[むかしのなぞ] 2004/06

2004/06/01

自我を取り返したい。

騒ぎ立てるに及ばない、注目に値しない、平凡な一日。
どちらから壁が崩されたのか、もうわからないけれど。
目に映る風景を色濃く染め上げ、眩みそうなほどに際立つコントラスト。
何でもなかったはずのその日が、こと鮮やかに胸に焼きついた。
触れたことのなかった世界。どうしてか、痛いくらい輝いて見えて。
すっかり舞い上がってしまって、自分に歯止めをかけられなかった。
花火は燃えくすぶり、煙が充満して、アスファルトを焦がす。
水に浸せばいつでも溶解していきそうな、もろい感情の屑が残った。

いつまで、囚われたままでいるのだろう。
あのときはただ本当に悲しくて痛くて、非難から逃げることに必死だった。
でも、人格まで封じ込めてしまってはいけなかった。
もう一度別の機会が訪れたときに、心が錆びついて開けなくなってしまう。
自分には起こりえない、無縁のことと思っていても、時はおのずと満ちるのだし。
呪いの言葉を浴びせつづけながら悔いる責務を背負うほど、深い罪を犯したのではないのだから。
今、童心や笑顔や人恋しさを忘れているとしても、また思い出せるはず。
“本当の自分に出会う前の自分”は、ずっと無邪気に生きてきたのだから。

おかえりって言って、流浪するぼくの心を迎え入れたい。

2004/06/03

不在が、どうしようもなく心を逸らせる。

独りで迎える夜はいつものことなのに、今だけはこんなに心細く感じる。
あふれる気持ちや生態や悩みを、聞いてもらうことがなくなっても。
この世界のどこかに希望はあると信じて。探し求める旅。
唯物的ではなく。自分を開放するヒントは、多くの出会いから閃く。
それは共通の願いだから。見つけてほしいと思っているから。
知ったかぶった言葉など意味を成さない。答えは自分で導き出すものだから。
そのとき初めて、遠くに見えるその背中に追いつけるのかもしれない。
自分たちの目標のため。そして幸せのため。それぞれの道を歩もうと。

そう誓って、ぼくたちは別れた。

この段になって、距離を感じたりするほうが不自然ではなかろうか。
会える時間を大切にしなかった。心は端から、険しく隔たっていた。
それを今さら、寂しいだのもどかしいだの口にすることが間違いであって。
どんなに強い気持ちも、それが相手に伝わらなければ持っていないも同然。
自分が今までにしてきたことを思い出しても、そこには誠実などなくて。
不器用だとか意思表示が苦手だとか、言い逃れが酌まれるはずもなくて。
身の回りにあるものを大切にしない。今日と同じ日が明日も続くなんて驕って。
天与の恵みを享受しなかった報い。もはや出会えないまま、尽きるのみだ。

ひたすら信じて待つなんて、追憶に耽って自分を慰めるようなもの。

2004/06/04

他人から気味悪がられる存在。

突き刺さるような視線を、感じるときがある。
人混みの中。通勤電車。エスカレーター。
すれ違う人がみな、怪訝そうに振り返る。
奇抜な振る舞いを見るかのように。
蔑如と哀憐のまなざしを向けてくる。
それが時折痛くて、居たたまれなくなる。
この空間から、集団から排斥されようとしている。
罵り笑う声を背に、また逃げ出してしまう。

どうしてこんなにも、うまくやれないのだろう。
ぼくが何か間違ったことをしているのか。
周囲から嘲られるような、不自然な言動を。
大勢に囲まれたときに受ける圧迫感。
とても陰湿な、無言の攻撃に思えてならない。
白日に晒されるのが怖くて、体の自由がきかない。
ぴくりとも動こうものなら貶められるのではないか。
もう、呼吸もできない。

誰からも相手にされなくなるくらいにならなければ、この強迫は除去されないのだろうか。

2004/06/07

突然の連絡は、どう受け取られただろう。

浮気癖がつくと、会話の最中も上の空になりがちになる。
悟られないように、別の誰かのことを思い浮かべる。
それは現在向きあっている相手に対しては失礼なことなのだが。
ほとんどの人間が、それを悪びれない。
頭と体を、思考と行動を切り離すことばかりが、上手くなる。
万人が万人に対して、感情の読み取りが険しくなっている。
もはや顔も見ていない。テレパシーみたいな人間関係。
プラトニックを突き詰めるとこうなるということか。

ぼくは、もとから対話や表現に苦手意識があったから。
別段だめになったとも、改善する必要も感じない。
これまでだって、自分にできる範囲のことしかやってこなかった。
今さら枠を広げることを考えなくていい。
無理矢理握手なんかさせなくたっていい。
それは時間のせいでも距離のせいでも、現代社会のせいでもなくて。
見劣りしていようと、そういうふうにしかできないのだし。
きっと欲張らずに、淡々と求めていくだろう。

履歴の件数だけ、たしかにぼくたちは言葉を交わしたと思う。

2004/06/09

意識を変えさせようと企てることは、考えの足りない浅ましき行い。

たとえば、謝罪させようとすること。
過失に対して、賠償や懲罰など、目に見える負担を課すのはわかる。
不愉快な気分や、あるいは人体や人命が、金に換えられることもある。
そうではなくて。良心に訴えたい、人格を戒めたいという感情。
反省の言葉を口で言わせたり、頭を下げさせたり。
他者の内面になど入り込めないのに、うわべの言動で見極めるようなことをして。
それで得られる満足とは何なのだろう。従えることの支配欲ではないのか。
他者を自分の思い通りに動かそうとするのなら、それだって罪悪だ。

独善的な目算を看破された時点で、卑しい愚見が露呈されるものと思え。

2004/06/11

きみはぼくと同じだと言ったら、きみはどんな顔をするだろう。

不思議な感覚。
出会った瞬間にそれとわかるなどということが、本当に起こるだなんて。
一目置かせる何かが、接触をためらわせる何かが発せられている。
つたない発言、落ち着かない所作、自分自身への無頓着さ。
きっと誰もが同様に抱くであろう第一印象。
それがまるで自分を映写しているようだった。
誰も探り当てられなかった心の壁の、その反対側まで飛び越えてきたような。
もしかしたら、ぼくはこんな特異な条件下でしか他人に惹かれないのかもしれない。

性質が似ていれば、相手への接しかたも似ていて。
表面は無関心を装いながら、ひたすら監視する。触れ合うきっかけを待っている。
どうして自分のことを何も話してくれないんだろう。
どうしてこちらの顔を見てくれないんだろう。
自分の嫌なところを真似されているようで、しゃくに障りもするが、同時に格好の反面教師とも言えよう。
見ているだけで自分の襟を正される。本心を言い当てられる。驚くべき関係。
もっと言葉を交わせたらいいのに。
肌の境目が溶けて一体化するような感触を、とことん味わえるのに。

もしぼくが言われたら不快に思うだろうね。

2004/06/14

だってこの体は悪意の塊だし。

とても自分が信用を得ている人間だとは思えない。
どうして平気な顔をしていられるのだろう。
裏切りつづけている人間に対して、無実の振りを通すのだろう。
今さら失うものなどないのに自分を繕ってしまう浅ましさ。
わかっている、何かを怖れているのだろうということは。
本性が知れたらここにいられなくなってしまう、そんな危機感。
だから自分という人間を隠避する。騙して偽って、存在を消そうとする。
すなわち日常的に、他人を欺いていることになる。

自分のことを、たとえ不利な箇所でも、知られることには躊躇しない。
だが思うのは、要求されるままに気前よくさらけ出してよいものなのだろうか。
誇れる点もなくつまらない人間。こんなぼくに見る価値などあろうか。
むしろ、見せたあとの反応が怖い。
失望を与えること、冷遇をこうむること、ひいては離れてしまうこと。
難しいもので、隠匿すれば背徳に苛まれるし、露出すれば立場を失う。
ここにきてリスクを増やすほうへと判断を焦らないほうがよいのだろうか。
心の罪悪を抱えて生きることにある程度慣れを覚えてしまった以上。

人に余計な負担をかけるようなことは、なるべくならしたくないから。

2004/06/15

自惚れるな。こんなことで天狗になるな。

自分がどれだけレベルの低い世界にいるか思い出せ。

2004/06/18

壊れた何かを修復しようとしていたという企みは、否定しない。

いずれはちゃんと書かないといけないと思っていたけれど。
嬉しそうな顔を思い浮かべたら、そんなことどうでもよくなってきた。
無論、犯した事実は変えられないし、生涯忘れてはならないものだけれど。
歴史は、過失に囚われるためにのみ刻まれているのではないのだし。
直接関与していない場で、自分がどのように評されているか。噂されているか。
気にならないと言えば嘘になるが、嫌だと感じるようなことはない。
ぼくは数多の愚行に及んだ。それは周知のことだし、ぼく自身もわきまえている。
だから臆することなんてなくて、泰然としていようと。そう臨むことにした。

懺悔の機会を与えられているのか、それとももらい受けるのか。微妙な差。

2004/06/22

嘆くのは心の弱さ。自分をコントロールできない意思の弱さ。

まさかとは思うが、こういう行為が自虐の根底にあるのだとしたら。
とても情けないことに溺れ、とても些細なことに固執しているだろう。
自分を責める口実を、生理的な本質にのみ委ねてしまっている。
生存そのものを非難の対象にして、罪をなすりつけてしまっている。
たとえば自分が人間という生物であることなど、覆しようもないのに。
持って生まれた肉体を、どうしたわけかそのままに受け止められなくて。
こんなのは自分ではないと、考えてしまう。現実を認められずにいる。
心身の乖離。適当な病名をつけて呼んでしまえればいっそ楽なのに。

思えば、ひたすら本質に刃向かってきた人生なのかもしれない。
幼少のころ、体が丈夫でなくて運動もできなかったもどかしさ。
脆弱な体。その事実に屈したくなくて、一心に走って泳いだ。
背が低いし足も遅いから球技には向かないと、諫められた屈辱。
抗うように練習を続け、周囲の意見や自分自身を見返えそうとした。
心の中の少女的な部分も、男性へのアンチテーゼから生まれた。
外面の男らしさを自ら否定し、性別を意識しない生きかたを求めた。
これだけやってもまだ、逃れることのできない本能に憑かれている。

いよいよ、身を滅ぼさねば収拾がつかなくなってきた。

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