[むかしのなぞ] 2003/09

2003/09/01

本心に正直に生きてきた結果としてこれだけ陥れられているというのなら、それも含めてぼくが望んだことだから。
責任なんてどこにもないけれど、自分の意志によって行動し、その行動が招いた果報であるならば。
偽ることなく、飾ることなく、未成熟な自分も奇形的な自分も自分自身として受け入れたいから。
自業自得だなんて渋々認めるのではなく。他者の主観で優劣なんてつけてもらうのではなく。
最後には自分しかいない。点数をつけたり記録を残したり、それはあくまで自分でやること。成長を知って、少しずつ自己を知って、それが愛着という形で自慈をなす。
そうしてはじめて視野が広がるのだと、伝えたいとさえ、今は思えるまでになっているのだから不思議だ。

2003/09/02

体内のどこかに諸悪を生ずる汚泥が溜まっていて、それをすべて汲み出さなければ奇麗な心を取り戻せないのだと思っていた。

奇麗な心、だって。笑わせる。はじめから存在しないものを手に入れられるべくもないのに。
失ったものばかり執り、記憶の瓦礫を掘り返し、反省とも美談ともつかぬ回顧に時間を割く。
過去に囚われているのではない。未来に展望を見出せないから思い出の世界に逃避しているだけなんだ。
懺いつづけたって、実質は現実の認容を抗っているだけなんだ。
厳格な言句で自分を定義して、可能性を摘み取って、それでもまだ甘受過剰と言わざるを得ない緩慢な自己管理。
償う方策を踏み違えているとしか考えられない、異常なまでの罪悪への執着。
こんなふうに自閉していきたくはなかったのに。壊れたくなかったのに。ミイラ取りがミイラになった。
心を水で覆ったのは、違いもなくぼく自身であって。汚れた経歴と醜穢な人格とを、漆黒の底に埋没させてしまいたかったのかもしれない。

こうやって生きることは別段特殊なものではない。顕示したり出しゃばらぬようにと、訓を科となすのみ。

2003/09/04

他人に手を上げられることより、他人に手を上げることのほうが、痛みは重い。
他人に手を上げることより、他人に手を上げさせることのほうが、罪は深い。
決定を委ねようだなんて、ゆめゆめ思わないことだ。
断ちたければ己の手に刃を握れ。

結末をその目で見ずに去ることの後悔に堪えられるのものならば。

2003/09/06

ぼくは騙っていただけなのだと、そのつど認識させられる。
苦悩も劣等感も挫折も、悲劇として売り込むための脚色だった。

ターン。“週末”へと連れ戻される感覚。
逢うたびに、甦り、昂ぶり、貪った熱情は一夜のうちに閉ざされる。
長い閑散期。白銀に覆われた大地は温度を失い、震えおののくのみ。
春を迎えてまた種を蒔き結実を迎えたら鍬を捨て冬山に籠もる。そのサイクル。
自ら腕を伸ばせない冷遇に、なんら紛糾も抗議もなく。
これこそが受け止めるべきものであるとばかりに。

この状況の特異を見出せないのか。それとも認識すべきでないのか。
いつまで、何も気づかない振りをしていればいいのだろう。
恐らくは解放されることのない、一瞬の酔夢と、永続するmissing。
切り札はすべて見せた気になっている自分と、まだ弱みを隠し通したままのつもりの自分がいて。
現時を擁護し存続を願う意志と、破砕し未見の世界を欲する意志とがあって。
また、優先順位をつけられずに足踏みしている。

もう理解されやすい書式の不幸を得たいだなんて思わない。
求めることも、報われないことを口にすることも、あってはならない。
この身に禁じてぼくは道を歩まねばならない、それは本案件とは無関係の、継がれゆく戒律だから。
願わくば巻き込みたくない。この歪んだ思想に。呪われた人生に。
そう考えると、やはり現状維持の方向で動いているらしかった。
当面はぼく自身も把握しきれていない状況をプロットするための作戦タイムが必要なのだけれど。

気安い同情なんてされることの屈辱を人一倍知っているはずだから。
だから気紛れであれ、同席を許可される立場にあるのかもしれない。

2003/09/07

昔からぼくは当たりまえのものを当たりまえとして受け入れることができない子どもだったようだ。

愛はもっと俗的に扱われるべきだ。
尊敬しあい譲歩しあうその裏で、お互いの思念がどれほどの自己欲に染まっているというのか。
自分の目的や欲望のために相手をどう利用するかを企み。
見映えのするパートナーを傍らに置くことで、自分の評判や地位を高めることばかり目論み。
生活、金品、話し相手、理解、賛辞、そして独占。
こんなにも多くを相手に求め、自分を押しつける。心の箍が外れたかのような暴挙。

愛欲。男が欲しい。女が欲しい。目的と手段の逆転。
打算にまみれた汚らしい感情。それが実際の姿なのであって。
さぞ美しいもののように語られたくはない。
当然の行為であるかのように正当化されたくも、見返りを求めないなどとうそぶかれたくもない。
悪質な自己達成のための謀計であることをまず自認すべきなのであって。
それを暴ききった上で、すなわち交換条件を交わして向きあうほうが、よほど清々しくはなかろうか。

これが自分の男女観であり、同時に同性関係に一種の純粋性を認めている理由である。

2003/09/08

この足下には、生き地獄が予言されていた。

果ての見えない広大な原野で、たったふたりの進軍が始まる。
無数のランドマークにつぎつぎ侵攻し、タームとして獲得し、言葉を奪う呪術を施す。
さながら地雷を仕掛けあう行為。
共有されない知識は、または共有されてしまった知識は、表現を拘束する嚇しとなる。
記憶を葬ることはできないのだ。戦うしかない。包囲された針の筵の上で。命の一部分を剥き出したまま。
人体に痛みを感じる神経が走っているのに、どうしてその痛覚で精神の暴走を抑圧しきれないのか。
本心はこんなにも求めているのに。
血色の涙を搾りあうために出会ったのではないはずなのに。

今になって何の亡霊と対峙しようというのだろう。

2003/09/10

自分の中にある常識がきらい。
自分の中にある平均点がきらい。
自分の中にある分類がきらい。
自分の中にある普通がきらい。

天才だと言われ。
奇人だと言われ。
愚直だと言われ。
生きることや対人関係に著しく不器用だと言われ。

気にしているわけではないけれど。
そういう目に囲まれてきた環境はたしかに実在した。
そしていつしか。
好奇の視線に安寧を求め快感すら覚える自分がいた。

排除してしまおう。
凡衆に没することを望まなかったのはぼくの意志なのだから。
壊すことを貫こう。
飾りつづけることでしか生きられなくなったこの体からはもう戻れないのだから。

人並みの行為と感覚に溺れた時点で、その道さえも剥奪されてしまったのだけれど。

2003/09/12

ぼくたちはうまくいっている。
ぼくがもっと人を信じることを覚えさえすれば。

信じることって。
疑うことより難しくて。
そして時に、裏切ることより辣しくて。
一見美しいようで、本当はとても利己的。

気持ちと気持ちがつながっているから。なんて、戯れ言でしかなくて、甘い空想でしかない。
もっと具体的なものをつなげたほうが手っとり早いから、みなそちらに逃げるのだろうか。
目先の欲望に囚われずにいることのほうが、人間としての気高き理性を誇示できそうなものなのに。
それが真の信心であり芯から尊んでいる誠意だと。そういう考えこそが稚拙な幻想だったなんて。

今は我慢するんだ。
自分の思惑とは異なる現実を目にして当惑しているのは、こっちだって同じなんだから。

2003/09/13

忘れられないのなら、いっそ痛々しく刻みつけてしまおう。

消すこと――公表した発言を撤回することならわけはない。
ただ、それは自分の不祥事を自分で揉み消している行為にすぎないから。
気まずさや羞恥心や些細なプライドに負けて、過去の失敗を隠滅しようとする。
汚名や前科を着せられるのが怖くて、何度も同じ過ちをくり返す。

顔を覆いたくなるような挫折にこそ、人間の成長が証されるはずだから。
恥ずかしいことかもしれないけれど、そこから学び取り糧にできるから。
失態を晒す屈辱に耐えることさえも、ひとつの勇気を与えてくれるから。
これまで大きな失敗を味わったことのないぼくにはちょうどよい刺激だ。

だから、ここにいるのだし。
待つつもりはない。
だけれど、あのときの気持ちも、まぎれもなくぼく自身から生まれたもので、それは本心だったのだろうから。
過去の自分を否定するようなことはもうしたくないんだ。

これは魔除け。生涯心に巣食った最初で最後の「魔」が遺した傷跡。

2003/09/14

ぼくはちっとも反省していないんだということがよくわかった。

置かれている立場や、向きあうための関係や、ここにいる目的や。
肩書きという大義名分でなくとも、そこには何もなかった。
何もないから、羽目を外して笑顔でいることしかできなかった。
時間に意味を持たせることは、実に難題で重労働だと思った。

興味のない話題はことごとく避けて。耳を塞ぎ聞こえぬように。
そうしなければ、目の前のものが蒸発して消えてしまいかねない。
指を指して茶化した視線の先に、追い求められぬ悲願が輝いている。
心理の奥底には、形骸化したはずだった根深い懲らしめが痛切だった。

すこしだけ、背中を押してあげたかっただけなのに。
その背中は、もう手の届かないところにあるようで。
そうでなくて、自分が変わりすぎてしまったからか。
ねじれた結果、もはや交わることのない二本の未来。

ノルマなどない無期拘束。
自戒となって願望に対する頑固な理屈を際立たせる。
いつになれば償いの時を迎えられるのだろうか。
誰かのために自分のすべてを擲ってもいいと、思っているのに。

その誰かを誰にするかを選ぶ権利がぼくにはないってだけで。

2003/09/15

その場にぼくがいなかったら、とよく想像してみる。

きっと議論は滞りなく進行していたのだろうな、とか。
変な横槍を入れて毀損せずに済んだのだろうな、とか。
引き留めて困らせることもなかったのだろうな、とか。
嫉妬や猜疑に狂って劣情に溺れ、悔恨と確執と癒されぬ傷しか残らない現実を招く結果に至ることもなかったのだろうな、とか。

望みどおり消えてやったのに、まだ嘆いてばかりいる。

2003/09/21

人間にはふたつの型がある。
公開処刑を旨とするか、密室殺人を淫楽とするか。

ある者は言う。
公衆の面前で血祭りにあげてやる、と。
またある者は言う。
孤独の闇の中で身命を屠ってやる、と。

周囲に知らしめておいて逃げ出せない状況へ追いこむか。
暗がりで息を潜めて人知れず呪いの言を吐きつづけるか。
自分の秘密について、言いふらして回る人間と口を頑なに閉ざす人間がいるように。
それぞれの視点と嗜好で、喰らいつく好機をひたすら窺っている。

他者の足にしがみつき、人生を歪めさせ、自らに捧げさせること。
人殺しと呼ばずして何と呼ぶだろうか。
それくらい罪深きことなのだ。
ひとりで生きられないということは。

それでも首を絞めあいたいと願うぼくは命知らずだろうか。
いや、身の程知らずか。

2003/09/25

案の定、鐘が鳴る気配はないのだけれど。

歌えなくなった。
かろうじて声は出るものの、気の抜けたような、魂の抜けたようなそれだった。
紡がれる言葉が、ただ痛くて。
胸がいっぱいになればなるほど、心の間隙が滲みて、裂かれるようだった。

聞けなくなった。
歌は、涙を誘うから。
リンクされた記憶が甦るから。
理屈でなく感覚レベルで浸透している分、身から剥がせなくて、運命を呪ったりもした。

綴れなくなった。
あれはぼくの最後の邪心だったから。
神話が崩壊したのか、それとも崩壊のシナリオを物語った神話だったのか。
奇しくも、きみが奏でた曲が火柱となって燃え上がった。

明かせなくなった。
膨張が収束するまでの時間と、その後結界が氷解するまでの時間と。
忘れようと、過去のものにしようと、必死に記憶の操作を試みた。
補償の利かない加害を重ねた自分に与えられた、最後の猶予だと思って。

当事者間でわかりあっていれば、それで十分だ。

2003/09/27

この星は、生きている。

平等という名の均質な時流が絶えず供与されているこの地上。
目を閉じている間も、太陽と星々は天球上を移動する。
見上げた空は、眩しい陽光と、相当量の降雨とをもたらす。
足元からも止むことなく熱は発せられ、草木を揚々と励ます。
地面が動く。
原子核が崩壊する。
時計は針を刻む。
惰性でも循環でも奇跡だとしても、ただ存在し息吹くのみ。

食物連鎖の頂点に立つ人間だって例に漏れない。
誰もが変わっていく。
包囲された境遇が。遭遇した事例が。出会ってきた人が。
個としての形質や価値観を構成する要素となる。
日々新しいことを吸収し学んでいかないと、頭が錆びついてしまうから。
この瞬間も世界のどこかで、また消え、また生まれくるから。
衝撃的であったり劇的である必要はないけれども、何かを待っている。
そう、誰もが。

それを踏まえるに。
近頃帯びている疎外感は、あながち見当外れではないのだろう。
ついていけない。置いていかれる。そんな悪寒。
それくらいに、時事との接点が薄れつつある。
この世に自分の知らないことが、あとどれだけあるだろうか。
無援であることがいっそう不安を掻き立てる。
目が覚めたら世界が豹変していても、不審であるはずはないのだから。
あるいはこの身が滅んでいようとも。

もしくは、もっと身近な範疇でも。
策を講ずる余裕もなく、眼前から消えていく掌がある。
肩を並べていたはずの人が、いつしか遠く離れている。
自分の世界を獲得し構築していく流れの中にあって。
それを立ち止まって眺めているだけの俯瞰と化している。
顔を上げて前を見るという、人間でも無生物でも可能なことを、怖れる。
ぼくが愛していたのは、汚れなくnaiveな幼いままの部分だけだった。
心の腕時計を外したのはいつからだろうか。

周囲からどう見られているのか、不意に不安になるときがある。
子どものままの自分。
本心を隠して定型文の棒読みで会話をしている自分。
自身のことや将来を諦めているように振る舞う自分。
どうすれば大人になれるのか、わからなくなっていた。
思考や意見や衷心や、言語さえも、もはや本来の姿を留めていなかった。
自己主張を避けた結果妥協ばかり覚え、野望を失ってしまった。
「生きている」ものに、果たしてカウントされるのだろうか。

ひしゃげていく。
弁護すればするほど、自分の誤りや矛盾が浮き彫りになるようで。
語れば語るほど、未来の方向に戻れなくなっていくようで。
空回りと足踏みの連続は、停滞どころか衰弱すら招いているようで。
乗り損ねた船は、自覚のない人間を待たず定刻に出航する。
このまますべてのものが、未知の彼方へ紛れてゆくのだろう。
知ることを拒否したが故の、もしくはそれを後悔するが故の、苦悶。
自問に囚われている間にも溝は穿たれ断絶の一途をたどる。

それぞれの孤立を配慮することなく、生きている。

2003/09/28

陰鬱な日常からの解脱を欲するのなら、足掛かりにお気に入りのサイクリングコースをひとつ見つけることだ。

2003/09/30

ぼくには選択権そのものがないのだと思う。個々に意思を持たない盤上の駒のよう。言われたことに従い、敬礼には敬礼を返し、平手打ちは甘んじて受ける。だから仕事の選り好みなんてしない。突入するにしても、待機するにしても、寝返るにしても。それだけではない。人を好いたり嫌ったりする権限もない。与えられているものが総てであり、ぼくにとってのいわば世界である。こんな人間でも相手にしてくれる人がいるのだから、それだけでももったいないことである。
若いうちはそういうことがわからなかった。黙っていても仲間が寄ってくるものだと思っていた。なんと愚かだっただろう。だからこそ、絶縁の苦痛がいかほどのものか知り得なかったのだろう。自分の無意識の言動がどれだけ他人を不快にしただろう。また傷つけただろう。ぼくは他人とはできが違う。そう思った。無論、優位性の面でなく、人間社会への不適合性を筆頭とする無数の劣等感。自身を恨んでも責めても嘆いても、何一つ気持ちは晴れることなく。そして現状を打破できようはずもなく。
逃げてしまった。自分と向きあうことからも。他人と向きあうことからも。平たく言えば、どうでもよくなった。たとえばぼくが生きていてもそうでなくても。今にして思えば、それほど堪えがたいことだったとはなかなか考えられないものであるが。苦もなく楽もない。悲しみもなく喜びもない。近づけば怪我をする。真摯に心を開けばそれだけ衝動に対して無防備になる。だから遠ざけた。だから嘲った。
この世界のどこにも歪みなんてなくて。ただ自分の胸中を除いて。陰湿な臭気が充満した中に、菌糸のように縦横無尽に悲観論がはびこる。獣が棲まい、卑俗な強欲が理性を焼き切る。大袈裟な表現だとしても、ぼくはそうなのだ。誰にも見せられないし知られることはなくても、そうなのだ。許されるべき存在じゃない。だから、与えられている環境を享受しよう。衷心から厚意に甘んじよう。ひとりではないと思わせてくれるすべてに感謝をしよう。
その一方で、他人の言葉が信じられない。きっと醜いやつだと思っているんだ。機嫌を損ねると何をしでかすか知れない、面倒な人間だと思っているんだ。愛想のない人形だと思っているんだ。理由はひとえにぼくが自分を信用していないところにあるのだけれど。自らが気に入ってもいない外食店や映画を他人に勧めるようなことはしないのと同じで。だからせっかくの気持ちにも応えられない。ぼくは人を愛せない。たとえ誰から愛されようとも。
一般的に解釈すれば、万人にすべからく笑顔を向けるのを止めるようになっただけのこと。人気者を気取ったってしかたないし、そんなやりかたで得た関係なんて、きっかけにはなりうるかもしれないが、それ自身は希薄で切れやすいものでしかない。もっと落ち着いて、あるいは人を選んでつきあうようになっただけのこと。それだけなのに、自分の特性がさも様変わりしたかのように確信している。過去と現在とを切り離すことにどうして固執しているのだろう。
困ったことに、現在の自分のありかたに関して後悔や不満のほうが日増しに強くなってきている。自分で結論を出した姿勢だというのに。もしかしたらぼくは、初めから何も失う必要なんてなかったんじゃないか、とさえ思えてくる。しかしそれは現況があってこその話で、何よりまだ存命であるという大前提があってこその話で。やはり翼は折られるべくして折られたのであって。高慢なままだったら、この身に注がれる恩恵さえも実感できずにいたのかもしれないのだから。
だからせめて現状維持に努めたいと思うのは必然のことであって。壊さないように、離れていかないように、そう願うことも認められていなくても、少なくとも自分から断ち切るようなことは論外だ。最善の接待と譲歩と、あと屈服と。許されなくても報われなくてもそうやって生きていくしかないのだから。そしてもしもいつか自分のところに順番が回ってきたら、そのときは生涯きってのわがままを言わせてもらえるだろうか。

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