[むかしのなぞ] 2005/05

2005/05/10

いくつもの失策をなじられながら、それでもひけらかした。

そんな程度の実力で、よくもキャリアプランなんて思いついたものだ。
自分の馬鹿さ加減にうんざりする。
物を知らないことが馬鹿なのではない。無知を踏み倒して知ったかぶるから浅ましいのだ。
高いところを目指しているつもりで、気がつけば下ばかり向いて歩いている。
低能な足の引っ張りあい。這い上がるべき坂道だってたかが知れている。
いや。たかが知れている、と決めつけて挑むことすらしない。
人間の衰退の恐ろしさは、かつて飛び越えられたハードルに足を取られることにあるのに。
兎にも角にも、これでは行き先を模索する資格もないということだ。

至らないことずくの人間にとっては、このくらいの辱めを受けるのが妥当なのだろう。
知識の不足よりも、知識に頼った貧弱な思考をまず省みるべきで。改めるべきで。
今宵も電波の花が咲く。自分の未熟さをこれでもかとアピールする。
それを毎日、毎日重ねてきた。惰性でも、駄作でも。自分を貶して心の平静を得た。
移り棲む領域のことは別に考えるとして、引き続き確保しなければならない場所。
論理の弱さ、愚かさを自覚できるように。恥ずかしい人間だと知らしめるために。
闇雲な罵詈雑言ではない。己の弱点をわかっているから、そこを的確に攻撃できる。
劣性を必需とする。ぼくを腐らせることができるのはぼくだけ。

さあ、つまらなくなってきた。

2005/05/14

世界を広げるのはもう無理だと、諦めたときから。

いつでも疑問がよぎる。すべてが夢であったのではないかと。
もし夢だったら、それを実際に体験したことのように語るわけにはいかない。
だから認知しない。あれは一夜限りの、紙屑を丸めて捨てるようなちっぽけなこと。
思えば。人生はその反復だったのかもしれない。
現在の自分の生活を、自堕落な寄生状態か、お試し研修期間のように思っている。
これは何かの準備段階。まだ本番ではないと、心に甘えを作っている。
だが他人はそう見ない。自分の意志で決断できる自立した人間だと、思うだろう。
すでに要件を確定させて、確実な信条をセットアップして駆動していると。

同時に、現時点で何も会得していない自分は、もう駄目なのだと考えている。

そんなことを今さら振り返るために、機を逸してきたのではない。
膝をついて祈りを捧げるように、もっと内的世界にのめり込んでもよかったのではないか。
だが知らなかった。出口のない迷路を彷徨うことが、こんなに途方もなかったなんて。
数学の問題ならば、不可解を証明すればそれが答えだ。だが現実はそうではない。
壁をぶち破っても地面に穴を掘ってでも、とにかく先に進まなければならない。
そういうものだと、生は惑であると、ぼくは認識できていただろうか。社会に出る前に。
何をなすべきかを頭で考えているうちはまだ生きる執念が体に染みついていないということだから。
いつでも放擲できてしまいそうな、弱々しい活力だから。

独力で得られないから、他に求めようとしたのか。それで蜜に溺れたというのか。

2005/05/20

今さら笑えなんて言われたって。

簡単に自分の過去を否むことへの罪悪感など、とうに麻痺している。
ずっと、見るべきものを間違えてきたのかもしれない。
ぼくは、何を期待したのだろう。
実を結ばない待ちぼうけであったことを、なぜ早々に見極められなかったのか。
どれだけのチャンスを逸してきたか。
繋がる可能性などなかったのに。ぼくたちは他人だったのだから。
生物学上、たまたま同じ区分に属するだけの、相容れない存在だった。
冷静な判断を狂わせてしまうことの、恐ろしさよ。

ただ右往左往するばかりで、結局右にも左にも決められなくて。
死ぬ覚悟なんて、ぼくには死ぬまで持てないと思う。
心が弱いから、細々と、糸くずを縒り集めるような生き方しかできない。
発想が一次元。縦横に織り重ねて、一枚の布を作りもしない。
面積や体積の存在しない空間になど生きてはいないのだから。
そう知っているのに、寄せ合わせただけの信念はいとも簡単にほつれて。
バラすことばかりを覚える。こんな体、なくなってしまえ、と。
感情を創出する組織など錆びついて動かない。それは人間性の死滅に近い。

だから、こんなときに思い出させたりしないで。
自分には他人と深く関わって生きていっていい資格などない。
たとえ誰に許されようとも、しでかしたことの重大さは削れないから。
こんなふうに、懐かしい気持ちで過去の日を振り返るなどいけない。
命日は命日だ。ぼくが手を汚した日。
花を手向けることも許されていないのに。どうして立ち会えようものか。
いつもの駅の改札口で再会できるなどという天文学的ハプニングに。
自分自身の妄想に振り回されているなんて。とんだ失態。

今日決断したことを、必ずや後悔しない。そう誓ったんだ。

2005/05/25

同じ夜空を見上げながら、自分だけはまったく別のことを考えていた。

浮気性。なのだと思った。
ここにいない自分を、すぐに思い浮かべてしまう。ifの話を。
本当の自分とか、心の中のもう一人の自分とか、自分探しの旅とか。
そんなのは幼稚なエッセイの中での飾り言葉でしかないのに。
可能性なんてものを、まだ自分の内に見出そうと徒労している。
もちろん、目の前に可能性が転がっていれば見過ごしなどしないだろう。
だがそれも、都合のよい夢ばかりを幾重にも紡ぎ合わせた結果であって。
自分で勝手に書き下ろしたサクセスストーリーを前提にしているだけ。

あの頃の熱い気持ちはどこに行ってしまったのだろう。
こんなことでは、顔見せなんてできやしない。
誰にも自分のことを報告することができない。
だから何も言えなくなる。自分自身の置かれている寒々しい状況に落ちこむ。
言葉は、そんなふうにしてひとつまたひとつ失われていくのだと。
だって、もう一度奮起するために、何を心に持てばいい。
全力でぶつけあえるだけの理概を、どうやって探り当てればいい。
声を交わすこともままなっていないのに?

同じこと。昔と同じことを、やってしまった。
心の傷をさらけて不安を押しつけて自分の都合だけで甘えてすがって。奪って。
なにが反省だ。なにが自戒だ。なにが成長だ。何も変わっていないじゃないか。
自分から裏切ったのに裏切られたと決めこんで逆恨みするのだから最悪だ。
この破滅的な性格。もう救いようがない。どうしようもない。
自分の言動、とくに馴れ馴れしさが、人には気持ち悪いと映る事実。
認識を持たないから、接した人を不快にさせているとも気づかなかった。
とても能天気で、そして本当に愚かだった。葬るべきだったのに。

ブラックホールに吸われたら。人工衛星の残骸に頭をぶつけるという死因で。

2005/05/29

一秒間の会話。
三秒間の目瞬き。

いつものバス停にあの子の姿を見かけない。
今日、日直だから。

思い出に胸を焦がすのは勝手だが。
焦げついたら金たわしでも落とせない。

朝から気分を盛り上げて夕日とともに沈むか。
一日二食のくせに健康不安を自覚しないか。

水洗トイレはこの世の闇。
汚水をこそ傍受すべきだ。

物事に優先順位をつけなさい、といつも言うけれど。
私と仕事とどっちが大事なの、とは訊いてくれない。

明日やろう明日やろう、で三年延ばした。
だから、三歳ほどサバを読む権利がある。

表社会とか裏社会とか気にするのは自分だけだろうか。
各種メディアは某巨大掲示板の話題でもちきりだ。

如何ともしがたい疲弊感。
小さな嘘を、ついただけなのに。

自分が監視されていると感じた時点で、人は相手を信用しなくなる。
ぼくはネットストーカー。

ドミノ倒しは知っていても、ドミノという遊戯は知らない。
中空な知識に甘んじることに慣れてきていやしないか。

ふにゅふにゅ、じゅぷじゅぷ、ぐちゅぐちゅ。
最近のオモチャはよく出来ている。

参加することに意義がある。
では、参加しないことには意義はないのか。

トリックなど使わなくても完全犯罪は実現可能だ。
きみさえ協力してくれるならね。

他の動物になど例えなくていい。
人間は犬、猿、鳥のいずれかだ。

もう来ないでください、とは言えない。
借金取りと思われるから、とも言えない。

巣箱を作ってあとは蓋をつけるだけなのに。
どうして誰もちょうつがいを買ってこない。

同じことは二度言わないよ。
というせりふを百ぺん聞きましたが、部長。

命題:時間は金で買えないほど大切なものだ。
金の価値を認めていないから、時間にも価値を見出せない。

一秒間の沈黙。
三秒間の溜め息。

2005/05/31

すべてを屠るために今日までやって来た。自分の中での全決着を。

どんな惨事に見舞われるよりも恐ろしいのは、それに慣れてしまうこと。
突き落とされるような絶望も、目を覆うような悲劇も、それは一時のこと。
その状態が長時間続くと、しだいに耐性が築かれて、事態を受容しようとするほうに動く。
どんな苦痛も。どんな不運も。打ちのめされなくなる。打ちひしがれなくなる。
感情や感覚を意図して麻痺させて、殺して、そして何も感じないようにして。
そんな塞がれた闇の果てに、自分の有り処を見つける。
この地下牢に閉じこめておけばいい。曝されなければ何にも怖れなくていい。
生きていくにあたって、「自分」なんて痛いだけだから。

悩みを悩みとも思えずに、不幸を不幸とも気づかずに。
そんな状態を、なんとかわいそうなのだろうと思ったこともあった。
さんざん蔑んできたこの身を、今度は嘆き、案じた。自分自身に、情を移した。
だが。今だったらそんなふうに考えはしまい。そんな絵空事。
生きていくために、苦渋の渦から逃れようとする。当然のことじゃないか。
傷ついて怪我を知る。枷であり、糧である。身を守る盾を、ひとつまたひとつ得た。
寄せ集めの防寒かもしれない。吹けば飛ぶような、要塞なのかもしれない。
それでも生きている。ぼくは生きる。半分死んだような目をしながらも、それでも。

それなりの境地に立てば、それなりに俗物を捨てられる。わだかまりもない。
誰かの腕に抱かれている自分なんて想像しない。いもしない誰かなんて。
達観とか諦観とか、そんなに割り切ってものを見ているわけではないけれども。
だが、自分に科せられている制約くらいは目に見える位置に置いておきたい。
何のために走っているのかもわからなくなってしまうから。
そもそも、人生とは宛てのない旅なのだから。だからこそ、命題の存在を確信したい。
どこかにきっとあるだろう、なんて言い逃れではなく。実務的な道案内を聞きたい。
たった一本の葉脈から、すべての葉にも伝達するし、すべての供給も切断しうる。

切るしか。ないだろう。

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