[むかしのなぞ] 2006/02

2006/02/02

目に見えるほどのオーラを全身から発していたって、戦闘力が伴わなければ意味がない。

少し滑りすぎた口を、思い返してみる。誤解を与えてしまっただろうか。
からかわれているのではないことくらいわかっている。子供じゃないんだから。
しかしその一方で、許されないものはやはり許されないと思う自分がいて。
どうして寛容になれないのだろう。何をそんなにギスギスしている必要があるのか。
たぶん、嫌っている。世の中の多くのものを。あたりまえにありふれるものを。
ほんの一部分の好きな世界だけを拾い読みして、それで愛したつもりになっている。
だから大半は未知の領域で。異空間の出現に戸惑うこともあれば、衝突も不可避で。
つくづく不便だと思う。偏屈であることは。関わり合わない振りをしている視野狭窄。

得か損かという考えをそもそもしたくないが、それでもやはり、損をしていると思う。
世の中、知らないほうがよいことも確かにある。だがそれは圧倒的少数でしかない。
多くのものを見逃したり、食わず嫌いして避けてきたこと。遙か遠い時間の向こうで。
ぼくは何も変わっていないのに。いや、変わらないから、ずっと気づかないまま。
出しゃばることをしなくなって、どれくらい経つだろう。もうこっちが本物の気がする。
堅牢な意志で心に鍵をかけた。封じなければならないものがたくさんありすぎたから。
しかし、その結果残ったものはと言えば。気軽に声ひとつ掛けられないつまらない人間。
抑えつけてきたとか我慢していたなんて嘘。そういうことにしておいて、真実を隠蔽した。

これからどうしたらよいかの対策を講じる段階ではすでにない。状況は終了している。
思い返したときに悔やまないような毎日を送っているとは、とても言えない状態の中で。
もはや最善も望むべくもない。遠いところに来ている。手綱を切られて野を彷徨っている。
他人のケースと比較できないと、こんなときに困惑する。信じられるのは頼りない自分だけ。
どう補っていってよいものか。過失に囚われて自尊を失い卑下ばかり繰り返した手戻りを。
どう償っていってよいものか。ろくに話を聞かず切り返していた無礼さと銃刀法違反とを。
慣れとは恐ろしいものだ。どんなに虐げられても寂しくても、心が苦痛を感じないようになる。
今さら心を開けられなくなったなんて。本当の意味での過去の清算がこれから待ち構える。

コレクションにしてしまってはいけない。活用して初めて味が出る。いっそ搾取するくらいで。

2006/02/04

直感を信じられる一方で、何となくはあてにならないとも。

自分の中での決まり事を破るときは、いつだって心が痛む。
あくまで個人の話だから、他人とは分かち合えない苦しみ。
それでも譲れないものが誰にだってある。こだわっている。
宗教的なしきたりに似ている。それぞれの心の信仰がある。
だから、それに従わなかったときは咎人としてけなされる。
過去の判例からの帰結を覆すようなものであればなおさら。
かつ自分を熟知しているほど、常軌を逸した行動に過敏で。
こんな自分はあってはならないと、すぐ責任放棄にかかる。

ただ、これでも一通りの優先順序はわかっているつもりで。
タイムスケジュールが遅れるくらいさしたる障害ではない。
それよりも今は、目の前に立ち塞ぐ問題に全力を傾けねば。
問題。何が問題なのだろう。見てのとおり平穏でいるのに。
毎日、不自由なく生活や仕事ができて、まだ何をねだるか。
それが強欲ではないのか。卑しさに溺れる醜い人間の姿だ。
そういう者になりたくない一心で生きてきたのではないか。
見劣りしても恥をかいても清廉潔癖を守ると。それなのに。

自分の行動や考えの、理由を説明できない部分が多すぎる。
こちらから積極的に人に関わっていけない引っ込み思案や。
突発的に目を覚ます破壊衝動と必死に格闘している醜態や。
そして。人生の何たるやを悟るための最も無為なレッスン。
変人であろうとするのは、変な行動をごまかすためのもの。
謎な人物だから謎の言動を取る。そう思いこませたかった。
それが後々に自分の首を絞めるなんて。これでは狼少年だ。
何を考えているかわからない、イコール、誠意がないこと。

信じようとして拒まれることが、こんなに辛かったなんて。

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