[むかしのなぞ] 2003/07

2003/07/01

そのうち死なせてもらえると思っていたのだけれど、そもそもそういう考えこそが姑息で他力本願だったのかもしれない。

片手でピストルを作って。
輪ゴムをパチンと飛ばす。
伸ばした弦から音が出る。
当たったってさして痛くもない。
それは言葉のやりとりのようなもので。
頬を叩き合うのと同じくらい、日常的なコミュニケーションで。
向かい合って、受け取って、投げ返す。それだけの入出力。
ただ投げキッスは必死で避けるだろうけれど。

状況にしても精神状態にしても、デフォルトのほとんどを低位置に設定してあるから。
だから、いわゆる例外に対して過剰にならざるを得ない。
受け取ったらそれが爆発するかもしれない。
投げ返したら狙いが外れて窓ガラスを割ってしまうかもしれない。
そういった危険性や不確定性や、容疑を、現実には考えている暇はない。
電話が鳴ったら出なければならないように。
そのために行動パターンのテンプレートを自分の中に用意しておくのだけれど。
ぼくの場合、どこか疑いすぎてならない。

自分にも相手にも第三者にも。誰にもプラスにならないって知っていてどうして。

2003/07/02

結論を先延ばしにしたって良いことなんかない。

逃げていった。後始末もせず。遺書も残さず。尻も拭わず。
居られなくなってしまった、という経緯があって立ち去るにしても、社会上のルールとして相応の手順を踏むべきであったのに。
理由だってどうせ、自分の意見が通らなかったとか、誰かを泣かせたとか、おもちゃを横取りされたとかいったようなことで。
集団に入るも出るも自由意志。行動の責任を自覚せねばならない。落とし前をつけて、それからどこへでも行けばいいものを。
それができなかった自分はやはり未熟だったのだし、そういうことを積み重ねてきたツケとして惨めな現世があるのだと思っている。
自分ひとりが闇を被るならどうともない。それに留まらなかった。ぼくにとっての悔恨のひとつとして、いまだ重くのしかかる。
自分勝手な行動のせいでどれだけ迷惑をかけてきたのか。約束を反故にし、信用を裏切り、しがらみだなんて疎んで。
それがいかに罪深き行為か、残された立場になってみて初めて知った。

嫌いだと口にすることはその反対を言うよりずっと勇気がいるし、必要性も高い。

2003/07/05

もう少し自分と距離をとって顧みてみたいのだがうまくいかない。誰もぼくの味方をしない。もちろん敵になってくれる希有な人もそうそういないのだが。けんかするのは仲がよい証拠、とはよく言ったもので。端的に言えば自分本位でしかものを考えていないということだろうが。
大人になると無関心という精神態度を覚えてしまう。何ごとにも興味を持ち、誰彼かまわず話しかけ、無限の可能性を信じこまされるままに挑戦しつづけた少年時代。好奇心はあからさまに衰えを見せている。意味がないとか、面倒くさいといった無気力な声が先に立ってしまう。生きている間にやり残すことなく完全燃焼したい、と長期的目標として掲げていても、やはりその瞬間瞬間の移り気には勝てない。
それは愛することの苦しさを知ってしまうからだろうか。たとえば部活動や習い事を一生懸命やっていても、どうしても限界が見えてくる。どうあがいても勝てない、やっていけないという障壁にぶち当たることがある。そうした理由でその道を諦めるとき、それまで費やした時間が虚しく思えてしまう。徒労だった、あれほど尽くしたのに報われなかった、そしてしまいには憎んでしまいさえする。自分の過去を否定する。なかったことにしようとする。どうして愛してしまったのだろう、と。それはとても悲しいことではなかろうか。執心していた気持ちや、そのために努力していた自分の姿まで、けっして捨ててしまうことはないのに。
今、ぼくは思い出の中で生きている。楽しかったこと、つらかったこと、どちらも受け止めているつもりでいる。甘い世界をいまだに夢想し、しかし待ちかまえてる棘を怖れて新しいものを探し歩けずにいる。自ら閉塞し凝り固まった、時間の止まった領域。ここに至った原因は自分が最も深く知っているのだし、だから言いわけもしない。思い出しそうになってもこらえようとはしない。戒めという意味あいもあるが、ぼくはぼくが満たされていた時間を反芻して、そして今を生きている。
忘れかけていても、蒸し湿った熱風が否応なしに記憶を揺り覚ます。

2003/07/06

現実と向きあう日。

現実と向きあっているときは、夢を見ている暇なんてない。
自分や他人や世の中に、理想を追い求めたり幻想を抱くこともない。
きれいごとや美論では何も説明できやしない。直視を避け逃避しているだけ。
思わず目を背けたくなるような、生々しい感情。方法論としての脱倫理。
そして、ぼくは思い上がってはいけない。状況をわきまえねばならない。
知るべきなのだ。どれだけ惨めで、無力で、必要とされていないのかを。
部屋じゅうの鏡をすべて叩き割ってしまって、ようやく自分の姿が見える。
だから今だけは。ぼくを言葉の限りに叱って。卑下と失意の底に沈めて。

ひとりではないって、信じさせて。

2003/07/09

自分という人間が理解されなかったことは悔やんではいない。
そんなことは慣れっこだからべつにどうとも思わない。

きみのことをわかってあげられなかったのが無念でならない。
ただ自分に力量が足りなかったことを辱められるだけ。

自分の立場と手の施しようのない隔絶を認識したにすぎない。
ぼくから見た変質なのだからきっと相当なものだろう。

現世を生きることの不幸から解放してあげられなくてごめん。
ただ生存させられるだけの永遠なる毎日が口を開ける。

2003/07/11

何も変わっちゃいないよ。
格好つけるのをやめただけ。
ただの不細工になったけれどね。
でも、それでいい。
もう肩肘を張ることなんてない。
すこし居眠りしたっていい。
自分が自分でなくならぬよう。
漏れ出ていかぬように。

ぼくは。
頭の固い自分より頭の悪い自分がすきで。
すましている自分より慌てている自分がすきで。
褒められることよりけなされることがすきで。
作り笑顔でいるくらいなら無表情でいたい。
無責任な同情より蔑みを受けたい。
自分の弱さを隠すのではなく向き合いたい。
わがままだ。

2003/07/12

最低。

またやってしまった、と自分の中では思うだけ。
一度や二度の失敗ではないから、もう悔し涙も出ない。
ぼくは自分を、自分の弱さをコントロールできない。
感情は打ちつける雨となって、止めどなく落ちる。
気を許されたつもりになって。それさえも妄想なのに。
執心。懺悔。依存。それで何度傷つけ毀してきたか。
最も見られたくない姿を見られたことが居たたまれない。
でも、これが本性なのだから。わかっていたはずなのだから。

危機に直面してはじめて、失いたくなかったと気づくなんて。
手遅れにならなかっただけ、よかったではないか。
その代わり、進展もその先の未来も潰えたのだけれど。
わざわざ踏み外すための勇気なんて、いらなかった。
ぼくは奢ってはいけない。ないものを強請ってはいけない。
離れれば恋しく、近寄れば反撥し、難しい位置にあるから。
閉塞していようと隔離されようと、不用意に触れてしまわぬよう。
失念してはいけない。あらゆるものとの相応の距離を。

そして相当の。

2003/07/13

何を食べても同じ味。
錆びた鉄釘を嘗めるような。
新しくても、カスタマイズされていても。
満たされることはない。
宛われることはない。
何もいらない、って思ってしまえればいいのに。
それでも今日も腹は減る。
日々食い潰される犠牲。

2003/07/15

背中が悲しそうだったからという理由で肩に手を置かれたりしては、迷惑だ。

目に映るものなんて関係ない。
内省的なビジョンしか、ぼくには備わっていない。
他人の視線や態度を逆輸入して陰陽を捉え直す。
自分という人間が恥ずかしくて、それが悔しいだけ。
不甲斐ない自分に腹が立つから、表情を固めるだけ。
誰も、一緒に悩んだり代わりに泣いてくれたり、しない。
それはぼくも同じ。涙を受け止めるのは、いつも己の掌。
きみを泣かせたまま別れたことはひとつ心残りではあるけれど。

それは悔いるだけ無益なことだから。
自分をわかっていない、そうである限り、疑問は心の中から出ていかない。
デッドコピーを何枚もスタンプするように、きっと際限なく繰り返す。
狂った基底配列が如何ようにも生み出され、それが関係において癌をなす。
だから。悪種として、滅んではならないから。
目覚めた朝は、息が詰まりそうなほどきつくネクタイを締める。
一切の言葉や感情の流出を絞止させるために。
それは消え入る炎を絶やさぬための、地道で、緻密で、忍耐のいる仕事。

必死こいて自分と闘っている背中。それはさぞ落ち着きがなく、滑稽だろうね。

2003/07/23

旅をすることなんて、とうの昔に片づけたつもりでいた。
探し物があったわけではないけれど、結果として目を走らせていた。
求めているものがどこかに落ちていないか。
見つけられれば自分を劇的に飛躍させられる、魔法のアイテム。
どこに居たって、どこへ行ったって、そんなものは手に入らないから。
面倒が先に立って諦めることを覚えてしまった過去。
愚行に費やした無駄な時間そのものとの決別のため、放棄したもの。
そこへ、戻ってきた。

答えは一緒だということ。心のどこかで予想はついていた。
愛想良くしようと努めた分だけ空回りして。歩数ばかりが積み上がる。
知らないものを学び取りたかったのではないだろうし。
知っているものを検証したかったのでもないだろうし。
また、思い知らされることになるのだろう。その通りだった。
たどり着けない桃源郷への隔たり。埋められない心の溝。
ぼくは姑息だ。自らの手を煩わさずに多くを得ようとしている。
距離感という名の、過敏な神経を、気づかせようとしている。

ひとりの人間としての価値、なんて。
ぼくの労働力がほしいのならあげる。ぼくのカラダがほしいのならあげる。ぼくの命がほしいのならあげる。
自分のことを粗末に考えているのではなくても、もらわれていったらそれきり。
利用してくれる人がいるなら結構。臓器単位で切り売りだってできる。
この存在が認められて、誰かのものになったときに、純然たる自分を喪失するという意味で人生は終わる。
今はまだそこに至っていないから。自分の中の多くを持てあましているような状態。
満たされないし、納得しないし、答えも出ていない。わからないまま。
それが今日も自分を生かしている理由のひとつになっているのだと思う。

死期を先延ばしにしたい一心で、次から次へと興味を目移りさせている。
ひとつの具体的な幸福を手にしたら、没入していって抜け出せなくなりそうで。
だから。今は何かに委ねたくはない。阿ることはしない。
快楽を知ることを、その深みにはまって溺れゆく怖さを、知ってしまったから。
無視されて、蔑まれて、一目置かれて。視線と罵倒の渦に縛られて。
そうした環境に身を置いていなければ自分を喪失してしまうから。
妄想に食われる。
ひとつになりたいだなんて。細胞壁を溶解しては、ならなかったのに。

始終気を張っていないと、すぐ身の程を忘れ強欲に駆られてしまう。
他人と話をしていると、それだけで自分が許されたような気になってしまう。
軽い冗談を言うことも。笑うことも。心の領域に踏み入ることも。
長年の親友のようだなどと、すぐに勘違いをしてしまう。
その権利を剥奪された人間であることがまだわからないのか。
いや、権利があろうとなかろうと、それくらいの因果は身に染みているはずだ。
不用意な関係が、総合してどれだけの傷を生むか。
表現したいか否か、ですらない。言葉を失ってしまっているのだから。

収穫がなかったとは言わない。あったかなかったかを議論する気もない。
ただ、だめだったということはわかった。
他ならぬ自分が。あわよくば権化に取り入ろうだなんて。
薄情で自分本位で、実質も温度も持たない愛を口にしているだけだった。
他者とはすべからく外因。その実効が自分にどう作用し影響を与えるか。
そんなエンドユーザー的見地からでしか、人を見ていなかった。
所属だの立場だのに、自己を帰属させて、関係を括りたがっていた。
誰を許さないのでも信用しないのでもない。ぜんぶ自滅させている。

きっと忘れていくのも早いだろうね。
そのくせ後悔だけはしこりとなって残りつづける。
何がぼくを苛んでいるのか、何がぼくを苛ませているのか。
それさえも掠れかけた記憶からはしばしば読み取れなくなっている。
ずっと以前から繰り返してきたのとまったく同じように、今日も呼吸をする。
利己的な感情や、偽りの慈悲に満ちた言葉が、出るたび気管を引っ掻く。
早口でまくし立てようものなら、いくつ傷口が開くだろう。
事実は隠蔽されても痛みだけが焼きついている。それはいたく理不尽であり、また驚くほど合理性を含んでもいる。

自分の中に壁を作っていることを罪だと思う。
知られない部分をひた隠すことを罪だと思う。
どこか軽蔑し見下していることを罪だと思う。
興味があるふうに演技することを罪だと思う。
それらはみな、自分がとくに他人との関わりにおいてうまくやれないことへの反発、という醜い感情に起因している。
人と接することを人並みに楽しみ満足することができない。だから妬んでいる。
どこか歪んで、冷めていて、まったくの他人が自分を操作して声を発させているようにすら感じられて。
懲りもせず。同じ結論に、戻ってきた。

2003/07/24

自分が満たされているかいないか、なぜ判別しなければならないのか。
幸福かそうでないか、なんて簡単にどちらだなんて振り分けられないのに。
自分の生き方は間違っているかもしれない、と誰に指摘されたと言うのか。
坦々とした生活。毎日その日その日の選択と決定とフィードバックを重ねる。
それ以外にスタイルというものを構築する方法があるとは思えないのに。
それでもあえて、と断りを入れてから、やはり我が身の不平をあげつらう。
たとえば自分の中に「心当たり」があって、それが逸らせているというのか。
だめだ。ここまで徹底して心を空っぽにしなければ身が保たないなんて。

2003/07/25

見限られた地平線。

結局、自分の知っている世界の中でのみ行動し、愛するにしか至っていない。
神聖であることと汚穢であることは、扱いとしては等価なものであって。
触れてはならぬ禁忌のように。ただ秘匿のもとに事実を抹消せしめる。
犯罪とはあくまで法にもとる行為であって、悪意の有無は不問であるはずなのに。
頭ごなしに醜いものと決めつけてしまう。外からは、その程度しか見えないから。
生々しい欲望や惨状や、加工処理現場なんかを、膿のように忌む人間たち。
世の中には目に見えない部分のほうが多く、大半は黒く如実に蠢いているのに。
それを隠して、社会や自分はきれいなものと見せようとする態度が浅ましい。

汚れたふりをするのと同じくらいに。

2003/07/26

フラッシュバック。

どうして、自分の言葉しか振り返ろうとしないのだろう。
その中に解決策が転がっていると信じて疑わない、頑ななほどの自信過剰。
自分が何をやらかしてきたか、だったらすべて履歴に残っているが。
個々のプロダクトではなく、ファシリティー全体として問責されているというのに。
闇を抑えておけない。際限なく吐き出される辛辣な冗言。落胆と猜疑の色。
心に棲まう獣は害をなす。しつこくつけ狙う冷酷な牙。それを従えている自分。
そのボタンを押したら世界が吹っ飛ぶこと、何度も見てきたはずなのに。
どうして、再びそれに手をかけることを禁じられないのだろう。

自力で自分を諫められないことも、弱さとして、最たる元凶と思う。
誰も罰らしい罰を与えてくれない。拘留されることも、処刑されることもなく。
認められない自由や権利の範疇も、心の枷が緩んで拡大解釈してしまう。
自分勝手な行動。思い通りに世の中が動くだなんて、都合よく決めつけて。
気づかぬうちに本来の領分を踏み越えて、築かれた信頼をむしり取っていく。
蝕んでいく。蝕まれていく。懐疑心やら征服欲やら強要やら、血塗られた激昂の決壊。
振り回されてばかりなんて、もうたくさんだ。痛みも悲しみも知りたくない。
しかし表向きは、操られ、けしかけられ、席巻する既成概念に踊らされる。

凍てつくような極寒の灼熱に、また飛び込もうというのか。

2003/07/27

ふたつの現実のどちらを生きていけばいいのだろう。

この涙は、誰にもどうしてもらうこともできない。
ひどいこと。なんて、今さら問い返す必要もない。
ぼくはどうして、いつも、こうなのだろう。
感情を高ぶりのままに押しつけるだなんて。
深くて。遠くて。縮まらない距離にただ焦燥ばかり募る。
俯瞰して把握するまでもない。こんなに近くにいるのに。
訝しんでしまう。疎んでしまう。暗く酷い仕打ち。
同じ速さで巡る時間がそこだけ停止しているのか。

ぼくは汚らしい。
本性。徹底した不信や、毒々しい劣欲や、破滅的な寄生や。
偽善ばかりの表面と誤解されても仕方のないくらいに。
それが目覚めるたび、幾度となく傷つけあってしまったから。
片鱗。この体から、この世で最も醜く憎い体液が出る。
自分を罪人たらしめる理由だったら、たとえばそれで十分で。
忘れえぬよう。
内在するおぞましき悪態と罪の意識を、確認する行為。

自分自身に対してまで、虚構を張りめぐらせていたなんて。
ぼくは自分のことを、もっと知性的であると思いこんでいるらしい。
それこそ愚かな。思い上がりもいいところだ。
器量がなくて、状況を読めなくて、こと生きることには要領を得なくて。
そして学習も知らず何度も同じ罠に陥るなんて。蛮行に及ぶなんて。
結果、得るものは何もなく、後悔と喪失感だけが沈殿の層をなす。
こんなに頭の悪い生きかたが他にあるだろうか。
それが自分の真実だと認めたがらない頑固さが、よけい馬鹿らしい。

許されないこと、到底受け入れられないこと。無数の前科があるのに。
それを白紙に戻して光の中を生きたいだなんて虫がよすぎる。
そうでなくても、今の自分がどれだけ果報者か、気づこうともしない。
与えられている環境、幸福、それで満足せずに。欲を貪ろうとする。
数や大小は関係ない。望まずに生きろ。身の程を深く内省して生きろ。
それができないのなら、ひたすら望んで生きろ。夢の中で果てろ。
甘美な理想郷は空想の国にある。淡い恋心に憧れる少女。それでいい。
前進することは拒まれ、逃げることも禁じられ、縛りの中でぼくは生きている。

誰かに心を傾けてしまう自分なんて大嫌いだ。

2003/07/28

そんなにぼくが何か企んでいるように見える?
見えるよね。
そうだよね。

損な役回り。

2003/07/29

人は誰もがみな何かを背負って。

渦巻いている感情は、言葉に尽くせないほど物々しくて。
口外できない秘密や、憎悪の念や、目論みもあるだろう。
日常においては、それを表出しないように生活している。
無害を謳い、無実を騙り、無知を振る舞って生きている。
悟られないように。同様に、他人の心を覗かないように。
うわべだけで笑いあい、優しさを持ち、社交を形成する。
ぼくの心の闇をまるで疑うことなく接してくれる人たち。
それはそれで、ありがたいし大切にすべきなのだけれど。

けれどそれは、きっと誰も知らないから。
目の奥がどれだけ濁り、澱んでいるかを。
不本意にも知ってしまった世界の深さを。
ぼくと関わるとどれほどの目に遭うかを。
今だって、暴発を食い止めている状態で。
未来の全順列を検証もせず摘芽し否定し。
過ちを罵り倒し、自刎した首を野に辱め。
欲を殺し釘を刺して、どうにか自制する。

意のままに操られることさえいとわない。たとえばこの先も。

2003/07/30

仕事の疲れや嫌なことの憂さ晴らしのために趣味に興じたり人と話したりするというのが一般的な流れであるようだが、今のぼくはそれがどうも逆になっている感がある。すなわち、プライベートでの問題や不満からの逃避行動として必要以上に仕事に没入しているのではなかろうか。他にのめり込めるものがないことが露呈されているようで自分を不憫に思ってしまいもするが。逃げ場は多く確保しておいたほうがよい。それはそれでひとつの教訓なのだけれど。
ぼくは学問でも業務でも、本職においてストレスを溜めたことはない。一時的に感じることはあってもすぐ忘れる。体の疲れはあっても精神のそれは蓄積しない。なぜなら楽しいから。生きるために働くとは言え、やりがいや達成感を得たり、何よりやっていて面白くなければ意味がない。長続きしないだろうし、苦痛を我慢してまでやりたくはない。望めばもっと充実した場所を獲得できるのかもしれないが、それを目指す努力をしていない、という程度の怠慢はあるだろう。ただ積極的に現在の椅子にかじりついている理由とは言えないまでも。
勉強にしたって、その楽しさを知っているから大学に進んだのだし。落ちこぼれた時期はあったけれど、それはぼくの心の問題であって、学ぶこと自体から興味を削がれたのではない。机に向かっているときはガリ勉の子どものころそのままの気持ちに帰ることができた。それは今も変わらないのだろう。瞑想みたいなものだった。雑念を捨てて目の前の課題に全神経を注入する。時間を忘れるほどの集中力。解き終わって意識を解放した瞬間に訪れる夢からの覚醒にも似た感覚。それを、楽しかった、と呼ばずして何と呼ぶだろうか。
世の中の人は、何がそんなに不愉快なのだろう。ぼくは、この世で最も腹立たしいのは自分自身だと思っている。態度であったり、言動であったり、思惑であったり。未熟さや、頑固さや、落ち着きのなさや、依存的なところや。雑踏のどの区画を見ても、他人を見ても、それより気にくわないと思える箇所が見当たらない。だから、外界に目を向けている時間帯は、どちらかと言えば心地よいものだ。単一の用に従事することも有用な手段のひとつであって。
反対に、自分の内面と向き合わざるを得なくなったときは困る。自分の欠点や劣等感を発見したり掘り下げてしまえばしまうほど、不快の色は濃くなっていく。ぼくにとって面白くないこと、思い通りにいかないこと、そして手に負えないことは、すべてぼく自身に起因するものであるから。人並みのことがうまくやれないもどかしさ、それを隠して澄まし顔を作ろうとする見栄、または図々しい発言で他人を困惑させてしまう無神経さ。
自分の至らなさに関してはすでにかなりの部分を諦めているから、もはや怒りを露わにする気力もないのだけれど。ぼくはこんなにも無能で、人間として基本的な部分が欠如していて、また悪人であるから、他の誰のことも責めたりなじったりする資格などない。理由もない。ぼくさえしっかりしていれば事は円滑に進んだだろうから、もし非を咎められるとすればそれはもっぱら自分のほうで、ぼくが他人を悪く思ったりましてやストレスを感じるなど筋違いというものだ。
とは言え、人間関係を筆頭に幾多のしがらみが手枷となり足枷となっているこの社会。幼稚なぼくが理解していないさまざまな要因があるのだろう。だから鬱憤を溜めこむのは仕方ない。ではなぜ、それを自力で処理できないのか。毎日が退屈なことや苦行の繰り返しだとでも言いたげに溜め息をつき、ちょっと気に障ることがあろうものなら癇癪を起こし怒鳴り声を上げる。他人に当たり散らすなんて迷惑以外の何物でもないし、それこそ社会性及びその認識が著しく欠如していると疑わざるを得ない。
この世のどこで歯車が軋んでいるかは知らないが、わずかな負荷でもいずれ大爆発の引き金となる。気が病める原因を自らから遠ざけるということはできないのだろうか。無関係な世界にわざわざ押しかけて糾弾する必要などないのに。愛着のある風景だけを手元に置いて、スクラップブックのように寄せ集めて自分の世界を作る。不可解な事件をあえて目に入れなくともよい。それはとても快いありかた。すべての元凶を排除しよう。あらゆるリンクを断ち切って孤高に生きよう。

2003/07/31

ここから抜け出せないってことが、やっとわかっただろう。

手遅れになる前に踏み止まれた、なんてよく言えたものだ。
すでにどれほどの泥を塗ったか、自分で覚えてすらいないのか。
身を遠ざけるモーションさえ、大げさな動作でわざとらしく自己顕示。
すっかり立場を見失って、何かを得たつもりに、その権利を得たつもりになる。
ふたつの世界を区別して生きられず、溶解した時間軸に巻かれる心身。
もし妄想の先に手を伸ばすなら、そこには冷血な評決のみが待つ。
誰も入り込めない場所で、汚辱の限り。艶やかに、淫らに、まぐわう。
ユメとして始まった瞬間に、ゲンジツはとっくに崩壊しているのだ。

ここさえもその廃れきった精神が産み出しているのだから。

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