[むかしのなぞ] 2005/12

2005/12/04

ついていけない。

自分で言うのも何だが、これだけ初志を貫徹しているのも珍しいと思う。
根元は微塵も揺らいでいない。あの日から。あの平行線の口論から。
他人はぼくの主張を一生わかることはないだろうし、逆もまた然り。
だが、世間では明らかに自分のほうが少数派で。それは自覚しているつもり。
自分が間違っているだけなのだろう。だが、それは頑として認めたくない。
いや、正しいかどうかなんてどうだっていい。間違っていても訂正はしない。
たとえばアニメキャラで自慰ができるかとか、そういった類の潰し合いでしかない。
ぼくの感覚は異常だ。アブノーマルだ。ただしぼくは自己矛盾は起こさない。

積雪の多い町に生まれ育った自分にとって、雪は生活の大きな障壁だった。
毎日の通学もままならない。それどころか朝、家から出ることすらも。
雪遊びができたりスキーを覚えられる程度。それさえも人によっては無意味だ。
だから、という言い方はおかしいが。出生のせいにするのは不適切だろうが。
だがそれでも、雪を見てロマンチックな気持ちになれる感覚が理解できない。
路面が凍るとか電車が運休するとか、もっと現実を見て嘆かないのだろうか。
身も縮むこの季節に、一体何を期待するのか。どんなからくりで心が躍らされるのか。
だからこの世はファンタジーなんだ。夢がこんなに大量に安売りされている。

そういうものとは無縁だと思っているから。これからも関わることはないと。
やりたいやつは勝手にやればいい。許せないのは、それを絶対善として扱うこと。
さも善意の親切のように勧めてくる。人の考えなどお構いなしに、口うるさく。
どうしてそんな疲れるだけのことに必死になれるのか、思うたび笑いをこらえる。
そして決めつけられる。おまえは不幸だと。おまえの人生は虚しいと。冗談じゃない。
世の中すべてがすべてそれだけで動いているなんて信じているほうがどうかしている。
自分でこう決めて生きているだけなのに、なぜケチをつけられないといけないのだろう。
本当に現実を見ているか自信はないが、少なくとも自分を熟知しているからこそなのに。

輪に入れないと。

2005/12/05

ここにいることに意味を持たせたいのは、きっととても不安だからだ。

一方的にうだうだ言って電話を切ってしまった。せっかくの夜。
譲歩を知らないのは、人の言葉に耳を傾けないのは自分のほうだ。
身近な人にさえ心を閉ざしたまま、何も言わないのは自分のほうだ。
誰よりも病んでいるのに。そんな人間の言葉が力など持ちえようか。
何も説得できないのは、弁が立たないからでも声を荒げられないからでもない。
ポケットに手を突っ込んだまま喋るような不真面目な態度で接するからだ。
ブレスも飛ばし飛ばし、スタッカートも効かせられない間延びした五線譜。
そうまでして、語ることもないのではないか。だからますます、頑なに。

茨と続く道。勝負をけしかけるには、明らかに手札が足りないのではないか。
現有戦力だけですべてを賄おうとしている。想像の範疇を踏み越えられない。
忘れてはいけないのは、人前に出るということは人に見られるということ。
人目を気にせずにいたくても、そうばかりは言っていられないということ。
見劣りしない格好を繕う必要はない。見せびらかすのとは意味が異なるから。
それでも最低限、いらぬ心配をかけられない程度の面は保っていなければならない。
不本意だとしても。信念にもとるとしても。それが世渡りというものだとして。
恥を恥とも思わない、存在自体が恥ずべき自分には。それくらいの体裁は、と。

戦うための準備。何のための、といつも己に問う。敵など自分しかいないのに。
いつまで閉じこめられたままでいるつもりだ。そしてそれに、甘んじているつもりだ。
弱さや欠点を誇るようになってはいけない。服をめくって傷口を見せて歩いては。
誰にも文句を言われないようにするために、強さを手に入れたかったのではないのか。
隠すことがいけないというよりも。隠してしまいたい闇の存在がいけないのであって。
心に後ろめたい部分があるから、そこを突かれる。痛いからこそごまかしが効かないのに。
立ち向かうために。逃げないために、すべてを晒すということ。荒療治だとしても。
ぼくは別の手段で回避した。闇を闇として乖離しない。天使も悪魔も共に生きよう。

発せられることのないまま死に絶えていったつたない言葉の弔いの分まで。

2005/12/08

待ちぼうけ。待ちぼうけ。ある日せっせと野良かせぎ。

冬の雨は温かい。晴れた日のほうが空気が冷え切って熱も逃げて、より寒く感じる。
表面的な明るさや色だけでは、肝心なものは伝えられない。すぐに乾くだろう。
近寄ることだけが親密ではないという、裏づけの噺に使ってしまいそうな自分がいる。
景色を望むとき。気に入った景色を愛でるとき。そこには深層的な主観が含まれる。
自然が自分に語りかけるのではない。自分に好都合な解釈を、モザイクから浮かせる作業。
木の幹や魚が人間の顔に見えたりするのと同じこと。無意識にシンボルを探している。
そういうことなんだ。ぼくの場合は、自分を擁護するための証拠集めに躍起になっている。
手で触れてみたら外観のイメージと違ったぬめり。だから二面性を好む。だから冬の雨。

そのルーペを向ける先は、自然観察に留まらない。自分自身のことも穿って見ている。
口数が少なかったり、簡単なことがうまくできなかったり、やることが裏目に出たり。
そうした劣った部分が、何かの裏返しではないのかと。そう信じて、否、願ってやまない。
何かを持っていない代わりに他の何かを持っている。トータルではバランスが取れている。
そういうことにしてくれないだろうか。もう、切実な懇願になってしまったけれど。
不憫すぎるから。そう思わないことには、いつも恥をかくことも、いつも損をすることも。
以前より、自分を嫌わなくなった。しかし好転ではない。呪ったり罵っても無意味なだけ。
まだ見ぬ自分を夢想して期待を寄せることも、自己非難と同じくらいの徒労になると知っただけ。

導かれているのではない。だが、どこか半分決まっているようなところはないだろうか。
人生とは結局、先達の真似で。こういうふうに、という概略を刷り込まれているからこその。
その中で必死にもがくぼくたちを、上から見下ろして愉しんでいるのは誰なのだろうか。
抗えば抗うほど、人間ひとりの存在はあるかないかの粒のように見えてきてしまう。
それさえも策略だとしたら、本当によくできている。いいように動かされていると自覚できる。
実際にはそうではないから。よいことも悪いことも、従順も反逆も、やがて自分にはね返る。
そのぶつけられた痛みをこそ生と。生きる証として受け止められるか、それとも逃げ出すか。
果てに待つのが感情のない無呼吸の世界だとしても。虚数空間に飲まれゆく影だとしても。

そこへ兎が跳んで出て。ころり転げた木の根っこ。

2005/12/12

もう、人間の価値は金では計れないなんて甘ったれたことは言わない。

何よりも悔しいと思ったのは、誰も憎むべき仇がいないということだった。
遙か過去の戦争のことを、加害国の現在の市民は何も記憶していない。そんな状態。
今でもこんなにも虐げられているのに。日々蝕まれて苦しみあえいでいるのに。
訴えたり賠償を求める被告がいないのだから。虚脱感は泣き寝入りの比ではない。
そして、ぼくはそれを横で見ているだけ。
成仏した人が天界から見下ろす世界は、きっとこのように映っているのだろうかと。
それくらいに、違和感のある風景。手に届く日常なのに温度差があって。隔たりがあって。
そして。きっとこのように、居たたまれない慚愧の念に駆られて切々と過ごすのだろうか。

もっと言えば、恨む相手を間違えている。間違えたまま、何年も生きてきてしまった。
血塗られた支配社会。地の底へと突き落とされ、そのまま地面をのたうった過日。
あのとき味わった屈辱を、誰かのせいにしてしまいたいと思うのも無理はないだろうか。
だが悔いる。今までの時間、一体何をしていたのか。目を離したすきに子を見失った親だ。
生きて帰ってきた失敗作を、たった数日の余命と知っても、抱きしめてあげられるだろうか。
そういったことを考えるにつけ思う。なんと薄情なのか。言葉で語る愛など薄っぺらだと。
肝心なときに何もできないで。助けを求められたときに側にいられないで。それで今さら。
はっきりとわかった。憎むべきは自分自身。後悔と自責にまみれて死んでいけばいいんだ。

ヒロインにもヒーローにもなれない。祝福されるようなゴールではなかったけれど。

黒い自分が幾度となく腹の内で渦巻いて、吐瀉物のように口から飛び出しそうになった。
ふたつの世界の間に。断崖の絶壁のような、途方もないまでの確実な距離を感じた。
頭ごなしに責め立てても心までは変えられない。過ちと知っても、それを覆せない。
届かないって思ったら、もう駄目なんだ。己の無力さとは違った無念に苛まれて。
そのまま、利己的な自己破産を迎える。
これだけ苦しいのは、そこに至るまでの種を自分で蒔いたからだ。正統種と雑種と。
結局、悲劇じみたみじめな自分の状況に酔っているだけ。なんと不幸なのだろう、と。
だからそんなものは罰でも何でもない。自ら甘んじて、いや望んで堕ちていったのだから。

正義を貫く矛にも、悪意を遮る盾にもなれない。それで完全性を求めたなんて笑わせる。
自分を破綻させなければそれでいいなんて身勝手な言い分。独占市場にいる気になって。
片時も忘れるな。一人で生きてきたのではないこと。一人で生きているのではないこと。
ここで何を言っても通らない。皮肉めいた発言をすれば注目してもらえるとでも思ったか。
極寒と灼熱が交互に訪れるこの24時間。校正も編集もされないオーバーテロップ。
いつか知るときが来るだろうか。喪失したものの重みを。悲しませた人たちの涙を。
そしてぼくも。今まで馬鹿にしてきたもの、軽んじてきたものについて。報いを受ける。
いっそ胸を引き裂いて欲しいと。そう懇願せずにはいられないほど、鋭利な鉈の現実が。

貯えていよう。歩む道の先に落ちたときに、潤せる良心となるように。

2005/12/13

もうわかっただろう。性根が腐っているんだよ。

寝ぼけ眼で書き上げた文書に仰天した。何だこのブラックメールは。
これが本当に、自分の頭と口と手から生み出されたものなのかと疑うほど。
だが、これが本性なのだろう。この醜い劣等感こそが、自分の正体なのだ。
嘆くだけ嘆いて、儚むだけ儚んで。寂しいとか不幸だとか鬱だとか並べている。
つまらない。能書きをたれるだけの、能なしの自傷行為。くだらないんだよ。
この体がすべて知っている。一面的な世界に溺れることの愚かさを。濡れ衣を。
だがそれも、自分の状況を裏返して見た写像に対する憤慨。とんだ逆恨みだった。
狡獪や悪知恵という言葉を充てるほど、賢いとも思えないから。やはり薄汚いと。

体内のたがが外れたかのようだった。不調。何をしても半分上のそらで。
気分がもやもやした日は、決まって夜景を見に行っている。謎の深夜徘徊。
耳をつんざく寒空の下、自分しかいないという空気を実感できる心地よさ。
このスポットを知っているのは、立ち止まって眺められるのは、ぼくだけなんだ。
誰にも教えない。宝くじが当選しても隠しているタイプかもしれない、と思う。
そもそも購入したことすら明かさないだろう。そんなだから、秘密の行動ばかり。
だが、それでいいのだと。自分の100パーセントを理解してもらわなくていい。
困ったところは、肝心の告白をどうしてか躊躇って1パーセントも口にしないことで。

署名が付された事実はもはや何人にも否認されない。こうしてひとつの刑が確定した。
何を偉そうなことを。だいいち、人に説教などできるほどの人格者でもないくせに。
自分の立場や状態もわきまえずに図に乗ってばかりいるから、道を踏み誤るんだ。
自分のことを見てもらえるとか食べてもらえるとか、虫のいいことばかり言うから。
ぼくは愚かでありたくない。夜店のカメなど買う必要ないと、冷静になって考えられる。
語るだけ無意味だということを、少なくともちゃんとわかったうえでの自重だから。
逃げだとしても。他人を攻撃する度胸がないから、己を標的にしているだけだとしても。
本当は声を大にして叱りたい。自分にしかできない役目。なのに、資格がないとか呟いて。

ユラユラ、グラグラ。実物を見なくとも、危うさは想像に難くない。

2005/12/16

どうもしなくていいのに、どうにかしなければと思ってしまう。

刻まれていく。袋に詰められ外側から殴られちぎられ捻られを繰り返して。
口の中はどんな味になるだろうか。血の味、砂の味、鉛の味、同位元素の味。
さながらブラックホールのような球体。その塊は白いのに、すべてを吸収する。
閉じこめられていく。光の中。騒音に耳を塞ぐ。聞きたくないから無機質スマイル。
そして、ほとぼりが冷めるのを待つ。ゆっくりとゆっくりと。罪悪が風化することを。
それが逃避でなくて何だろうか。自分の犯したことを真摯に受け入れられもしないのに。
だからますます取り残される。追いつめられる脅迫に駆られて、さらに無理を重ねていく。
大気は不変。時代は変わったと思っているのは、時代の変化についていけなかった人間だけ。

過去だけを。楽しかった時間だけを思い出して掘り下げる。とことん浸る。
同じ場所にいたことを懐かしんで、輪を囲んで、あのときは楽しかったね、って。
なんとも病的である。現在、二人の間を結ぶものは皆無なのに。約束すらも。
忘れていたのではない。思い出さなかったのだ。能動性の欠落が溝を広げた。
物事の終わりを、なぜ認められない。どんな関係も、果てなく続くことなどないのに。
いずれは分かつ。それぞれが、それぞれの道を模索しなければならなくなるときが来る。
その実感を持つべきだ。再会を誓うべきだ。アドレス帳に入れておくだけなんて駄目。
日は暮れ、年も暮れようとしている。新年が明けたことが「おめでとう」になるように。

やってみなければわからない、などという希有な例外にすがって生きるのではなく。
素敵な何かに出会うかも、などという世間知らずの少女を気取るのではなく。
現実を見る、ということの本当の意味をどこまで理解し、実践しているかということ。
少なくとも夢想はしない。輝くような時間など訪れないこと。勘違いをすることなく。
ここにいる限り、明日も今日と同じ。日夜積み上げているものを、自己評価できぬ日々。
そしてまた、ぼくは嘘つきでありつづけるだろう。この世界の住人でいるうちは。
わずかな眠りの時間にだけ安息があるように。真の平穏は、死によってもたらされよう。
断じて言う。人が生きることに意味はない。それでも夢中で生きるから興味深いのだと。

書きためた思いを打ち明けることにそんなに必死になって。傑作。

2005/12/21

企むことをしなくなったら、それだけで臆病者と呼ばれるのか。

ずっと遠ざけていた。自分には不要のものと。くだらない馴れなど。
本当は違う。向き合える器量が足りなかった。子どものままだった。
甘い声を出したり、温もりに委ねたり、性欲と差し替えたり、とか。
きれいな気持ちではいられない。白が赤になる瞬間は、恐ろしい。
志を貫くと言って、ただ回避するだけ。いつの時代もさすらいの旅。
旅を続けるのは、どこかに行きたいからではない。帰りたいからだ。
本当の自分の居場所を、心の故郷を、あてもなく探しているんだ。
それはそもそも、現在の自分が本物ではないと否定する自傷ゆえに。

やめよう。生まれた場所に帰る、なんていう発想は。ぼくは往く。

2005/12/23

「纏」(1/3)

まるで酒でも飲んだかのように、目が赤く充血していた。
鏡に頬を寄せて火照りを冷ます。それだけ興奮を抑えられなかったということか。
ただし、それは好戦的なそれではなく。恐らくは屈辱に耐える類の。
不適切な形容だとしても。語る代わりにずっと態度で表示していた。
奇しくも、一年前の仲違いのきっかけの日に取った浅ましい作戦と同じ方法で。
いや、それすら振り返る立場にはないのかもしれない。あの日を境に壊れた。
こんなことで思い知らされるのだ。何も改心などしてはいないことを。
反省もせず、性懲りもなく。よせばいいのに同じ過ちばかり繰り返して。
だからこそ情けないと感じたり、言いたいことを口に出すのを憚ったりする。
裏の裏をかいて。自分自身のことだけを見つめていた。
もしくは、話を自分に置き換えてパズルしていたのかもしれない。
結局、同じ傷を抱えているということ。同じ痣を心に刻んで生きている。
照り返しが怖かった。振りかざした言葉の暴力への相応の仕返しが。
自分が何かを指摘すれば、その分自分の欠陥も突かれるのではないかと。
誰だって、リスクをかぶりたくない。だから、みすみす矢面に立ちはしない。
あえてそうすることの勇敢さが問われているのだとしても。
騒ぎ立てず傍観することの無実的美徳に囚われているのだとしても。
自分の身を捨ててまで他人に捧げたって、何の得にもならない。損なことだ。
決定的に、隔たってしまった。最大限の譲歩も同情も届かぬ、その溝は。
個人的な感情を持ち出すまでもない状況だった。これほど自明な合否判定。
だからこそ、今まで当然だと思っていたことがふと信じられなくなる。
考え方が間違っているのは、実は自分ではないのかと。
意見なんて言えない。すでに答えが出ているから、という事実以上に重篤なこと。
無力さを呪うのではない。ぼくがぼくとしてそこにいることへの、そもそもの愚問。

口ではそんな経験ないと言っておきながら、本当はある。しかも真っ最中だった。
鶴の恩返しを思い出す。老夫婦への感謝の気持ちとして、鶴は反物を織った。
自分の羽をむしって。他には何も返せないから。その反物は、商人に売られる。
商談に花を咲かせて儲けの算段をし、金色に光る小判を手にして薄ら笑いを浮かべる。
鶴は絶句した。この人たちが何を言っているのかわからない。おかねって何、と。
それでも機織りをやめなかった。自分がただの金づるだと認識しても。老夫婦のために。
彼女はどんな気持ちでいたのだろう。覗かないでください、と閉ざした心の奥で。
その身を丸裸にして、翼を捨て、これだけは売らないでと添えた最後の反物を残して。
まったくその状態だった。インターネット上に転がる無数の異次元の体験談として。
惰欲や傲りやボーイミーツガール。世の中は厭なもので溢れかえっている。
それらから己を守るためには、やはり自分の殻に閉じこもるしかないのだと。
ぼくが庇っているのは本当にちっぽけなことだ。つまらないプライド程度の。
だが、結果としてそこに足を取られている。頑なに厳格になることで。
大切なもの、と言い張るくだらないものを捨てきれないのなら。
過ちだと知って、それなのにその時間に引き返そうとするのなら。
もう、引き止めておける手だてがない。それこそ自分のロザリオを差し出すしか。
一人で家にいて、長年使い古したコンポで一月前の新譜をずっと聴いていた。
例によって歌詞など傾聴しない。誰かに共感するなんて、分かちあうなんてうんざりだ。
何となく雰囲気に浸れればそれでいい。いや、それ以上に求めるものなんてない。
久しくトラブルや悩みから無縁で生きているから。その時点で輪には入れないのだし。
心地よい胸の痛み。忘れさせてくれる。何度も何度もループした。
よい買い物をした、と思った。賢い消費者を目指すぼくには、何よりの自分への賛辞。
満足に生きていられる一日一日を実感するために。だから、今日はいい日だ。
けして、明日に持ち越さない。未来に続けない。毎日が一話完結。何の迷いもなく、断ち切れる。

意味もない用事で大量のバカが街に溢れる日。ぼくも俗物にまみれる、風景の一部分。

2005/12/24

「纏」(2/3)

修復不可能なまでにほつれてしまったこの糸を、どうたぐり寄せよう。
うまくいったとか、円満に事が進んでいると思ったら大間違いだ。
危うく溺れかけるところだった。逼迫的な退行に流されての、未遂。
胸の内を、見抜かれていたのかもしれない。だとしたらやはり相当の策士だ。
いつも甘い戯れ言や痛々しい妄言など口にしているから。避けられる。
狼が来たとうそぶく少年のようだ。やがては誰も相手にしなくなるだろう。
人は何人たりとも、他者と感情を共有することはできないのであって。
それを誤解したまま苦しみや悲しみを吐露されても、といったところか。
すでに心はタイムスリップしている。戻れるものなら戻りたい瞬間ばかり。
つまり、自分が選択を誤ったと自覚しているポイントの数だけ。後悔の数だけ。
人生はゲームではない。セーブもリセットもない。それなのになぜ冒険したがるか。
何か、が起こってからでは遅いのに。誰に後始末をさせるつもりなのか。
それでもいいから、などという考えに至るのは、やはり卑屈だったということ。
何に不自由しているんだ。何に飢えているんだ。見え見えの下心をのぞかせておいて。
絶対的な温度差に、気づかなければいけない。北極と南極でさえ、季節は異なるのに。
もう振り返らないと決めてから、こんなにも月日が経ったのに。いまだに。
邪念が入りこんでくるのと、必死に格闘している。未練だとかそうじゃないとか。
ぼくだけが言い当てられずにいる。誰もがスマートにやってのけることを。
ひとえにぼくがスマートでないということ。いびつで歪んでいるがゆえに。
ダイエットでも整体でも治せない。胸を開いて見せたって、それでもはぐらかして。
些細なことで人を疑って、逆恨みから敵意を持って。この病気こそ誰にも救えない。
だから無意味だというのだ。触れあおうなど。出し惜しみなんかしていない。
毎日脱ぎ捨てられる殻。手に取って握りしめる。連絡を待ちぼうけの携帯電話のように。
総括すれば、何の成果も得られなかったということ。ついには、距離の取り方すら。

やっとわかった。積年の疑問。自分の中に発見しうる全部の悪腫の総量よりも重い癌。
感謝など誰も求めてはいない。
最終的に嫌われる原因は、突きつめればそこにあったのかもしれない。
ぼくはしつこすぎる。一つの案件をいつまでもこねくり回す。こんな日記が典型だ。
何度も賞賛したり礼を言うのは、広い意味で根に持つということではなかろうか。
過ぎたことを延々と気にしてねちねちと悪態をつくのと同じくらい、たちが悪い。
礼儀も儀礼も廃れたご時世。格式ばった堅苦しいこと、それだけでうんざりされる。
目上も目下も、あるいは貞節もなく、無遠慮にじゃれ合うことが親密さとされ。
それに加われというのか。片棒を担げというのか。道連れになることが誠意なのか。
ぼくだってお世辞は言いたくない。好きこのんで律儀なのではない。だが。
言い訳がましいけれど、そういうふうに生まれ育ったのだからどうしようもない。
それ込みでぼくだから。その一点を受け入れられないから、というのなら仕方ない。
改める気もないし。他人に気に入られたいがために自分を曲げるなんて最低だよ。
どれだけ自覚が備わっていたか。伴っていたか。ということになるだろうか。
自分の意見や主張だけを貫くことが、最終的には相互理解への近道になることを。
人にへつらったり合わせようと努力していては、到底発展的な関係は築けない。
一人ひとりが自己の目的を追求して、それで世の中うまくいくなんて、できすぎている。
神とか創造主と呼称されるような、絶対的存在の可能性を信憑する瞬間である。
しかし忘れてはならない。その超越した意思に、真っ向から対立する者もいることを。
相手に鬱陶しがられても、ウザイと毒づかれても、思いを伝えずにはいられない衝動。
こんな人間でも愛想を尽かさないでほしい、なんて頼めた義理ではとてもないけれど。
それでも、ぼくはこの自分と向き合って、ただ恥ずかしく、生きていく覚悟だから。
憐れみが純粋な善意ではないこと、独りよがりであること、ちゃんとわかっているから。
どんな目で見てくれてもいい。一つひとつの冷笑に、精一杯の笑顔を返すだろう。

完全に冷え切った状態から、何度だってジャッキアップしてきたのも事実ではないか。

2005/12/25

「纏」(3/3)

蓋を開けなければいけない。開けてはいけない。いつだって、その葛藤の中で。
そういうことなのだと思った。何のひねりもない、予定通りの予定をこなした夜。
自分から動かなければ、行動を起こさなければ、何も事態は変わらない。
また反対のことも言える。働きかけをした結果、新たな災いも持ちこまれよう。
正直言って、考えあぐねている。それも含めて、何もしないでいるのだと思う。
あるいは、何もしなければよかったのにと。こんなことにならなかったのに、とも。
中途半端に優しくするから。中途半端に疑うから。そしていつも、押し通せないから。
言いくるめられて生きている。ぼくはこういうものだと、人から当て嵌められた枠を。
違うのだろうか。自分で勝手に先回りして考えているのか。そういう癖なのだろうか。
相手がこういう自分を望んでいるとか、自分にこうしてほしいと思っているとか。
きちんと対話ができていない証拠だ。だから空回り。無駄骨。自惚れ。独りよがり。
嬉しさよりも戸惑い。受け取った側は、きっと率直にそう感じることだろう。
わかっていて、わかっているのに、してしまうんだよね。みんな寂しさを抱えていて。
だからこそ、本当に納得できて、信用できるものを得たい。安いしきたりは求めない。
世の中のルールが何だ。自己欲のために他を踏みにじり蹂躙するのが模範生なのか。
くだらない。くだらないと言い放つことでしか体裁を保てない自分はもっとくだらない。
寒い夜だから。胸の奥にしまったものを紐解かずにはいられない。かじかんだ指で。
石鹸の匂いのする体が好きだった。腕に抱いて一緒に眠るとき、幸せを感じていた。
ぼくはいつも泣いていた。弱さを包み隠すことなくすがって、ベッドを叩いていた。
もう、まるで前世のことのように遠い昔のかすかな記憶でしかなくなってしまっているが。
それでもこうして、遺伝子には刻まれてしまっている。前科というレッテルとして。
過去にわずかでもそういうことがあったから、今の自分に至っているのだろう。
迷いも躊躇もなく厭いと広言できるし、後悔にはカウントしたくないがあえて反芻もしない。
以後の歴史を血塗るに足るだけの確実に起きていた何か。そんなもの、語れるわけない。

むざむざ弱点をさらすことは、絶対的な落ち度だと考える。つけ込まれる危険性。
善も悪も、何もかも信用できない状勢にあるのに。不用意で不用心だと思わないのか。
強硬に拒否するバリケードのようだ。これは駄目、これは興味ない、これはしたくない。
望まないものばかり、わざわざ並べ立ててどうする。格好の悪意の的になるではないか。
そもそも、胸に秘めるなんてことが。見え透いた魂胆がわざとらしすぎて興ざめる。
使命感と義務感を履き違えてもいる。真っ当なこと言っているようで、中身はスカスカ。
筋の通っていない張りぼてのようなやりとり。外面だけの見栄ばかり追い求めて。
そんなだから、いつまでたっても本質は見えない。逆にぼくが置き去りにされていく。
わかっていないというより、そもそも何も考えていない。ないがしろにしている。
自分のことなのに。人生のことなのに。一生に関わるほど重大な意味を持つのに。
先送りという名の後回し。未来への負債はどんどん膨れあがる。絶望的なまでに。
そのときになって、どうするつもりなのだろう。いや、人のことに口出しするのも変だ。
だって、誰も何も与えないではないか。感動や名言ばかりで、実体などもたらしはしない。
所詮は快楽。満たされているという感覚に酔って、それで満足して、何かを得た気になって。
もしくは、自分の失敗やどうしようもなさを誇らしげに口にして、荒廃に陶酔している。
もう、末期なのだと感じた。ほとんど壊れかかっていることを、まるで自覚していない。
昔のホームページで、同じ副題で3日続けてこんな日記を書いたことがあった。
今回はそのことを思い出して書いた。何も成長していない自分への皮肉を込めて。
心はあの頃に捕らわれたままなのだと思う。だからこんなに、ネチネチと蒸し返しては。
その一方で、大きく変わった部分もある。それはうまく言い表せないけれど。
いっそ、より頑なになったと言えるのかもしれない。よく言えばメリハリであるが。
必要最小限のときしか笑わない。心を開かない。情報量のない話をひけらかさない。
その筆頭に挙げられるのが、自分自身に関すること。公開と非公開の徹底した情報管理。
長いこと関係を遠ざけてようやく得た精神の安定を、わざわざ乱す方向にまた動き出している。

あの頃の自分を忘れたりなかったことにして、これから先を生きていくことはできない。

2005/12/29

バラバラに刻まれた細い紙片を繋ぎ合わせて、ようやく書かれているものが見える。

もっと軽薄ならば。一度きりの関係で終わらせられたら、どんなにかよかっただろう。
後腐れなく切れることこそが、人づきあいの中では重要なのだとわかってきた。
過ぎたこと。痛い思いをしたこと。心を預けたこと。思い出にできたらよかったのに。
人間、味を占めると貪欲になる。一つ許せば、あれもこれもと奪われていって。
そんなふうに、ずるずると引きずってしまったことが悔やまれる。そんな時間を。
節のない流暢な時間の流れの中で。ここは区切りでも何でもない、ただの通過点。
ぼくの一年は霜月に始まる。…そう、そういうこと。二十八年目のシーズンが始まる。
それを踏まえて、でもあえて振り返らねばならない出来事も確実にあったのではと。

頑張ると言ったって、何を頑張ればいいのだ。勉強方法を心得ていない受験生のようだ。
後戻りも失敗も許されない季節を迎えて。年を経れば経るほど、追いつめられていく。
このままではいけない、という危機感はある。しかし、それすらも漠然としたもので。
環境を変えなければ自分は変わらない、という考え方はしたくない。自己弁護だから。
今置かれている状況の中で、どれだけジタバタあがけるか、現実を打破できるか。
それが生きる力なのではないか。と、こんな無理難題をふっかけては早々に挫折して。
結局、自分のことが見えていない。何ができるのか、何をしたいのか、何が必要なのか。
友人たちを巻き込んで騒ぎ立てたあげく、やはり自問は最初の最初の原点へと回帰する。

嘘をつかない。隠しだてせずに捲し立てるから、時に苦しく、また時に狂おしく。
何かを嫌いだと表明することは、反感を買うが、しかしそれだけ勇気のいることでもある。
それすら口にせずに、存在そのものを無視するような態度を取る自分は、幼稚だ。
そして痛感する。なんと心が狭いのだろう。些細な間違いや差異にさえ、目敏すぎて。
許せないものが多すぎて。価値、倫理、道徳。そんなものの必要性を、鵜呑みにして。
もっと寛容にならなければいけない。本当は、両手を広げてもっと受け止めたいから。
求められるのは、自分の感覚にそぐわないものをいかに堪えるか。邪な話題を、しのげるか。
忍耐を身につけること。それは、人と関わることで初めて得られるのではないだろうか。

感情的になって冷静さを欠いている。嫉みという、この世でもっとも醜い感情に支配されて。

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