[むかしのなぞ] 2005/01

2005/01/04

とても、新たな一ページが始まったという気持ちになれない。

最後の最後に落とし穴が待っている。いつだってそうだ。
何も言えなかった。何も思い出せなかった。何も気遣えなかった。
わだかまりが解ける一方で、再会にはきまって後悔がつきまとう。
触れてはならないと気にしてばかりで踏み出せないからだ。
後味の悪い傷ばかり残るから、またさらに足が遠のく。
さらに声を掛けられなくなって、沈黙が時を埋める。
そうやって忘れることや失うことに慣れつつさえある。
そうやって孤独になっていくのだと、認識しつつある。

間隔が隔たれば、それに応じて距離も離れていく。
記憶と感情を喪失するメカニズムへの異論はない。
解せないのは、その慣性を遵守し刃向かうことをしない自分。
一度得たものを手放すという事態に対する警戒心が欠けている。
切れた糸を結びなおす困難さと労力を知らないわけがないのに。
こうも軽薄になれるものか。厭われる痛みを感じないのか。
心の中にすでに別の目標があるから、なんて思っているのか。
そう言いながら今までいくつの人間関係を無視してきたんだ。

自分の記憶力がとても弱く、曖昧にしか憶えていないと気がつく。
たとえば風景。長年生きて目にしてきた、その土地の景色。
愛着が湧かない。それなのに、心懐かしいと感じている。
本当に、生活の舞台として、人生の一部として見てきたのだろうか。
ただ色調さえ一致すれば識別するような緩い濾過ではないのか。
ここにしかないようで、実はどこにでもありそうな原風景。
容易に共感できるように刷り込んだ偽りの記憶なのだと。
だから、白い季節を偲ぶ気持ちだってきっと本心ではない。

火が消えたように黙りこくったのは、涙を堪えていたから。

生きながらにして、まったくの裏表な異次元を行き渡っている。
それくらいに日常とは理念には程遠い寒々しいものであって。
実際の距離よりもかけ離れた世界。ぼくの人格さえもが。
それぞれが他方の環境を疎んで羨んで。混じることを恐れて。
ただ、自分にはどちらも必要不可欠だったことは間違いない。
それを失念してはならなかったのに。消そうとしてしまった。
何をそこまで恥じたのか。何が兇々しかったのか。疑問の渦。
結果、どちらにも帰れなくなった。存在の居場所を見失ったまま。

暖かい空気に包まれても、どこかで一陣の冷風を感じている。
自分自身を疑うことが当たり前の癖になってしまっている。
ぼくは歓迎されていない。避けられている。きっとそうだと。
だからと言って自らの意志でその場を離れることもできない。
信じてすがりたい気持ちと、何もかも投げ出したい気持ちと。
ときどき怖くなる。今感じている幸せはみな嘘なのかもしれない。
こうなればいいという希望的観測の域を出ていないかもしれない。
不確定性ばかりの牙城。絶えず焦燥を掻き立てている。

これまでの道のりが誤っていたとは考えない。考えないけれども。
もっと違うものを見て歩いてきてもよかったのではないか。
次々と目先の流行に関心を移して土壌を開拓するよりも。
真に大切と思えるものをじっくりと育むことの意義もあったはずだ。
そうすれば、ひとつの出会いを大事にしてこられただろうか。
首をつっこんではトラブルを起こして逃げてを繰り返すだけなんて。
度重なる後悔に苛まれ、喜びも感動も全身全霊で受け止められない。
悩むことなど忘れてただ気楽に毎日を愉しめないこの陰険を呪う。

今さらながら思うのは、分裂してはいけなかったということ。

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