[むかしのなぞ] 2005/10

2005/10/01

こんなにも胸が苦しくなる。輪廻への序曲が軋む。

臆病すぎるにも程があるだろう。
と自分でも呆れるほど何も行動を起こせずにいる。
視線には気づいているのに。物語が始まりそうな予感だったのに。
先に動いた方が負けだと思っているのか。やはり怖気づいているのか。
関係を繋ぎ止める糸はとても細いもので。手繰ったら切れてしまいそうで。
だったら、両端に紙コップを取りつけて電話してみるかな、なんて。
危険な発想が湧いては却下される。何が危険だというのか。
コネクションレス型のパケット伝送でいいんだ。ただそれだけで。

失敗は重ねていた。失敗、と呼ぶことにためらいもあるが。
それをなかったことにはできないが、囚われたままでいる必要もないのに。
リセットしようという発想が気にくわない。一生キズモノだろうが。
苦しくなると新天地を求めたがる。理想郷に現実逃避を託したがる。
逃げて逃げて、自分の居場所を見つけても、また同じことの繰り返しなのに。
わからないから何度も誤る。何度も道を踏み外してボロボロになる。
そういうのをずっと見てきたから。もう不様な姿はさらせないんだ。
辞めればいい、帰ればいい、別れればいい。単純って羨ましい。

誰かのために何かをすることが、とてもみっともないことに思える。
結局は見返りを求めているのに。善意が浅ましくて。機嫌窺ってへつらって。
自分が生きるためのエネルギーの一部を、自分以外のものに割くんだから。
実際のところ、報われなかったときの損失をリスク予測しているだけ。
だがどんなに言い訳がましくなろうと構わない。
これは暴動を阻止するために講じているのだから。
何と言われようと怖いんだ。やさしさに触れることが。
狂気への扉に見えてくる。恋をしてしまうことが。

なに言ってやがる、と誰か笑い飛ばしてくれないか。それはもう切実に。

2005/10/04

どこまでもどこまでも。簡単に言ってくれる。

うつむいて歩いてばかりいたから、気がつかなかった。
視界の果てまでまっすぐに延びている道があることを。
すべてを知っていても、こんな身近なところは穴あきのままでいたことを。
スタートとゴールだけ。その道のりを辿りもせず。景色を眺めもせず。
歩幅を目一杯広げて、何をそんなに急いでいたのだろう。
がむしゃらに頑張っているようで、かえって見落としてばかりいた。
声をかけられても振り返る余裕もないくらいに。
いつだってあったのに。こんな寒々しさを脱却する機会なら。

染まりたくはない。何かとペアにされたくない。
自分を喪失することの苦しみと後悔を痛いほど味わったから。
人はいつまでも同じではいられない。また、そう簡単に変わりはしない。
チョークで描いた線の幅に収まる凹凸でしかない。
その線を大きくはみ出した徘徊。垂れ滴る雫が、分裂した心のように。
考えてもわからないから考えなければいい。ひたすら避けて通った結果。
ふらふらと。寝ぼけた授業中にノートに引かれたミミズが這って。
これが心電図だとしたら、まさに死んだり生きたり。生きたり死んだり。

だからもう一度。あらためてこの道をなぞる。
迷わないように。間違えないように。もう二度と。
かつては寄り添って歩いた道を、今度は誰も伴わずに。
ほら、しっかりステップを踏んでゆける。これからは大丈夫。
頼るなんて恥ずかしいこと。とても情けないことだから。
自信を得るための唯一の方法。自分で見つけること。自力で乗り越えること。
かなたまで踏破した先に何があるか。知らないはずがないだろう。
だからいつまでも躊躇したままだというのに。

ぼくは何かを選択することはできない。なればこその周到。

2005/10/05

心残りがあるとすれば、それはとどめを刺せなかったこと。

どんなに小さな言葉も。どんなに小さな出来事も。
今でも胸に響いている。そう、躙るような痛みとして。
外面を使い分けることが本当に上手になった。空しいくらいに。
そのうち取って食われるだろう。人格を乗っ取られるだろう。
これは演技ではないから。感じたまま、声を抑えきれなくて。
笑顔は輝いているだの、涙は美しいだのと、一面的なことばかり。
感情を振りまくことがそんなに偉いのか。無表情は罪なのか。
努めて閉ざしているのではないのに。ナチュラルは受け入れられなくて。

刺し違えてもいいと、心からの執念が湧き上がった。
それくらいに強く願った。この手でなぎ払うことを。
虚軸と実軸を取り違えたりしない。ドライなほどに分別がついている。
楽観や甘い理想は断固として口にしない。描くのは完全夢想の絵空事だけ。
現実に存在している事柄に対してありえないという言葉を使わない。
わかりすぎるくらいにわかっている。だから、きまって己の内面へと逃げ込む。
言い争うことの醜さに嫌気がさして。現場に居合わせないようにしようと。
心の隠れ家として。おそらくは変質的で不気味であろう、この世界を含有する。

これからってときに勝手にくたばりやがって。死人に口なし、か。

2005/10/08

迷い、戸惑い、彷徨い、その果てに。

ノイズの混じらない信号などない。
発信波そのものは純白だったとしても、有線を伝播して相手先に届くまでには多少のダメージを受ける。
それを復元技術や除去フィルタでごまかして読み取っている、それが現状。
主たる情報を、混じりけのない主張だけを取捨選別している。
人間が発したり受け取ったりしているものも、結局は同じなんだ。
思ったままのことを純粋に相手に伝えるなんてできない。
言葉を聞いた者は、自分にとって利益になるパルスだけを拾い解釈関数をくぐらせる。
変調と復調。コーデックの互換性も確認しないまま。わかりあった気になっている。

何度きれいに鏡を拭いても、くすんだ汚れが落ちない。
目に映る世界を、ぼくの顔を適度に滲ませる。
見えるもの、聞こえるもの、肌で感じるもの。これくらいもやがかかっていていい。
すべては現実であって現実ではないから。
ありのままの大気を感受するなんてできっこないから。
なぜって。手つかずの自然など、もはや地球上のどこにもないではないか。
星空だって眠らぬ街のネオンや上空の粉塵がかき曇らせている。
人間が植えた草花や、人間が整備した山海に身を置いて、これが自然だなんてとても言えない。

とてもとても長い時間が経って。再び訪れた懐かしさ。
時代の流れとは無縁の寂れた田舎町。工業団地の中をのどかにバスが走る。カメが泳ぐ小川。
変わらないということは、なんと素晴らしいのだろう。実感として思えた。
だが、これ以上無責任にそれを願うなんてできない。
何もかもが変わっていくのに。ぼく自身も。変わらないで、なんて言える資格ない。
とても傲慢な存在だ。誰もが求める欲や、根拠のない自分らしさとかが。
すぐに、自分は何の罪も犯していないとか、何も間違ったことはしていないと考えたがる。
刷り込まれた幸せを追うことに微塵の疑問も感じずに。病んでいるなどと思いもせずに。

味を占めると強欲になる。不満と不幸の輪廻。

2005/10/10

手を取り合ってステップを踏んだこと、忘れていたわけじゃない。

つらいこと。いたいこと。さみしいこと。いけないこと。
すべてのものがそんなふうにしか映らなかった時期があった。
足を踏み入れたり手を染めることが、ただひたすら怖かった。もう何もかもが。
教室にも入れなくなった。大人数に囲まれて講義を受けるということが。
誰かに声をかけられるのではないか。誰かに出会ってしまうのではないか。
たまらなく恐れおののいた。人間関係というつながりが、そもそも荊だった。
避けたり逃げ回ったりして、たしかに苦痛はなかったけれど、けれども。
それ以上に多くのものを、あのとき失ってしまったのではないかと悔いてしまう。

蔑まれて当然なんだ。
ねじ曲がってしまった精神をそんなに簡単に治せるはずがないもの。
通過儀礼をこなしたところで、人と同じスタートラインになんて立てっこない。
その跳ね返りを今くらっている。しかたないこと、と受け入れるだけ。
本当だろうか。弱さを正当化できる口実を過去の出来事に探しているだけではないか。
だらしなくて情けなくてどうしようもない自分を、どうしてか愛してしまう。
かわいくてしかたがないんだ。だから許してしまう、認めてしまう、こんな最低なやつを。
荒れるだけ荒れておいて、荒らすだけ荒らしておいて。今さら戻りたいだなんて。

こんな今となっても、フツウと言われることは自分にとって最大級の侮辱だ。
間違っても人と同じものなど追いたくない。分類になど仕分けられたくない。
すれ違う人がみな避けていくような、あからさまな害虫になることだって厭わない。
そのほうがわかりやすいだろう。世界に二人といない存在だと、思えるようになるだろう。
何もできないから、なんて言い訳はもうしない。何もしないんだ。期待に応えない。
大丈夫だと思えるようになるには、劣欲の源素をことごとく取り去らなければいけない。
誰の心も体も欲してはいけない。誰にも心も体も与えてはいけない。
寒い冬、手を取ろうとした。凍える指先を温め合いたかった。それだけで二年間は終わった。

とても小さくなった。萎んだように。ただ何も言わずじっと見つめた。

2005/10/14

目張りをして耐えていこう。

窓を突き抜ける月明かりが鬱陶しかった。
深夜なのに眩しくて。目に障って寝つけない。
カーテンを二枚重ねてもなおぼんやりと光る。
誰かに見張られているような不安に駆られてしまう。
いつからか、真っ暗闇の中に身を置くことで精神の落ち着きを得るようになった。
何も見えないのは不便だし、心細さを覚えることもある。
だが、隔世や絶望にも近いそんな特異な環境が、不思議と心地よくて。
闇という無生物に、少なからず自分を重ねているのかもしれない。

スポットライトを、望んで浴びていたわけではない。
人に褒められることや注目されることは、もちろん嬉しかったけれど。
ただ、幕が下りたステージを支配する異様な静けさも脅威だった。
観客は消え、照明は落ち、埃の舞い飛ぶ壇上にぽつんと立っている。
あの譬えようもない孤独感が怖くて、舞台に上がること自体に怯えた。
それに、あそこにいてもひたすら演じるだけだったから。役者として。
自分の中の確固たる何かを掴めるとか、そんなことは期待できない。
だから光を振り払った。真剣であればあるほど再現映像は痛いから。

頑張って生きても報われない。誰も見てくれない。徒労に終わるだけ。
そんな退廃的観念が先に立つようになる。つまらない大人の始まり。
純粋であったり、何かに夢中になることは、恥ずべきことらしいから。
一生懸命な人を見ては嘲笑する。それが心の闇でなくて何だと言うのか。
昼も夜も同じ、時間感覚のない生活をしているくせに。
山裾にかかる朝靄や波間に沈む夕焼けを軽んじるくせに。
そのくせ、時間がない時間がないとごねてばかり。
生きるって何なんだ。ぼくは果たして生きているのか。

蝋燭の炎のように、月も夜空から吹き消せたら。

そして帰りましょう、闇の故郷へ。

2005/10/16

なぜ、告白してしまったのだろう。

とても凱旋とはいかなかった。
天気のよい朝。それだけで、何かが起こりそうな予感がして。
でも、たったそれだけのこと。チェーンの外れた胸騒ぎが空回る。
どんな大事件だって日々流され古紙回収されていくニュースでしかないのに。
ましてや、ちっぽけな個人の身に起きたことなんて。
叫んでも空しいだけ。寂しさは、認めても認めなくても。
埋めることのできないどうしようもない間隙の中に立つ。
それをどうこうしようとするから、余計に掠れていく。

理由を答えさせることに、何の意味もないことを知った。
何とでも後づけできるから。口ではどうとでも言えるから。
おそらく弁証や尋問は、真実を解明することに重きを置いていない。
自分の行動を自分の言葉で説明することで、納得したいから。
また、相手に胸中を吐かせるという優位な立場に浸りたいから。
双方がプロセスの履行自体による満足を得たいからしているだけ。
根底にあるのは、誰もがもっともらしく振る舞おうとする見栄。
自分のことを棚に上げた指摘ばかり。だからせっせと棚卸し。

それをとても重大なことのように思っているのではないか。
だから間違う。だから誤る。明らかに恒真であるととんでもない見当違いを。
胸に秘めた思いを打ち明けるのは美しいことだなどと。
誰も他人に演説など求めていない。まして自分への集中砲火など。
それをわかっていなくて、神聖な詔のように陶々と語るものだから。
どんなに押しつけがましいか。すがられて足を掴まれることは。
ぼくは嫌だ。奢るのも奢られるのも。みんな仲良し、なんて馴れ合いは。
体も心も、どうにでもなればいい。それでも人はずっとひとり。

弱みを握られることを人一倍警戒していたはずだったのに。

恋の魔力ってやつは。

2005/10/19

憎らしいと思うから。こんなにも愛しいのは。

なんだか、幼稚な自然保護活動を見ているようだ。
削られた山肌や干上がった砂漠に苗木を植えたり。
空き容器を回収して溶かしてまた容器を作ったり。
絶滅させようとした動物を今度は増やしてみたり。
何もしないよりはまし、という程度のことばかり。これが人間の発想の限界。
壊すのが本職だから。地球という星の数十億年の礎を、わずか数十年で。
それならいっそ食い尽くせばいいのに、なぜかみみっちく修繕したがる。
文明人が一人でも生存している限り、豊かな自然など元に戻せるわけないのに。

そのようなこと――みみっちい修繕を、やはり企てている。
自分でめちゃめちゃに壊しておいてよりを戻そうだなんて。最低の独善。
簡単に犯した罪を忘れてしまえる。そしてのこのこ現れ平然と再会する。
もちろん過去と同じ過ちを繰り返すようなことはしないだろう。
しかし、この手に染みついた血生臭さは到底払拭しきれそうにない。
記憶が脳内に叩き込まれる。新たな第一歩への必死の警鐘として。
発しようとするすべての言葉を、計算されたもののように疑わせる。
ぼくはとても冷たいことを口にしていると思う。それがからくりだから。

許されようとは思っていない。けれど懐かしさを感じている。
引き起こした結果に対して責任がある。責任をとらなければならない。
その上で平和を忌む。明確な敵がいなくなって緊張感に欠けている状態。
さらにその上で、身辺に何かが起こるなんておこがましい期待は抱かない。
状況は揃っているのに。宝箱がひとりでに赤く光りだす錯覚。
温かさに触れたら、自分がどうなってしまうかわからない、という拒み。
自己防衛とも自傷とも違うはずなのに。なぜいきらない。なぜ反らない。
禁欲が長すぎたせいで不能になってしまったのだろうか。

幸せになりたい。第二者にも妨げられない世界で。

嘆いても嘆いても優しさは甘くえぐるから。こんな自分が許せないのは。

2005/10/24

誰にも打ち明けられることなく塞がれていった心が、また。

どこまでも後ろ向きなのだと思った。過去を回想して懐かしんでばかりで。
甘美な世界。傷つかない世界。現在を直視したり未来を見据えるよりもずっと。
だが、罠がないわけではない。それ以上傷つかない、という限度額だけで。
掘り起こせば掘り起こすだけ、忘れかけていた記憶の箱が引きずり出されるから。
よいものであろうと、よくないものであろうと。魔を封じた葛籠であっても。
蓋を開けるたびに、取り返しのつかない史実が時間の重みを伴ってのしかかる。
ぼくにとって過去とは、罪の歴史だから。前科のひとつを、知らされるはめになる。
その問題をほったらかしにしてきたこれまでの時間が、そのまま刑期となって。

頭で考えるより、実例のほうを先に目の当たりにしているせいかもしれないが。
心の病気、という考え方を否認しきれない曖昧な状態にある。自分の中で。
誰も責められないとわかっていても、何かに責任を押しつけないとやっていられない。
その刃先を、自分自身に向けてしまったり。存在を否定して、諦めてしまったり。
自分が信じられない。自分以外のもの、外界のすべては、ただ受容するだけの事実。
主体性をもって自分の姿や行動を見つめるとき、どうしても公正ではいられない。
客観と主観。異なる単位系の物差しで計った自己と他者を、どうしてか比べたがる。
だから秩序正しい社会から不確定要素である自分を切除しようと。いうことなのか。

気づいてあげられなかったとか、何もしてあげられなかったとか。簡単に言う。
人が生きるか死ぬかってときに、自分の失敗など悔いている場合じゃないだろう。
自分を責めれば自分も被害者になれる、弱い者になれる。そんなのうんざりだ。
罪が許されるか、救われるか。他人のことを気遣うポーズをして、結局は自分だけ。
崇高な格言など、信念など何の役にも立たない。いざというときに行動しなければ。
人間は、という言葉で括られるような途方もない対象を相手にする必要もない。
当人にとって重要なのは隣接するノードのみ。近しい間柄の個人一人ひとり。
まず自身が立派な中継点たれ。人のことに世話を焼くのはそれからじゃないのか。

微々たることすらできない。自分のためにも、誰かのためにも。

2005/10/27

嫌なもので満ちあふれている。この世の中は。

こういうことがあるたびに、全身を違和感という針で刺されたような痛みが走る。
現実はけして綺麗ではない。そんな当然のことを、実際どれだけわかっているのだろう。
あざとい。何もかもが、自分をイノセントに見せようとするわざとらしい保身に見えて。
ひけらかすこと。言い訳をすること。悪びれないこと。もう浅薄な行為のすべてが。
白いリストバンドを見せびらかして善人ぶっている連中と何も変わらないではないか。
自分は正しいから、間違ったことをしている人を指さして笑う。なんと愚かなことか。
正義はもちろん正しい。善意はよいものだし、親切は思いやりのある行動である。
しかし、それを傘にして高みに立ったり他人をけなすようなことがあれば、それは悪用だ。

間違っているのは自分の考えや視点かもしれないのに。自分が笑われるかもしれないのに。

あまねく人々を束ねて、間隙を縫うように円を描く。自分を内側に入れるように。
そんな線引きがいつもどこかで行われている。補集合を排他的に塗りつぶす剪定。
どうしてなのだろう。人間の本能に潜む差別性とは。他人を攻撃しようとする意図とは。
自分の感情判断だけで良いとか悪いとか。超越者になったつもりで空間を切っている。
光の当たるところにしか身を置かない。いつも自分が世界の中心。無意識の罪の虚軸。
何のためらいもなく中傷の言葉を吐く。いとも簡単に人やものに嫌悪感を抱き避ける。
激しい愛のささやき。好きになることは嫌いになることと同じくらい忌まわしいことだから。
崇敬とはそれ以外の存在を無視すること。強い感情で他を縛ること。きっと覆りはしない。

だから心に神を住まわせない。ぼくは神ではない。

2005/10/30

ここにいる時間がぼくを変えるなら居ても立ってもいられなきよう。

このまま生きようと思う。
誰かの先導や手解きがあったとしても、それを選択したのは自分の意思だから。
同情や私情に流されたのではないということを行動で示したいから。
年を経るごとに、日常の行動はパターン化し、得る情報も少なくなる。
そんな凝り固まった状態を抜け出すには、外界と疎通して刺激を受ける必要がある。
平たく言えばきっかけ。何かがしたいという希望は持っているわけだから。
そういうものの世話になろうと思っただけで。他意がないことを、むしろ自分自身に。
他意なんてないってば。

すべては自分のための行動ということ。
けして何かを任されて、もしくは託されて、ここに立っているのではないから。
続けるのもやめるのも自由に決められる。その上で残留しているということ。
初めはどうでもよくても、そのうち楽しみを見出せるようになるだろうか。
思えば、人生そのものがそういうものなのかもしれない。
努力すればもっと上を目指せるかもしれなくても、このくらいでいいかと満足する。
安易な妥協。だがそれは逃げではない。個々に適した枝の位置や高さがあるのだと。
夢がないとか言わないでほしい。それよりも夢なんてやすやすと言わないでほしい。

みんな、もっと自分を見てほしいと願っている。
叶うならば良く見られることを望む。主張したがりのインターネット。
わからない。自分のことを語るなんて恥ずべきことと思っているから。
封印することでなかったことにできるわけなどないのだけれど。それでも落とし前として。
それでもわからない。自身を切り売りしてそこに維持している存在のことが。
ぼくは何がしたいんだろう。何を繋ぎ止めたいんだろう。何に惹かれているんだろう。
今だから思う。どちらがプロローグでどちらがエピローグだったのだろうかと。
一度は失われたものを取り戻したいのか。それとも過去を捨てて一から築きたいのか。

シカトした言葉に揺れる素振りして実は前から捨てきれなくて。

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