[むかしのなぞ] 2005/06

2005/06/01

デスペレイト。

中学校の授業で菊を栽培していたときの話だ。
丁寧に育てて、順調に数個のつぼみをつけるまでに成長した。
ところが、一番大きなつぼみだけを残してあとは摘み取れと言う。
どうして。疑問に思った。どのつぼみも、開花を待ってたわわに膨れているのに。
ぼくは大輪の花なんて見たくない。小粒でも、全部の花を咲かせたかった。
だがそれは許されなかった。間引いたほうが「綺麗」だからと。
つぼみの喉元に爪を立てたとき、指が震えた。ごめんね、ごめんね、と思った。
数十人分の鉢植えの周りには無数の命が転がっていた。掃き集めることすら誰もしなかった。

観賞用の花くらいなら、それほど罪悪感も芽生えないであろう。
しかし人間というものは、同じ人間の寝首まで掻こうとする。平気で同族を食らう。
人づきあいの中で、日常的に他人を取捨選別して、間引いて、生きている。
そう。きっと綺麗な関係のために。煩わしさや汚らしさを、己の美の論理に成敗させるために。
同じこと。人を、自分の都合だけで必要だとか要らないとか、決めてしまう。
コネクションという茎を切断すれば、絆を育むための養分は行き渡らなくなるから。
いずれは枯れていくだろう。死んでいくだろう。自分の理想の世界において。
そんなにおこがましくておぞましいことを、いったい誰がしていいというのか。

ぼくもまた、人を切った人間であり、人に切られた人間である。
それが世の掟というのなら、離縁や破局をいちいち気に留めていてはいけないのかもしれない。
けれども。菊のつぼみを毟り取ったその瞬間の感覚が、何度も蘇るんだ。
なぜだ。なぜ繰り返してしまうんだ。なぜみんな平然としていられるんだ。
個人にとって、他人との関係は観賞の対象でしかないのか。
こういう友を持っている、ということを自慢するためのコレクションでしかないのか。
それさえもが、世の掟というのなら。
ぼくも選ばれなかったつぼみになろう。地面に捨てられて、気づかれず死に果てよう。

今日という日を、もう一日だって増やしちゃいけなかったんだ。

2005/06/06

激しく打ちつける光陰もが、罰を与えられているようで。

無数のコンピュータ・グラフィクスの矢が降ってくる。
避けられないだろう。無事ではいられないだろう。ヒーローでもサムライでもないから。
格好よくなど生きられない。スマートになど生きられない。
人間はリアルだから。人生はリアルだから。血を流し傷つく生き物だから。
初夏の日差し。程なく湿気とモンスーンがもたらされ、やがて茹で上がる。
汗だくになって、制汗スプレーなんかを体に吹きつけて、地を這うんだ。
地上に落とされる紫外線の量は、年々増加の一途を辿っている。
なにが進歩だ。現実と空想の区別がつかないやつらが、こんな世界にしたんだ。

ただここに立っていることが、それだけで神業のように思えてくることもある。
ただここに立っているだけの、非生産的な自分を恨めしく感じることもあるのに。
わかっているのは、哲学的な問答を頭が避けたがっていることくらい。
人生の意味や自分の意義など考えず、頭を空にして生きていくほうがどんなにかいいか。
そのほうが「得」だとわかったから。
だって、寝ても覚めても、何をしてもしなくても、時間は等しく流れるから。
働いていてもいなくても、偉くてもこき使われていても、飯を食い税を納めるから。
諦観とは認めたくない。けれど、いち抜けた、ってしなければ永久に抜けられない。

ぼくだって、何かに熱中できているわけではない。
その場しのぎ。その日その日に、適当な娯楽を見つけてありついているだけ。
食いつないでいるだけ。とても長生きする適策ではない。
ただ、美しい景色に心奪われたり、欲しいもののために奔走する姿は、嫌いではないから。
自分にとっての原動力とは何なのか、まだ固まらないし答えられないけれど。
それまでは、移り気な興味でも大切にしていかなければならない。
小さなろうそくの炎に両手を添えて、風に吹き消されぬように。
時間を逆算して焦ってばかりいないで。無駄でいい。無意味でいい。だから、これでいい。

今の苦難の先には何も待っていないから。甘んじて受け入れよう。

2005/06/08

思ったより静かな、何もこれといったことが起こらない一日なのだな、と思った。

上手くいかない。
会いたい人は捕まらなくて、会いたくない人にばかり誘われている。
どうしてボタンは四つも穴が開いているのか。針を通す順番なんて知らない。
外食は嫌い。コンビニも嫌い。自炊は面倒くさい。買い置きもない。ぐうう。
紙の端で指先をスパッと切ったときは、滴る血流に比例して顔から血の気が引いた。
他人を慰めるときに、失敗談や情けない告白や、そんな自分の話ばかり。
口先だけで何も為していないと罵るその自分も、口先だけで何も為していない。
相変わらず電話の応対はしどろもどろだし。

自分のことで悩んだり沈んだり、正直もう飽き飽きしている。
ボロなんていくらでも出てくる。探しても探さなくても。
脳内の書類整理が追いつかないくらいだから。だから反省会を開く余裕もなくて。
そして繰り返す。同じ過ちを。同じ日記を何度も何度も書いている。
無論、それで自信を失うのは違うだろうけれど。ぼくの場合、理由はもっと別の場所。
ただ不服なのは、蓄積が積み重ねとして自らに取り込まれていないこと。
右の耳から入ったことが、もしかしたら本当に、左の耳から出ていってたりして。
若干の改竄まで加えながら。

一生懸命になりすぎたから、反動であの頃の自分をたまらなく恥じている。

もう、憎むとか許すとかじゃないんだ。
決着なんてつけようがない。一度、決壊したものは。
各々がどういう形で自己完結させるか、自分を言いくるめられるか、その段階。
事実は消えないし、修復しても元に戻らない。出来るのは、新たに作り直すことのみ。
ぼくだけが、いまだそこに至れずにいる。
ばっさり断ち切ることができず、ちくちくとどうでもいい欠点をなじってばかり。
堂々となどできない。現状に怯える焦燥と、新たな世界に踏み入れる恐怖との堂々巡り。
自分が悪かったのだと言い聞かせたところでそれが何になると言うのか。

忘れることが薬だと説く者もいる。
忘れるために次の出会いを求めよ、と。
自分にはそんな生き方は不可能だと思うのは、生きることに不器用だからだろうか。
身分をわきまえず不相応な求愛などしたから、さるべき不可避の報いを受けるのに。
手心なんて加えるからこういうことになる。嘘が下手なのに。嫌っていたはずなのに。
結局は、自分の中での不文律を犯したということ。ぼくが、ぼくでなくなった。
これ以上、自分が壊れるさまを目の当たりにするのはご免だったから。
だから無限回廊という閉じられた闇をうろつくだけの人生を選ぶことも辛くなどなかった。

地表の音も光も届かない海溝の深い深い底で、発光イカの日勤はまんざらでもない。

2005/06/12

インテンショナル。

忘れたころに会いになんて来ないで。
絶望しかけているときに気休めの期待感なんて持たせないで。
手遅れになってから自分を責めるなんて卑怯なことしないで。
目を覚ましたとたんもう帰るからなんて言わないで。
浮気を問い詰められてから見苦しい言いわけなんて並べないで。
抱きたいときだけ優しく髪なんて触らないで。
心と目元が笑っていないのに笑顔だけ作るなんてやめて。
本当に放っておいてほしいときにお節介なんてしないで。

もらった手紙なんて、みんな燃やしたから。
命を絶つ道連れを、掲示板で募っている最中だから。
ひとり泣き崩れて、セカチュー気取りかって思うから。
眠っている間、いけないことされていたの気づいているから。
隠し通せばいいのに、みすみす自爆したがるのだから。
脂ぎった指の感触に、嫌悪しているのだから。
無理していますって、しっかり顔に書いてあるから。
素直になれないキャラ、とかじゃないんだから。

わざとらしい。わざとらしい。わざとらしい。
苦しみから解放してあげると言ったのは誰だ。自由にしてあげると言ったのは。
その当人にこんなに束縛されていたのでは、たまったものじゃない。
型にはまった恋人ごっこ。そんなの希望していないって、百ぺん言ったろ。
みんな、そんなものなんだろうな。
何歳になっても王子様お姫様ばっかり追い求めて。付き合わされるほうはとんだ迷惑。
結ばれることでかえって冷えこんでいく関係も、あるんだなって。
現実から目をそらしていなかった分、こちらのダメージは少ないと思うけれど?

今言ったこと、そっくり倍返し。

2005/06/15

保身に走り回っている。もうそんな、守りの人生。

あまりにも定式化されすぎた、少女の飼育観察。
白いベッドの上で咳き込みながら。
白いレースのカーテンが風で膨らむさまを目で追いながら。
白いメッシュの赤い染みに青ざめながら。
何も語ることはしない。ここから逃げ出そうともしない。
暴力を振るわれることが、サンドバッグとしての自分の存在意義だと。
壁ではね返って逆転ラリアートを食らわせられればいいのに。
そんな発想に到りもしないだろう。反発係数ゼロの瞳は。

時折、ふと思いついたように何かをしてみたくなることがある。
罪もない子の柔肌に傷跡をつけて、それを自分の証にしたがるような。
支配と従属。力関係の定義を刻印づけるような、そんな乱暴を。
ひとえに弱いから。
自分に求心力というものがないから、強制力をはたらかせて他人を縛る。
俺を怒らせると何をするかわからない。脅し以外の何物でもない。
金と凄みで自分を着飾ることしか覚えない人間は、その時点で生存競争に敗れている。
貪るとは、遠からずそういうこと。

どうして忘れさせてあげようと努力しない。

2005/06/18

手ぐすね引いて待っている。

普段は鼻の利かないたちなのに、こんなにも嗅覚に鋭くなった一日。
とっさに判断する能力。機転。思考時間など現実世界にはありもしない。
緊張とも違う。安堵とも違う。誰も彼もが、何かしらの弱点を突いてくる。
それに対する防禦が上手くなったということなのか。
演じている、という自覚はあった。冷めたことに。悲しいことに。
人は接する相手に応じてキャラクターを換装するものだが、それにしても。
自分が汚れることなど屁とも思わない。汚れかたすら、知らない。
それでいいと思った。誰も傷つかないことが最良だと、いまだ盲信していた。

本音を打ち明けることを本能的に避けるようになって、どれくらい経つだろう。
いや。本音なんてものを捨てた。表とか裏とか、そんな話には辟易していたから。
泣きわめく無邪気な邪気を脱した。黄白色の息を吐く自分の分身を、引き千切った。
それで、ぼくは生きられたのだろうか。自分の願うとおりの人生を送れたのだろうか。
ひとりまたひとり、病んでいく。心の崩壊を止められない。ただ見るしかできずにいる。
マリオネットの糸に操られ、お偉いがたの意図に操られ、落伍は不浄なものだと教わった。
堕ちることを許されないという圧力が悪意をはらんだ過剰な期待となって押し寄せたことを。
自分に何ができるかなんて正義ぶって悩んで、馬鹿みたい。誰からも求められなどしないのに。

認識している映像の正体は脳内で平面化された二つの鏡像の重ね合わせだと知って。

歌を奏でるだけで生きていられる人種は、いいものだな。
自己嫌悪を振りまいて可愛がってもらえる人種は、いいものだな。
必要な繋がりなど得られないのに。うわべの恋で満ち足りたりして。
その余裕はどこから生まれるのか。それとも羨んでいるだけなのか、ぼくが。
頭文字を集めるだけで会話ができていた。自分にもそんな、時代、があったと思う。
知識や記憶力や情報収集の話ではない。社会から剥離されつつある、という実感。
それを切実に恐ろしいと思った。振り落とされたら二度と追いつけないと、焦った。
悔いている。それは確かだ。だが、何に。結局は蓋をしているだけじゃないか。

人との関わりは、時間とともに薄れていく。乾いていく。
水を求める大移動を催す計画性も行動力もない。
それでも、砂漠のどまん中に咲く一輪の小さなエピソードを、この手で何とかしたいと思った。
思ってしまった。それはそれは向こう見ずに自分勝手に。
ぼくは、ぼくを知ってくれる人に向ける一切の行動も出資も惜しまない。
そんな些細なことではとても返しきれないということはわかっているけれど。
だが。自分が朽ちて枯れたら、その残骸を養分にして誰かに生き延びてもらいたいと願う。
スタッフロールにぼくの名前は加えなくていい。ただ生きてほしい。それだけ。

だからこそ、昔話のように語られることなど期待しなかった。

2005/06/19

そんな場合じゃないだろう。

戦ってみせるなんて、よくもそんな易々と口にできたものだ。
腰抜けのくせに何を守れるというのだ。
怠け鈍った体で何に抗えるというのだ。
文才などという甘い空想にとろけている、そんな勘違いだらけの頭で何を思う。
目線を合わせるという優しさも振る舞えない、そんな場違いの態度で何を乞う。
争うことを避けてきた部類。他人に道を譲ることを恥とも考えない部類。
無謀な過信を疑いもしない非凡。誰が敵でも我流の一点張りを通す非凡。
血を見るような、死を見るような恐怖も知らないで。

一瞬の煌めきのほうが美しいだなんて。
それは死に急ぎたがる勇敢では決してない。命というものを軽んじているだけだ。
現実味を持って受け止められない。事件も事故もどこか遠い話としか感じない。
月並みなお悔やみの言葉しか吐けないその薄ら顔が本性のすべてじゃないか。
揶揄したり茶化すことは、真実を真剣に語ることよりずっと簡単だから。
誰も教えない。人混みで落としたハンカチは、無数の靴跡にむざむざ踏まれるだけ。
季節も数えられない。魚も捌けない。もう誰も。そんな世界に向かっている。
それでもまだ、地球は恒星の引力が回してくれていると思っているのか。

自分を生存させることがどれほど困難であるか。わきまえろ。

2005/06/21

暴発するような素因を、いまだ心に飼っている。

幼少のころから、自分の過ちを認められない人間だった。
間違いや不徳を言い咎められるたび、言いわけばかりを並べて楯突いた。
学校のテストも、友だちとの約束も、他愛もない流行りごとの話も。
自分が悪いのではない。周りが勘違いしている。世の中がおかしいんだ。
相手の説得に、耳を塞いで大声でわめいて逃げ回ったこともあった。
自分には誤りも矛盾もなくて、絶対で。信じて疑わなかった。
他人とはどこかずれている。飛び抜けている。きっと違う人間なんだ。
特殊性という自負が、さるべき判断に障害をきたした。ぼくを尊大にさせた。

反省している。とは思うが、口で言っているだけかもしれない。
すっかり自分のことが疑わしくなって、決意のひとつもろくに立てられない。
欠けている。自己を改めようとする努力。向上しようという意志。
自分を絶対悪だと宣言すれば、それで許しを乞える、そんな気でいる。
全否定することは簡単だから。見苦しい内情をほじくらなくて済む。
よくない考えもあるが、これは間違いではない。そう振り分けられない。
一部分でさえも、自分の意見を肯定することに怯えているのだと思う。
牙を全部抜き声帯を削ぎ去勢までして。個として生きる価値がなくなった。

だから、こんな罰を受けている。
自信過剰で、自省を知らなくて、騒ぐだけ騒いで後始末もしないで。
かつての自分を見ているようで苛立つ。
ギリギリと頭を絞られるような感覚になる。理でねじ伏せたくなる。
だけれど、受け入れなければならない。あえて看過しなければならない。
ぼくだってそういうわがままな傲慢の中で生きてきたのだから。
自ら肌で感じることによって、思い知らなければならないときだから。
こんな屁理屈言いの厄介者に渋々話を合わせてきた多くの人たちの気苦労を。

やつれた気持ちで人を見ることのなくなる、その日まで。

2005/06/24

ルトゥール。

いけないことをしている、という実感はなかった。良心の呵責も聞こえない。
ただ溺れたかった。淀みたかった。自分のことなど投げ出したかった。
それまで怖いくらいに出来すぎていた人生を、駄目に、してしまえればと。
堕落して汚れることに、取り返しのつかない過ちにこそ快楽した。この変態。
そうだ。あれは変態行為そのものだ。
だからその責任を、もっと非難されるべきだった。謗られるべきだった。
その値打ちさえもない。自分は最低だと、最低のことをしたとやっと知った。
誰かに手を下させて裁きを得ようなんて、それこそ畏れ多い懇願だった。
ぼくに触れた者はみな汚れてしまう。悪い黴菌が伝染してしまうのに。
満たされようとすることは、とても加虐的で、人を巻き込むことだから。
いつからか定式化するようになった。型枠にはめないと蒸散しそうだった。
悪いこと。人を傷つけること。本能に擦り込んだ。血がにじむくらいに。
人並みの満足や安穏を得ること、それを望むことまでも、罪になると諭した。
具体的には。ぼくが毀損し略奪した、他人にもたらされるはずだった幸福を。
生活。居住。会話。繋がり。慰め。所属。後継。進路。そして縁。人生。
これまでのすべて。時間が解かしてくれると思った氷は、重くなるばかり。

悩んでいるふりをしているだけだ、と指摘されたことがある。ポーズだと。
なるほどその通りだろう。自分でもそうではないかという気がしている。
時折思いついたように内省するばかり。目に見える行動など取っていない。
身動きが取れないなんて口実。そう言って、どれだけ謝罪を遅らせてきた。
話しあえばわかるのに、とうに解決しているかもしれないのに、ただ逃げて。
それが一番よくないことだと、自覚できているのかどうかも曖昧なまま。
自己非難だって、もはや形骸化の一途。自らを揶揄して遊んでいるだけだ。
結局、何をしたのか。失敗から何を学び、また何を償ったのか。収穫ゼロ。
自分の殻に籠もる理由が欲しかっただけ。他者から目線を背けられるから。
致命傷にならない程度に加減して自分を痛めつけていれば、それで済む。
攻撃が内側に向かっているかぎりは、人に危害を加えないだろうから。
周りに対して無実潔白である、という感覚に陶酔していられる。エゴなエコ。
これがまっとうな生きざまでなどあろうものか。隠れたり怯えたりして。
もう、修復不可能だろう。何も望まない人生。それがけじめだと思ったから。
ぼくは毎日楽しいよ、幸せだよ、みんなありがとうって、嘘八百並べる。
こんな所作から裏側の仮面が見抜かれるなんて。そんなに痛々しく見える?

引き摺っているのに、なのか。引き摺っているから、なのか。

今、自分がしていることは何だ。目を閉じてからの短い時間に考える。
自戒や過去の清算といったものとは、まるで相関のないことをしている。
むしろ逆相関。ブランコが上り下りせず、一方向にのみぐるぐる廻る。
背景に調和する造形物になろうとして、やたらと体を動かして悪目立ちする。
記憶を閉じ込めようとして、ついつい自分をネタにして笑い者になりたがる。
馴れ馴れしい間柄ではいたくないと言いながら、安堵しはしゃいでいる。
何をやっているのだろう。守ることも戦うことも忘れて平和ボケ気分なのか。
もっと脅かされて暮らさなければならないのに。こんなにも泰然として。
自分だけが病むこともなく「いい思い」をしていいはずなんてないんだよ。
きっとそれが根底にある。負わせたものが篤すぎて。癒しようもなくて。
だからせめて、自分も似たような不本意な人生を歩むべきではないかと思う。
それで人の気持ちや罪の意識を感じはできないであろう。自己満足の領域。
構わない。軽すぎるだろうが、何かを自分に科さなければ正気でいられない。
落ちぶれて生きるのが、自分のこれからに、余生に、ふさわしいから。
それなのに現状は。ありありと、日々を謳歌できてしまっているではないか。
何の罰にもならないのに。へらへら笑う自分が許せないのに。どうして。

相当の時間が流れ去った今になっても、忘れられない人がたくさんいて。
覇気も勢いも失せてやつれた自分でも、親しくしたい人がたくさんいて。
とめどない後悔。誰も恨むべきではなかった。嫌いになるんじゃなかった。
自分がそんな権限を持っていいなどと驕り高ぶっては、いけなかったんだ。
そうすれば、もっと落ち着いて、冷静になって接していられただろうか。
突き放される痛みに、そして裏切る痛みに、気づくことができただろうか。
子供のような無邪気な関係だったとしても、良好のままを保てただろうか。
ぼくという人間をもっと簡単に忘れてもらうことが、できたのだろうか。
そして、一番の禁忌を。後生許されえぬ言葉を、口にしようとしている。
懐かしい感情。引き戻される。容認という甘い囁きがもたらされるたびに。
切れた糸を結び直そうなど。突き合わせる機会を作ろうなど。暴挙の数々。
双方の世界で好き放題。とんでもないことに手を出している自覚もなしに。
結局、トラブルメーカーの本質は変わらなくて。人を巻き込むのだろう。
自分が楽しむなら周りの人も幸せにしたいなんて変なことを考えるだろう。
それほど恋しい。稚拙さが。願う。願ってしまう。行きたいと。回帰したいと。
過日は遠くても。その心理に立ち返れたぼくは、きっと何かを思い出せた。

自分には何もできないなんてことは決してないんだというひとつの実感として。

2005/06/27

より卑近な例の惰性生活として。

歳を重ねるごとに時間の進みが速くなると感じることが多い。
それは、一日という時間の感覚が短くなってきているからだろう。
24時間という時間のうちにやれることが、どんどん少なくなっていく。
子どものころは、一日じゅう遊び倒してもまだ足りなかった。
今はどうだ。早く一日が終わってほしいと、心で願っていないか。
何もやる気が起きない。疲れた休みたい。無駄なことはしたくない。
それは何も体力や気力や仕事のストレスのせいだけではないと思う。
時間に対するがめつさ、生きることへの貪欲さを忘れたせいだ。

ぼくも人のことは言えない。無為な時間が多いと感じている。
このごろの趣味や、休日の過ごしかたを思い返して、ぞっとする。
驚くほど内容が薄まってきているということに。
つい最近まで何を楽しみに生活してきたのかも、思い出せなくなる。
寝る時間も起きる時間も定まっていないのに、どう律しられる。
会社員という自分の肩書きを疑うほどだらけている。
何かをしようと焦っても、考えるばかりで行動に移さない。
新しいことを始めたいなんて、もう先延ばしに先延ばし。

環境が変われば生活が変わる。ある程度はそうかもしれない。
だが、落ち着いてきたらそのうち自分のベースに戻る。
そこを改善しないと話にならない、ということ。
仕事がきついとか忙しいとか、責任転嫁していられない。
だって自分の人生なのに。楽しいことのために生きなくちゃ。
日々に流されて、鬱屈としたものばかり溜めていたって。
雲を掴むような夢はいらない。もっと身近な道楽でいい。
何でもいい、とにかく何かに。励んでいる自分でいられるように。

たとえ愚行の繰り返しでも、それすら繰り返せなくなるよりは。

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