのなら終わらせたい。何もかも捨てて。そんな言葉が口をついて出る。

一方、頑なに口を結ぶ理由は明白だ。こんなこともあろうかと思って、という。
具体的に隠したがっているのは、自分の失敗や、大恥をかいた経験や、無駄な努力。
そういう格好悪い部分だけ。これでもかと言うほど外見を気にする、その卑しさ。
ぼくは何かに挑戦している。何か目標を持っている。表明するだけなら簡単だ。
しかし、上手くいかなかったり途中で挫折すれば、弁解をして回らないといけない。
自分の失態を振り返って説明する。これほど身の縮む思いをすることがあろうか。
失敗が怖いのではない。それを人に知られること、話さなければいけないことを嫌う。
だったら、最初から何にも手をつけていなかったことにすればよいのではないか。

××を××するかもしれない×××であろうとも、だから知らんぷりで通す。

そんな小賢しい意地を張っているから。招くべくして招いた×××××だった。
あまりにも無様すぎる結末。屈辱すぎる敗北。××から××てしまいたい。
かけらほどにも×××ていなかった。×××××存在の、致命的なまでの小ささ。
とても勝ち目がない。堂々と覆い被さる。すぐ飽きて忘れられる流行曲のように。
自分の力が及ばないがゆえだとしたら、それだけの話である。まだ諦めがつく。
しかし。こんなに×××××な××は、××××たに等しいのではないか。
××××のことや××には目もくれず、いったい何を見つめているのだろうか。
知っているくせに。殺したはずの××という亡霊に、今、侮蔑されているのだと。

本当の自分が目覚めること、いわば深層意識に眠る本心との邂逅は、確かにあった。
その瞬間に特別な意味は含まれない。ずっと以前から気づかないふりをしていただけ。
それでも、内なる行動原理がいかにくだらない優先順位ででてきるかを知るに至る。
最も汚い感情で自分は動いている。短絡的な衝動、卑下と差別、猜疑心、そして×。
もう目も当てられない。他人と同じように泣いたり笑ったりするこの顔が醜くて。
不真面目だとか嗜好が変質というのとは別の次元で、本当にバカなのだろうと思う。
それでもいい、などと腹をくくって身を曝したりするのだから、もう始末に負えない。
だって。ぼくは利用されていただけ。

この××××を、いったい何と戦っていたのだろう。何に×××たのだろう。
すべてが非現実的な×××だった。自分には到底××ない、絵空事だったのか。
楽観するから後悔する。いいことなんて絶対に訪れないのに、どこかで念じている。
このまま生きている限り、また自分に裏切られるだろう。さらに徹底的な手法で。
×××××で、何も考えずに生きれば、人生はとても単純で心おきなく楽しめる。
そこでよせばいいのに××××××て、余計なことを目論むからいけないのだ。
質素で細々とした暮らし。目指しているはずの方向とは、逆へ逆へと邁進する昨今。
いつからこんな人間になったのだろう。目先のことに囚われてまた自分を見失って。

××を落伍させる世の中の不浄なるものを華麗にスルーして行き淀んでいく日々。

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