[むかしのなぞ] 2004/01

2004/01/05

別れを迎えるとき、幼いぼくはいつも涙をこぼしていた。

駅を離れていく電車。
姿が見えなくなるまでしきりに手を振って。
そのあと、ふと寂しくなる。
思い出の瞬時性を、一過性を、儚さを、空しさとして実感する。
それがまるで今生の別れであるかのような、身を千切られる思いに駆られる。
過ごした時間が長くても短くても、その気持ちは変わらない。
人と人との出会いには始まりと終わりがある。そのサイクルを消化したのみ。
だけれど、悲しいものは悲しい。

きっと、淋しがりなのだろうね。
独りでいる時間は、薄っぺらで、空っぽで、つまらない。
自分が生きている世界に果たして時間が流れているのかすらも危ぶまれる。
誰かといる時間は、そのことを忘れさせてくれる。
言葉を交わしたり、笑ったり、走り回ったり、楽しい。
自分がそこに居合わせる意義や必要性なんていちいち考えたりはしない。
だけれど、嬉しければ嬉しいほど。
この時間が過ぎたらまた独りに戻ってしまうと思うと、たまらなく心細い。

約束をすればいいのに。
また帰るから、って。
また会おうね、って。
きっと紡がれる次の機会を夢見て。その日までまた頑張れるように。
ただ、そんな簡単で軽薄なものでもないから。
ぼくは冷酷だから。すぐに忘れてしまうだろう。
約束も、楽しかった記憶も、あるいは連絡先も。
そのくせ、また寂しがるんだ。

そうしなければいけない、とどこかで思ってさえいる。
こんな片意地が罪滅ぼしのつもりだなんて、とても言えたものではないが。
なにか自縄のための枷というか、制約が欲しかった。
他人に、厚情に甘えると、だめになるから。
頼りきって迷惑をかけたり、わがままを言ってしまうから。
それを自分でわかっているから距離を要求するのかもしれない。
醜態や失策を怖れて逃げているだけだとしても、この身を咎められない。
求める行為そのものが、ぼくには認可されていなかっただけの話。

それに至るだけの非道に、実際及んでいたのだから。

人間は、自分より弱い者しか攻撃しない。
そして、弱者を攻撃することによって、自らの弱さを覆い隠している。
支配することに満足するのに、支配されることを毛嫌いする。
打ち負かされることが、足下を脅かされることが怖いのだ。
だから、弱者が力をつけて自分を超越することをよしとしない。
常に監視下に置き、最も傲慢な理屈で自らの優位を定説化する。
装備を取り上げ、反論の機会を奪い、人格を否定する。
刃向かうことのない奴隷に仕立てあげないと、安心して付きあえない。

誰だって多かれ少なかれそうだ。
相手のあらを探し、ここは自分のほうが勝っていると確信できる弱点ばかりをつけ狙う。
お互いの靴紐を踏んづけあっているような格好で、関係は結ばれる。
「いざというとき」のための護身銃を隠し持っている。肌身離すことなく。
尊重しあいたいとか。対等でありたいとか。
そんなものは空論でしかなかった。
そうでなければ、他人に自分の主張を押し通したり、説教したりなんてできやしないはずだ。
自分以外の人間と自分がまったく等価値であることを、どこかで認めない。

そんな人間関係や、それに甘んじてしまう自分が嫌だった。
衝突を避けたいという直感ですらも、弱虫の表れに思えた。
つい強い調子でものを言ってしまうとか、逆に自分の意見を言えないとか。
具体的にはそういうものだったのだけれど。
他人と関わらずには生きられないと諫められたところで。
本当にそうなのだろうか、という疑問が強まるばかりだった。
守るべき自分自身の境界線がわからなかった若いころ。
泥沼にはまった末、かなぐり捨ててきた関係がいくつもあった。

疲れていた。病んでいた。
ぼくには友だちなんていないって、何度も自分を決めつけた。
他人と関わるなんて面倒なだけ。自分は独りでも強く生きられる。
差し伸べてきてくれた手を、みんな打ち払った。
今にして思えば、なんて罰当たりなことをしてしまったのだろう。
自暴自棄になっている自分がただ醜くて情けなくて、さらに嫌悪した。
人から嫌われて当然の存在。見向きもされるわけがない。
裏切りによって振りまいた苦しみを、今度は自ら受けるべきなんだ。

絶望を抱いて生き続けるべきだったんだ。

それなのに。
いまだ真の孤独なんて見当たらなくて。
笑う資格もない人間が、当たりまえのように今日を謳歌している。
呑気に明るい明日なんて夢見ている。
酔った自分の姿を認めるたび、内なる声の呵責を耳にする。
個々の問題が個別に氷解したとしても。
根が嘘つきであり、悪人であるという事実は濯げないのだから。
多少口をつぐんだところで、性格を封印したところで、何も変わらないのだと。

ぼくは実に「恵まれている」と思う。
無数のめぐりあいがあって。
寛大な心温かさに囲まれて。
ぼくには誰かを好きだとか嫌いだとか言う権利はきっとない。ないけれど。
こんなぼくをすこしでも思ってくれる人がいるなら、その人とのつながりを大切にしたい。
すべてを尽くして、守っていきたい。
せめて、今あるものが壊れていかないように。
そう願うことすら、もしくは贅沢なのだろうか。

この身を縛っているのは、過去への罪悪と、亡霊への畏怖。
トータルで見て出歩かないほうが得策だと判断した結果。
しかし、自らを貶めて暗い顔ばかりしているのも失礼極まりない話で。
ぼくという人間を認めてくれる厚意に対して、申しわけが立たないから。
ぼくのために頑張ってくれる人がいる。
ぼくのことを目標にしてくれる人がいる。
今はもう、それで十分なんじゃないだろうか。
もっと前を向くべき段階なんじゃないだろうか。

ここには、相変わらず何もなくて。
言葉の断片を、その意味も吟味せず塗しただけのカンバスだけれど。
自分のしていることが正しいとか、有益だとは思えないけれど。
こんなことが何になるのか、いまだ悩んだままだけれど。
率直な気持ちを打ち明ける唯一の場所である気がするから。
誰かに語りかける前の、素片としての本心を纏めているから。
これからも紡いでいくだろう。
聞いてほしいのではなくて。ただ発したいから、発しているだけ。

また笑顔で会えますように。

2004/01/06

また、閉ざされていく。声が、まなざしが。

ぼくは20年以上前から、自分が変人であることを知っていた。
まわりの他人とはどこかずれている、どこかがおかしいのだと。
だが、そうだからといって積極的に自己と向き合ってきたのではなかった。
実際にはそれを盾にして、体よく言い逃れをしつづけてきただけだった。
からかわれるとすぐ泣くことも、給食を食べるのが遅いことも。何だって。
人と違うから、人と同じようにできない。あらゆる短所に適用してしまえた。
レッテルを自分に貼って。病気だから、不幸だから、そう恩情を誘って。
責められても居直るばかり。バグを仕様だと言い張るようなもの。

無数の欠陥を放置したまま成人した人間。
不完全で、未熟で、厚顔無恥に育った。
コミュニケーション能力の欠落などは、社会生活をする上で致命的だ。
やはりそれを隠して、無意識のうちにどこかで無理をして、生きている。
長年かけて築き上げてきた性格など、今さら修正できようもなく。
かといって精神疾病の類に括り入れられたくもなく。
傷つきやすく、脆くて、いつも不安に怯えている。
この世界に身を置いていることすら、ときおり無性に申しわけなく思える。

ある程度の誤解や齟齬は、耐えていかねばならないのだろう。
年を経、個性という名の結界が解れていくごとに、痛みは激しくなるけれど。
そもそも、弱者を助けるしくみが崩壊しつつあるこの社会にあって。
請うことなど何の意味も持たない。自身のみを信用し、鍛えねばならない。
矯められないのならば、譲歩を嫌うならば、もう貫くしか道はない。
警戒すべきは外因。潮流に溺れ、また迎合し、世論に右倣えすること。
浮き足立っているところを、いつ掬われるともわからないのだから。
人と同じものを欲しがったり焦がれたりさえしなければいいのだから。

この気持ちを口に出さなければ、まだこのままでいられるはずだ。

2004/01/11

無力で、無益で、ただ仇なすだけの自分。

何かをしてあげられるなんて思い上がっていたのではないけれど。
こうも役立たずでいることを、ひたすら悔しく思う。
どうしてもっと慎重に言葉を選ばないのだろう。
選ばなかったのだろう。
尋ねられたことにすら、答えられないなんて。
凝り固まった持論なんて誰も聞きたがっていやしないのに。
たとえ小さな思い出だろうと、それを歪めてしまうんだ。
ぼくが壊してしまうんだ。

立ち止まらなければよかったのに、って。
首をつっこまなければよかったのに、って。
関わるたびに、また後悔ばかりが重なっていく。
小さい染みのような出来事を、なかったことにしてしまいたくなる。
忘れていくのだろう。
簡単なことができずにいる、自分のもどかしさ、恥ずかしさを。
そして成熟した振りを装うのだろう。
ボロが出て落ちこんで開き直って、その循環だ。

ぼくは今の自分が満たされていると思っているけれど。
それも実際のところどれだけそうなのかわからない。
他人には理解されるべくもない、価値観、幸福感。
この人生はぼくだけに与えられたもの、ぼくにしか辿れないものだから。
それを自分自身でわかってさえいればいい。
誰かに説明したり、ましてや意見を押しつけてはならない。
いいんだ。偏屈を貫いた結果だから、そう納得しているから。
寂しいね。

狭量だから。
表向きいい顔を作ることはできても、それは譲歩ではない。
歩調なんて合わせられない。
それから、いつも見当外れのぼくの方角。
きっと、まわりを困惑させるだけ。混乱させるだけ。
出会ったことや、今まで過ごした時間を、悔やみはしない。
だけれど、こんな人間に話を合わせるのはいい加減疲れただろう。
どこへでも行っていいから。もう、近寄らないほうがいいから。

働かなければ報酬は得られない、それだけのことだから。

2004/01/12

本当に、孤立してしまったらしい。

雑踏の中を歩いても。
川の流れを眺めても。
かつて通い慣れた店も。
ミュージアムも、公園も。
コインで遊ぶゲームも。
他愛もないおしゃべりも。
自宅のキッチンも、書棚も。
登録された連絡先も。

どこにも、行けるところがなくなってしまった。

ずっと迷っていた。
迷うたび、心は激しく揺れていた。
行きあたりばったりの考えで生きていた報いなのかもしれない。
誰かに気に入れられたくて、格好をつけたがっていただけだった。
師事する対象が毎回異なるだけで。
結局、他人の目ばかり気にして行動している。
ためらって徘徊して、決めあぐねていたら機を逸した。
帰り道さえ閉ざされたまま。

過去に戻ることなんて、できやしないのに。

足枷となっていたのは、所属に対する警戒だった。
社会とは集団の集合体で、個人は集団に属して社会の一員となる。
ぼくはそれに沿うべきなのだろうか。
今まで、どこにいたって、あまり上手くいったためしがなかった。
苦い経験がいまだぼくを怯えさせている。
だから、なかなか仲間に入っていけない。
どこだって、何の面接も試験も課さずに受け入れてくれるところはないから。
中に入ったら入ったで、特異な内規や風俗でがんじがらめだ。

そうした恐怖心として、捉えてしまっている。

人間がひとりで生きられるなんて思えないし、ぼくも例に漏れない。
ただ、無意味はメンバーシップは必要なのだろうか。
個と個の結びつきは、細くて強い一本線だけれど。
それが「ネット」のように張りめぐらされて、いつしか多数をつなぐ。
同族の檻に闇雲に放りこまれるより、そのほうが自然だと思うのに。
共犯者、集団心理、道連れ、組織。群れをなし、同胞を作りたがる。
集団というものに、もはやこれだけの悪いイメージしか抱けないのに。
それでも、人間の習わしには逆らえないのか。取りこまれていくのか。

何がそんなに不快なんだ、ぼくは。

2004/01/13

いつだって折り合ってきたわけではなかった。

どこか肌寒かった潮風。
あの海を一緒に見に行った。
じっとしていられずに飛び出したぼくは、やはり幼稚だったのだろうか。
昼の時間が長くても短くても、いずれ必ず日は沈み、夜は訪れる。
絶対的な不在はどうしようもない。
楽しさや喜びや、思い出や幸せは、ひとつの物差しで計れるのではないのに。
誰かの物差しで計れるのではないのに。
夕焼けが砂に描いた影の形が、一人ひとり異なるように。

不満ひとつない、というわけでもないのだろうし。
相変わらず顔を見ないで会話をしようとするし。
主張を前面に出さない姿勢に甘んじるのも不本意だし。
俗に言う鬱憤なんだろうか。こんなものを感じるなんて。
ただ、他人の命令に従順するのは面白くなくて。
ちょっとオリジナルの部分を加筆したくなる。
評価されることに興味がない振りをして、実はどこかで見られたいと欲する。
気持ちを率直に伝えることができなくて、ずっと睨み合ったまま。

ぼくたちはうまくやっている、なんて。錯覚ではないのか。

2004/01/15

叶わないのならば、いっそ。

自分が周囲からどういうふうに見られているのか、常に神経をすり減らす。
失敗しないように、不様を晒さないように、恥をかかないように。
そうやって注意を払って、臆病に手足を縮めて難を逃れてきた。
きっと笑っているんだ。可笑しいんだ。不自然な受け答えの一部始終が。
返す言葉も失ってしまうほど、一方的で高圧的な、呂律の回らない理念が。
それは誰のことを言っているのか。名指しされないと、つい疑ってかかる。
何もかもを決めつけて自らの視野を狭めているのは、ぼく自身ではないのか。
ただし、この体が警戒を止めたとき、衰化は一遍に進行するのだろう。

人生にゴールや終着点がなく、他人との接しかたに王道がないように。
ぼくは、過去のあらゆる教訓の集大成としてここに立っているのではない。
つねに未熟であり、つねに発展途上であり、だから絶えず変化を遂げる。
もちろん、習ったことのすべてを身につけられるのでもないけれど。
今置かれている不合理を自らに納得させる根拠として過去を利用しない。
自分は不幸だったと、浮かばれないと説明するだけでは後ろ向きなまま。
もちろん、悲しみや憤りにもまれた感情をすべて捨て去れはしないけれど。
ぶつかったり削られたりしながら、長い歳月をかけて甦生していくべきだ。

そう決断できればどれほど楽になれるだろうか。

2004/01/16

なぜ、不自由になりたがるのか。

1年は52週間ほどしかない。
毎日朝から晩まで働き、休日はテレビを観て過ごし、それを50回繰り返したら、もう歳をひとつ取っている。
時間の流れをあっという間に感じるのも無理はない。
こんな毎日でいいのか、と思ってしまう。
このままただ老い、大きな転機も訪れず、疲れ果てていくだけの人生なのだろうか。
生計や就職先を決めた時点で、運命のレールがくっきりと敷かれてしまうのではなかろうか。
牢獄のような平凡を、変えなくていいのだろうか。
脱却するために、今何をすべきか考えなくていいのだろうか。

こんなふうに発破をかけて、自分で自分を追いつめていやしないか。

いつからか、逆算ばかりしてプランを立てるようになっていた。
現在地から道伝いにあてもなく這う奔放な旅ではなく。
目的地を見定めて足元も改めずに飛びつく結果主義へ。
辿り着くことだけを頭に入れ、旅程そのものを楽しむことをいつの間にか忘れてしまっていた。
遠い先のことは、所詮見えない。
けれど、翌日のスケジュールくらいなら埋められる。
明日を今日より面白くする、そんなちっぽけな目標でいいから。
振り返って満足を感じられる行路であるように、そんな過客でありたいと思う。

それさえもどれほどの難題だろうか、と日に日に重く痛感せられる。

みな焦って結論を急ぎたがる。
軽々しい口を叩く人間。手の早い人間。じっとしていられない人間。
そんな状況の中で、以前のように大上段に構えていられなくなってきているぼくがいる。
流されているのだろうか。煽動されているのだろうか。
性急に物事を動かすのはよくないと、ずっと思ってきたはずなのに。
心のどこかで変わりえぬ日常を信じてやまない。全世界の喧噪は翌朝へ持ち越されると、高をくくっている。
現在への執着は、将来への不安の裏返しに他ならない。

だから、この身を磔にされてでも盟約を願うのだろうか。

2004/01/17

身を切るような冷水をかぶって、まどろんだ眼を醒ます。
甘い妄想はすべて断ち切れ、というけたたましい警鐘。
突きあたる現実はいつも思いがけなくて、番狂わせで、そして重く痛い。
だが、それこそが今の自分に必要なものだともわかっている。
対象と正面から対峙し、議論をぶつけ、仕打ちや敗北を被らねば。
衝突を避け楽なほうに逃れてばかりいると、とことん堕落してしまうから。
怒りでも何でも、感情をあらわにして向かってきてくれるほうがいい。
全力で応えるから。見捨てられたぼくを見つけ出してくれるあらゆる声に。

だけれど。風は予想以上に冷たく、そしてドライな結末ばかりを残す。
どんなに近い未来さえも、一瞬にして無へと吹き消してしまう。
まるで、これから先の歴史を改竄する禁忌を目の当たりにしている錯覚。
思い描くシナリオは片っ端から破られる。台本などない。それがリアル。
目の前にいる人間が、肌は透け、腕は砂と砕け、消え失せんとしているのだ。
予定を狂わせるどころではない。そんな中でも自己を律していられるのか。
そしてやっと気づく。ぼくは、心を伝える手段を持ち合わせていない。
現実に繋ぎとめておける一切の感情は、捨てたっきり再生されないまま。

2004/01/20

わかっているんだけど、ね。

誰でもない誰かに向かって、今日も食ってかかるような言葉を吐く。
つい語調を荒げてしまう。いらついているからだろうか。
もう自分の周りに敵はいないんだって、何度も教えているのに。
この体は強張ったまま、緊張と引きつった表情を解けずにいる。
蓄積した怒りを他人にぶつけたときほど、後悔にさいなまれることはない。
きっと、ぼくはぼく以外のすべての存在を嫌っていて。
自分の価値観にそぐわないというだけで認めようとしない、狭い心。
解りあうなんてできやしないのに解ろうとして、いつだって馬鹿を見る。

そういった生理的な嫌悪感を隠した上で、いつも、接している。
共通の話題で盛り上がったり、仕事で協力することはできるかもしれない。
しかし、同席している時間に、求めているような心地よさは得られない。
楽しいのに。たしかに満足しているのに。一過的に思えてならない。
気持ちなんて、本心だって、いくらでも嘘がつける。知ってしまったから。
心に正対する表と裏があること。その溝が、修繕しようもないほど深いこと。
たおやかな感情も、淡い想いも、どこか嘘なのではないかと疑ってしまう。
自分に遵うことも、もしくは反撥することも、どちらもできなくなっていた。

こんな状態じゃ、他人とどう関わるかどころではないってこと。

2004/01/21

屈辱的な罵言で、ぼくは呼び戻された。
浦島太郎している間に、どれだけの時が流れ、どれだけの命が失われたか。

絶望の淵でやっと巡った一条の光。
外界から見れば、それはどこの道端にも咲いている一輪の花なのだけれど。

自分だけが助かりたい一心で、追いすがるものを蹴散らして。
虚勢を張ったって、心の間隙が埋められるわけでもないのに。

こんなに、身のない人間になって。報いだなんてただの自己正当化。
誰に対して弁明しようとして、そしてそれでどうするというのか。

取り戻すきっかけは、幸運にも幾度も与えられたというのに。
身近にある大切なものを、見つめようともしなかった。

孤独を選んだ結果だ。取り残されて、閑寂を帯びて、語る口もなくて。
作られたものや演じたものであったとしても、これが自分自身。

目の前のものは大切だが、それがすべてではない。
失敗を嫌って警戒してばかり。打算が過ぎて行動にも移せない。

気持ちの余裕をなくせば、淋しさは忘れられるのだろうけれど。
それで状況が何も変わるわけではない。永劫。これが、ぼくの一生。

2004/01/26

誰にも話せないことだけど。

部屋を柑橘色で飾ってみた。
習慣づけられたものではない、不慣れな模様。
凍える風を嫌って、すべての窓をきつく閉ざす。
設定だけをこしらえても、どうにもならないのに。
失われたものが、復元されるわけでもないのに。
離れていった人が、戻ってくるわけでもないのに。
その瞬間のままに、空間を留めておきたいらしい。
認知に理解が追いつかなくなった、凝滞した観念。

愚かにも待ちつづける。
何も、変遷するあてなどない。
またその予兆も感じられない。
きっと無駄な時間を過ごすだけ。
受容のために空けた領域は、解放されないまま。
全身の体系が立ち行かなくなって、ようやく気づく。
淡い期待は、不実へとその色を変える因子であることを。
事実と整合しない、絵空事であったことを。

もう、人を信じることに疲れてしまって。
不安も、不満も、不遇も、心から拭えないまま。
だから笑っても、猜疑と冷徹が表情ににじむ。
使われない部品が錆びていくように、感情が廃れる。
身をさらけなければ、ぼくは真に自由にはなれない。
しかしそのためには、捨て身に近い覚悟が要求される。
それを恐れるから、また細胞が死んでいく。
懲罰などという単純な巡回ではない。輪廻だ。

それでも。
どこかで、賭けてみたい気持ちがあって。
最後の機会でもかまわないからと、欲していて。
同時に、悔しくなる。どこまで浅ましいのかと。
禁じられたものを、やはり絶えず焦がれていた。
我慢なんてできない。できなかった。
こんなふうにしか生きられないに決まっているのだから。
涙を見せられる人が、近くにいてくれなければ。

今が幸せ、なのだろうか。

2004/01/27

みつからないもののかたち。

つながってるっておもってた。
こどもみたいにあどけなくわらってた。
ゆびをからめたらくすぐったかった。
そんなものはどこにもないのかな。

ひもでゆわえて。とんでかないように。
まちどおしくて。あしたがあけることが。
なにもかんがえなくてもはしりつづけてた。
たちどまったらどうなるかなんてしらなかった。

いまみえるせかいはぜんぜんちがう。
あのころおもってたのとぜんぜんちがう。
まちがったきれいごとばかりおしえられてきた。
ゆがんでけがれてこんがらがったせかい。

ゆめはこころのなかでそだてていけるけど。
そのぶんだけおいてかれそうなきがして。
つきあえなくなって。ついてけなくなって。
そんなのやだから。きょうもしったかぶり。

ぼくはどこでまちがったのかな。
せまくるしくてつぶれそうなきもち。
いいことなんてどこにもないじゃないか。
まきもどすことってできないのかな。

わるいこだから。うそつきだから。
ほしがらないようにしなきゃだめなんだって。
すくわれないから。もうおわってるから。
ひとりきりのあやまちをいきてく。

ほんのすこしだけみせてくれたらいいのに。

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